▼ ▲ ▼

「は?」
 安室透は呆然とした。
「どうしたのよ」
「あ…ああいえ、何でもありませんよ」
 助手席に座る金髪の女・ベルモットは不可解そうに眉をひそめたが、やがて興味なげに窓の外に目をやった。
 安室透――この場合はバーボンと呼んだほうが適切かもしれない――は、ベルモットのそんな態度に内心安堵の息を吐いて、自分のスマートフォンの画面を見直した。しかしそれも一瞬で、すぐさまそれをポケットにしまう。
「で、分かってるわね」
「ええ勿論」
 定時報告を終え、安室は車を出す。夜の街は車の交通量が多い。後ろに流れるネオンを横目に、安室は先程のメールを思い出す。
“ゼロのサーバーに何者かが不正アクセスした形跡が見つかりました”
 つい先程部下である風見から送られてきたメールの内容だ。一体誰が、何の為に――安室は舌打ちをしたい気分だった。きっとこの場にベルモットがいなければ舌打ちだけでなく爪を噛むという行為だってしたかもしれない。
 ゼロ……公安警察のサーバーはちょっとやそっとの手腕では不正アクセスできない仕様になっている。それをいとも簡単に侵入したとなると相手は並々ならぬ者だ。更に犯人は追跡されないように様々なトラップを撒いて一時的にこちらのサーバーをダウンさせたらしい。再起動させてから犯人を追ってみたものの、海外の回線を利用して侵入してきたため追跡不可能だった。
「ここで良いわ」
「はい」
「じゃ、精々頑張ってね」
 ベルモットの背を一瞥し、安室は自宅に向けて車を発進した。今すぐ風見に電話をしたかったが運転中だしなにより盗聴器を仕掛けられている場合を考え、それは我慢した。



 自宅に着いたのは、零時を過ぎた頃だった。疲労を感じる重たい体を引きずってベッドになだれ込む。目を瞑ればすぐに甘い眠気が襲ってきた。しかしそこで、バイブ音を拾う。半分しか機能していない脳は、それが何の音なのかすぐに察することができなかった。
「……すまほ」
 椅子の背にかけたジャケットを引っ張ってスマホを取り出す。起動させればブルーライトが目に沁みた。だが画面を見て気づいた。このスマホには通知が来ていないことに。(もしかして…)机の引き出しを漁ってみれば、普段使っていないスマホが通知を知らせていた。
“お前片桐のこと嫌いなのか?”
 唐突な文面に安室の眠気は覚めた。メールの相手は松田だ。
「急に何なんだ」
“別に嫌いじゃないが…何でそんなこと訊くんだ”
“いや、なんかお前片桐に対してやけに攻撃的だから”
 そうだろうか?頭を巡らせる。
 言われてみれば確かに他の女性の対応と比べれば、まあ少々刺々しいだろう。松田は片桐を好意的に見ているだけあって、安室のそういう態度が他の人よりも目についたのかもしれない。
“気にしすぎだ。別に嫌いってわけじゃないから。勿論女性として見ているわけでもないから安心しろ”
“何が安心しろだてめえ”
 旧友との会話にほっとする。松田はたまにこういうことをしてくれるから、安室は本当の自分を思い出すことができる。
 メールを一通り終え、安室は漸く仕事用のスマホに手を伸ばした。松田は何であんなことを訊いてきたんだろうと頭の片隅でいまだ考えながら、安室の思考は段々公安のものへと切り替わっていく。ごちゃごちゃした脳内は忙しいが、やがて完全に“降谷零”となった。
 部下の風見にコールすればものの数秒で通話状態になった。
<済みません降谷さん、お忙しい時に>
「いやいい。それよりそっちは大丈夫なのか」
 公安がこんなあっさり侵入を許すなど、あってはならないことだ。己が所属する公安に不備はない。とすると、こちらの想像を越える何かが敵となっている場合がある。
「目星は?」
<現在調査中なのでなんとも言えませんが……一番可能性があるのはやはり例の組織ですかね>
 やはりか。降谷は舌を打つ。
 現在自分が潜入している黒の組織によるサーバー攻撃…それが一番有力な説だ。ならば“バーボン”がそれとなく訊ねてみるべきか。少々危険を伴うが虎穴に入らずんば虎子を得ず。手がかりがないのなら致し方ないだろう。
「抜き取られたデータはあるのか」
<一部破損しているものがあります。が、それはおそらく犯人がしかけたトラップの影響かと。その他のデータに関しては調査中です>
 つまり何も分かっていないということだ。
<また何か発見次第報告します>
「ああそうしてくれ。俺のほうでも探りを入れてみるよ」
<済みません、お願いします>