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「――いかがでしたか?」

 某日、どこかのビルの屋上。ネオンが煌めく街を見下ろし、男女は逢瀬とは言い難い空気を纏っていた。彼の白いマントが翻る。今宵は風がきついらしい。
「そうだねえ…ま、新鮮ではあったな」
「ご満足いただけたでしょうか」
「どうだろ、よく分からない」
「…と言いますと?」
 首を傾ける彼。片桐は墨色の空を見上げた。
「私は私が他者に認められるだなんて思っていなかったし、人並みの幸せを得られるとも考えてはいなかった。こんな私は彼に相応しくないと…私のしてきたことを知れば、皆が口を揃えてそう言うだろう」
 だから今回の騒動を思いついた。
「一度ね、クリアにしてみたかったのだよ」
「クリアに?」
「そう。何もなく、人の殺し方も知らない、何の重荷も背負っていない“片桐夕”を演じてみたかったのさ」
 そうすればもっと普通の人間になれた。ただ純粋に正義の為に働く、それこそ同僚の女性警官のように。
「もしかしたら彼も、そっちのほうが良いと思うのかもしれないと考えてね…あわよくば記憶なんて戻らなければ良いのにって」
 だが――「結局は元に戻った」血と硝煙が交じる場所に、呼び戻された。
「キミが私にかけてくれた暗示、驚くほど正確だったね」
「……」
「いや、多分、私の本能のほうが先だったな。反射的に彼らを殺そうとしたよ」
 最早刷り込まれた行為だったのだ。記憶を押し込んだだけでは収まりがつかないほど、その行為は片桐の骨の髄まで染み込んでいた。その事実にただひらすら喪心した。
 だけど。
「彼はね、記憶のある私のほうが良いらしい」
「そうですか」
「ああ。驚いたよ。好き者ってああいう奴のことを言うのだろうね」
「自分の恋人に対し随分な物言いですね」
「これでもね、褒めているのだよ」
 そう言ってみるが、彼は苦笑するだけだった。
「キミには世話をかけたね」
「いえ。快活なお嬢様のお戯れにお付き合いさせていただき、嬉しい限りです。貴女とは一度、ゆっくりお話してみたいと思っていましたし」
 もう別れの時間だ。彼――怪盗キッドは屋上の柵を華麗に乗り越えた。キッドは帽子を深く被り直し「ああそうだ」と最後に一言残す。
「貴女を呼び戻したのは、本当に血と硝煙なんですか?」
「…」
「私の目には、あのワンピースがきっかけだったように映ったのですが」
「…あの時見ていたのか。助けてくれれば良かったのに」
「心にもないことを」
 どちらからともなく笑い合うと、キッドは去って行った。片桐は眩む明かりに溶けてゆく白を暫く眺めていたものの、ふと思い至って携帯端末を取り出した。かける相手はただ一人。


「…松田クン、今ちょっと良いかい?うん、来てほしいんだ。場所?杯戸ショッピングモール。…うん、そう――観覧車に乗りたいんだ」