純黒の悪夢/前編

 それから数日後、苗字はある家を訪れた。
「やあ、ご無沙汰……と、いっても、ある意味では初対面なのだけれどね」
「……来る頃だと思っていた」
 淡々と述べると、青年・沖矢昴は変声機を切った。
「それで、一体何の用だ」
「わざわざ訊くのか?」
「一応な」
 男――赤井秀一は苗字を玄関に招き入れて、変装を解く。少し鬱陶しげな仕草だった。
「FBIだって情報は掴んでいるのだろう?今、各国の機関から潜入しているノックたちが次々と粛清されている」
「ああ。先日、公安に鼠が入ったこともな」
「やはりあの場にいたんだね」
「知っていたのか。流石、組織きってのハッカーだ」
 含みを持ったその言葉に、苗字は嫌な気持ちになった。「本題に入ろう」これ以上不要な会話を続けたくなかった。
「降谷クンが行方不明なのは知っているね?ああ、ついでに私にちょっかいをかけてきたあの女も」
「ああ、知っている」
「助けたい。協力してくれ」
 単刀直入に申し出れば、赤井は少しばかり不思議そうな顔をした。そんなあっさり救出作戦を持ち掛けてくるとは思わなかったと、目が語っている。
「君にとって彼は価値があるものなのか?」
「いいや、ないよ」
 間髪入れずに否定する。「ただ…」続ければ、赤井が不思議そうに首を傾けた。
「彼に死なれたら、がっかりされそうだからね」
「…誰に、がっかりされそうなんだ?」
「キミに言う必要はない」
 どうせ少し頭を巡らせれば分かることだ。わざわざ答えを提示してやる必要はない。話はもう終わりだ。苗字は自分の連絡先が書かれた紙を赤井に握らせると、素っ気なく踵を返した。苗字にとって赤井は長時間共に過ごしたくない人物なので早々に離れたかったのだ。
「俺は随分嫌われているらしい」
 笑いを含んだ言葉を背中にかけられたが、苗字は無視した。

prev back next