朝なのに食堂の空気は重かった。ムードメーカーのシャチの元気がなかったからである。無理もないと、ペンギンは溜息をついた。殆どのクルーはその理由など知る由もないが、今マオは下船の危機に晒されている。
 ――いや、それじゃ語弊があるか。
 船を降りるか否か、その決定権はマオにある。危機というのは適切な表現ではない。
 付き合いの長いペンギンですらローの好きにしろ発言には驚いたものの、度肝を抜かれるほどではなかった。確かに最初その言葉を聞いた時は一体どういうつもりだと訝しんだものの、冷静になって彼の心境を考えてみればなんとなく察しがついた。ローにとって本当にマオがどうでもいい存在であれば即帰らせる筈だ。だがそうはせず、船長でありながら決定権を本人に譲った。その意味は重大である。
「シャチ、気持ちは分かるけどその態度……今日中になんとかしろよ」
「……」
 絶好の船旅日和な気候だというのに、彼の世界は悪天候であるらしい。
 そんな折、渦中のマオがエースと共に食堂に入ってきた。案の定エースの顔色も芳しくない。だがそんな彼など全く見えていないのか、マオはいつも通りの笑みを携えてこちらに歩み寄ってきた。
「(何でそんなに普通なんだよ…)おはようマオ、エース」
「ハヨ〜」
「…おう」
 マオはコックから朝食を受け取るとシャチの隣に座ってもぐもぐと食べ始めた。
「今日ってまだ船出さないんンだっけ?」
「ああ、ログがまだ溜まってないからな」
 マオはまるで昨日の話などなかったかのように会話をする。あまりにもいつもと変わらぬその様子に、ペンギンは内心穏やかではなかった。
「……マオ」
 何か言いたいにも関わらず無言のシャチに代わり、ペンギンが彼女の名を呼ぶ。
「ナニー?」
「昨日は大変だったな」
「あー、確かにネ」
「一晩考えてみて……どうするか決まったのか?」
 ――何で俺ばっかこういう役回りなんだよ。
 朝食の最中なのに胃がキリキリと痛む。「んンー…」彼女は露ほども察していない瞳でおにぎりを見つめていた。
「さァネ」
 あっさりと、言い放った。
「どうするかはまだ決めてないヨ。まァ、なるようになるンじゃないノ?」
「楽天的すぎないか?」
「人生、楽天的に生きたほうが得だネ」
 からからと笑うマオは、どういうわけかこの時だけ妙に大人びていた。
「ふざけんなッ!!」
 怒りに震えた声が、突然室内を満たす。
 他のクルーは突然の大声に朝の会話をぴたりと止め、シャチたちに視線を集めた。
「なに他人事みたいに言ってんだよ!お前のことだろ!?」
「落ち着けヨ。そんな簡単な状況じゃないンだからサ」
「じゃあ何でそんな冷静なんだよ!?」
「怒鳴ったって何も変わらないからだヨ」
 そうしておにぎりを頬張るマオ。米粒が唇の横についている。いつもなら可愛いくて間抜けな顔だな思うが今回ばかりは彼女のその抜けている仕草に冷や冷やする。舐めている態度だと、勘違いされかねないから。
 案の定シャチの目元が不快そうにひくりと痙攣した。
「おいシャチ……」
「何で…そんな、平気そうなんだよ…」
 怒りのあまり声も出しづらそうだ。
「俺だけかよ、俺だけ……お前がこの船のクルーだって思ってんのは…俺だけなのかよ」
「……」
「もういいッ!!」
 シャチは何も言わないマオの顔を見ずに食堂を飛び出した。勢いのあまり彼が座っていた椅子が音を立てて倒れる。「おい待てよシャチ!」慌てて追いかけるエース。ペンギンは迷ったものの視界の端にベポを捉えたため、数拍遅れてエースに倣った。マオは黙って食事を続けていた。