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 料理をした。中々の出来栄えだと沖矢昴は内心自画自賛する。作りすぎてしまったので隣の阿笠邸へお裾分けしようと、鍋を持って家を出た。まあこの作りすぎも計画通りというやつなのだが、そんなこと誰も知らない。
「おや?」
 玄関前で見知らぬ背中がふらふらしている。インバネスケープを日本で見かけるとは思わなかったな、とちょっとばかし驚きながら「どちら様ですか?」とその背中に訊ねる。
 振り返って対峙した素顔に、沖矢は思わず目を見開いた。
「誰だねキミは。ああ失礼、こちらから名乗るのが筋というやつだね。私は片桐夕だ。キミは?」
 噂の御仁と不意打ちの対面である。
「……片桐さんですね。噂はかねがね。僕は沖矢昴といいます。阿笠博士の隣の家に住んでいます」
「沖矢クンだね、はじめまして。ところで噂とは何だい」
「いえ、別に悪いものじゃありませんよ。コナンくんが時折片桐さんのことを楽しそうに話すので…」
 いや、“変な人”と揶揄していたなと思い出したが黙っておくことにした。
 片桐は沖矢の発言にそうかいと頷くと、鍋を指差した。「それはどうしたんだい」「ああ、これはお裾分けにと…阿笠博士は?」「今忙しいようだよ」片桐越しに中を覗けば阿笠が慌てた様子で電話対応に追われていた。
「なんでも自動ハムエッグ作り機が不調をきたして苦情が殺到しているらしい」
「自動ハムエッグ作り機、ですか…」
「そんなもの自分の手で作ったほうが早いだろうに。……時に沖矢クン」
 キミ、免許は持っているか?と訊いてきた片桐に、沖矢は何故か背筋が凍った。



「なんというか…あなたの笑顔は逆らえない気分にさせられますね」
「おや、初対面の相手に随分なことを言うもんだ。あーあー傷ついたよー」
「下手な芝居ですね」
 どうにも掴めない片桐を何故助手席に乗せているのだろうと自問しそうになったが、沖矢は現実と向き合う為に頭を振った。
 なんでも阿笠は近所の人たちに配った自作の自動ハムエッグ作り機の調子が悪く、苦情が殺到してその応対に忙殺されていた時に偶然にも傍を通りがかった片桐に探偵団たちの迎えを頼んだ。そしてそこに偶然が重なり沖矢までもが阿笠邸にやって来てしまったというわけだ。で、運転をめんどくさがった片桐は沖矢の車で彼らを迎えに行こうと思いついたわけらしい。
「キミ、何をしている人なんだい」
 不意の質問に沖矢は前を向いたまま答える。
「普通の大学院生ですよ」
「ほう、あの豪邸には家族と暮らしているのかい」
「いえ一人です」
 一人?と片桐が反芻する。前に住んでいた家は火事で燃えてしまったんだと話せば、それはそれは、と片桐は大仰な手振りをしてみせた。どうやら火事の件を知っていたらしく大変だっただろうと労ってくれた。
「だから表札とキミの苗字が違うんだねえ」
「ええまあ」
「しかしキミの家族は中々に薄情だねえ。自分の子供が下宿している家が燃えたら、普通は早く次の下宿場所をどうにかしようと奔走するもんだろう」
「僕の家は放任主義なんですよ。片桐さんは――」
 家族――沖矢の脳裏に一瞬だけあの空欄が浮かんだ。
「…ああ、あの船に乗れば皆を迎えに行けるんですかね」
「そうだね」
 (失敗したな)沖矢は久しぶりに苦虫を噛み潰したような気分を味わった。