純黒の悪夢/前編

 翌日、苗字は赤井の車に乗り込み、ある場所へ向かっていた。職場には前もって休暇届を提出していたため、自由に行動することに問題はない。
「電話、鳴っているようだが?」
 そんな中、静寂を切り裂く通知音に赤井が出ろと催促する。苗字は発信者の名前を確認し、電話を切った。
「出なくて良かったのか」
「ああ」
「どうせ恋人には何も告げていないんだろう」
「キミには関係ない」
「俺なら、自分の恋人が何も言わずに男の車に乗り込んでいたことを事が終わってから知ったら、間違いなく責めるな」
「ほう、キミでも嫉妬という感情を持っているのか。驚きだな」
「俺も一応、人間なものでね」
 そう言って、赤井は笑う。
「リスクがあるだろう…恋人を作るのは。それなのに何故、そういう関係になったんだ」
「恋愛話、好きなの?」
 それは意外だった。思わず彼の顔をまじまじと見つめる。彼は女性に好まれそうな雰囲気を持っているが、彼自身は色恋沙汰に重きを置く人間には見えなかった。
 苗字の心情を察し、赤井がまた笑う。思いの外感情豊かだ。
「別に好きというわけではないが…そうだな、それなりに苦労してきたんでな。君が俺と同じ轍を踏まないか心配なんだ」
「宮野明美のことかな?」
「わざわざ名前を出す君は意地悪だな。……君はどちらかというと、利害関係を優先するタイプだろう。その為ならどんな関係だろうと切り捨てると思った」
 携帯端末がまた震えた。
「最悪の結末にならないよう、祈るよ」
 その言葉が鼓膜に届くと同時に、苗字は電源を切った。

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