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「夕さんは逃げ足が早いよね」
 そう言ったのは、江戸川コナンという少年だ。コナンは毎度のこと部下たちから華麗に逃げおおせる片桐を感心していた。まるで怪盗のようだと。警察官にこんな喩えはご法度だが、彼女のフリーダムな性格はどちらかといえば少し崩れた感じの、平たく言えば不良っぽい感じがするのだ。公務員といった空気を感じさせない片桐はある意味で市民から好かれるかもしれないが、ある意味では税金泥棒だと罵られるかもしれない。
「逃げ足が早いのは良いことだよ、江戸川クン」
「そうなの?」
「キミも覚えておくといい。危機的状況で逃亡できるか否かというのは、かなり重要なことだ。逃げ切れれば次の対策を立てられるが捕まってしまえばどうにもできないからね」
 ま、私なら捕まったとしても華麗に逃亡できるが、などと宣う片桐は傍から見ればただの悪役にしか見えない。
「時に江戸川クン」
「何?」
「昼時だというのに何故キミは外を歩いているんだい?学校はどうしたんだね?」
「夕さん、今日は土曜日だから学校はないよ」
 曜日の感覚がないのか?と半目になる。「おおっと。私としたことが失念していたよ」どうやら本当に感覚がなかったらしい。
「ボクこれからポアロでお昼ごはん食べるつもりなんだけど、夕さんも来る?」
「そうだね、折角だからお邪魔しようかな」
 相変わらずの奇妙な笑みを保ちながら、片桐は答えた。



 喫茶ポアロ。ハムサンドがウリなこの店は昼時になれば結構混む。それも女性で。理由は―――
「いらっしゃいませ…ああ、コナンくんに片桐さんですか」
 この男だ。
 安室透。ポアロのバイトを片手間に探偵業を営むベビーフェイスの優男だ。どういうわけなのかコナンが居候している家の主・毛利小五郎に弟子入りしている。コナンにとっては理解の外だが、安室は何かしら毛利に光るところを感じたらしい。
「やあ安室クン。相変わらずのようでなによりだよ」
「片桐さんもお変わりないようで」
 この二人――とりわけ安室は――どういうわけなのか若干棘のある会話をする。コナンは安室を敵ではないかと疑っているため、安室のそれは警察官である片桐を警戒するが故の行動なのかと考えるが、それにしたって奇妙だ。
「ハムサンドとコーヒーを。江戸川クンには…私と同じものを頼むよ」
「かしこまりました」
 コナンは片桐の洞察力に常々感服していた。それ以外にも推理力、勘、度胸等々…片桐は、まるで警察官になる為に生まれてきたような存在だ。(ま、ちょっと変わってっけど…)浮世離れした片桐は仲間内で軋轢を生むこともしばしばあるが、天才故の瑕だと思えば納得がいった。
「うむ、やはりここのハムサンドは最高だね」
 美味しそうにハムサンドを食べる片桐を一瞥し、コナンも同じものに手をつけてコーヒーを一口啜る。大抵の大人はコナンがブラックコーヒーを嗜めば驚くが、片桐はそんな態度を見せなかった。子供らしからぬ好みを片桐は決して好奇の目で見ないし、話の趣向も大体合うところを好ましく思っていたし―――要は、コナンは片桐に懐いていた。子供だと見下されていた自分と対等に接してくれる存在。それはFBIの赤井秀一と通ずるところがあったし、コナンはいつか片桐と赤井を会わせたいと考えていた。