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 彼はあの騒動のあと、警察病院を退院しすぐに復職していた。暗くなった空の下では、もう退勤時間を迎えていたようです彼は帰路につこうとしていた。
 クラクションを鳴らす。
「お時間ありますか?」
 端的に訊ねれば、彼は訝しげに首をかしげた。


「済みませんね、こんな時間から。お疲れでしょう」
「いや…」
 彼は赤井―この場合は沖矢だが―に対して警戒心を解いていなかった。言われるがままに大人しくついて来ていたが、二人の間には物理的にも少し距離があった。
 静かなバーに入り、適当な酒を注文する。
「あんた車だろ、良いのかよ」
「あそこの駐車場は安いんで一晩置くくらいは大丈夫です」
 実際は同僚のキャメルに移動してもらうつもりだ。
「で、何の用だよ」
 出されたスコッチを素直に口に運ぶ彼を一瞥し、「そうですね」とおもむろに話し出す。
「大体は予想がついてらっしゃるんでは?」
「そんな探り合いするつもりはねえぞ」
 苛立ちを含んだ声。どうやら自分は想像している以上に嫌われているようだ。彼が持っているスコッチの入ったグラスに視線を落とし、素直に謝罪の言葉を口にした。
「単刀直入に、片桐さんのことです」
 彼の喉仏が大きく上下する。
「彼女が今どこにいるのか気にな、」
「分かるのかよ?!」
 ガッ!と胸倉を掴まれる。決して怒りから来ている行動ではない。近くで見た彼は切羽詰まった表情をしていたから、人の情感に鈍い赤井でもそのくらいは分かった。
 ほんの僅かな時間、間近で視線が交錯していたが、我に返った彼が「悪い…」とそっと手を離した。
「いえ、こちらも申し訳ありません。軽率でした」
「……いや、済まねえ。正直俺は…何でこんなことになったのか全然分からねえし…あいつがいない事実を、多分…受け入れられてない」
 もどかしそうに後頭部を掻いて、彼は酒を呷る。
「………絶対に発見できる、とは断言できません。あなたが希望するような結果ではないかもしれません。それでもあなたは彼女がどこにいるのか知りたいですか」
 問えば、彼は強い瞳を向けてきた。
「当たり前だろ」
 単純な言葉だった。けれどその一言に、彼の全ての感情が籠もっているように感じた。
「まあ俺は、あいつのことが知りたい一心で調べて、結果あいつを手離さなきゃならなくなったんだけどな」
 自嘲する彼。「今回もそうならないように祈ってるぜ。……祈るしか、できねえから」俯いた彼の表情は窺い知れない。
「君は正直者だな」
「…え?」
 何だ急に、と目で問うてきたが赤井は和やかに微笑んで誤魔化した。
「あなたは…最後まで彼女の手を離そうとしなかった。……それだけで、彼女は充分救われていたと思いますが」
「んなもん…本人に訊かねえと分かんねえよ」
「それもそうですね」
 顔を見合わせ口角を上げる。それからここへ来て初めて、彼と乾杯をした。喉に流れた酒は、思いの外甘かった。