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松田は自分でも驚くほどピリピリしていた。
「なんなの君、また想い人に振られでもしたのかい?」
「お前こんな状況でよく軽口叩けるな」
「こういう時こそ冷静でいなければ。ほら、キミだって言っていただろう?“焦りは最大のトラップ”だって」
言われてみればそうだ。片桐に窘められ、松田の胸からムカムカが消える。こういう時、彼女の懐の深さ(というか、楽天的?)が見え隠れして松田は微妙な気持ちになる。
「ほら松田クン、あそこにクレープ屋があるじゃないか。あれでも食べて気分を落ち着けよう」
「いや、むしろまたムカムカするから」
彼女ほど甘いものを好まないためクレープは遠慮した。「おや?」そんな折、片桐が茶髪の男性を見て声を上げた。
「沖矢クンじゃないか」
「おや片桐さん、こんにちは。そちらの方は…」
「会うのは初めてかい?松田クンだよ」
「ああ、貴方が噂の…」
「初めまして、沖矢昴と申します」まさに礼儀正しさの塊といった具合に、綺麗な角度で頭を下げる沖矢。大学院生らしい。
「おい、噂って何だ噂って。片桐てめぇ、まさか変なこと言ってんじゃねえだろうな?」
「いえいえ、どこぞのヤーさんみたいな外見なのにものすごく真面目な部下がいると伺っているだけですから」
「充分変なことじゃねえか!!」
片桐!と怒り声を上げたが、いつの間にか彼女は子供たちと一緒にクレープ屋の列に並んでいた。彼らは確か、少年探偵団とかを名乗り、よく事件に遭遇する子供たちだ。今日は初老の博士はいないらしい。
「今日は阿笠博士が忙しくて、私が保護者代わりをしているんです」
松田の疑問を感じ取ったのか、訊いてもいないのに沖矢が答えた。大学院生のくせに平日の昼間から子供の相手をしたり妙に人を見ていたり、片桐の友人であることから彼はおそらく普通の人間ではないのだろう。
「そういえば松田刑事、貴方、片桐さんについて詳しいですか?」
訝しげに見られていることに気づいているだろう沖矢が、世間話でもするかのような軽さで問うてきた。
何だ、それは。松田は隠すことなく顔を歪める。
「……詳しいかって、どういう意味だ」
「sisという言葉をご存知ですか?」
「あ?sis?」
英語の二人称や、姉や妹の略称のことか?そう言ってみれば「そういう意味もありますが…」と沖矢は柔らかく否定してきた。
「イギリスのある公務員の略称なんですよ」
「……、」
「Secret Intelligence Service」
「秘密情報部……アメリカでいうCIAのことか」
「そうです」
「それとあいつ、一体何の関係があるってんだ」
厳しい目で問い詰めれば、沖矢は嫌だなぁと心外そうにして両手を胸の前に挙げた。
「彼女がそう呼ばれていたところを見たことがあって…もし映画みたいに潜入捜査とかしていたらすごいなぁと思っただけです。ほら彼女、案外そういうのに向いてそうじゃないですか」
「馬鹿馬鹿しい。あんた、映画の見過ぎだぜ」
「済みません、ミステリーが好きなもので」
まったく反省していない様子の沖矢は、やがて子供たちと一緒にクレープを食べている片桐に目を向けた。彼女と似たような猫目が開かれている。ダークグリーンが映す彼女は、どんな風に見えているのか。松田には想像もつかなかった。