「良かったぁ!!」
 少女の嬉しそうな声が、憎い。
「んじゃ行くか」
「今からですか!?早すぎません?」
「そうだネ。ちょっと待ってヨ」
「あ?これ以上待つ義理なんかねえよ」
「ダメだヨ。まだやることがあるンだから」
 シャチがマオから元の世界へ帰ると聞かされたのは、エースの修行が終わって帰ってきたところだった。丁度停泊していた島の無人エリアで二人きりでどんなことをしているのだろうと不思議に思っていれば、これだ。マオは本当に、人を驚かせることに関しては天才的だ。
「シャチ」
 どん、と背中を押された。ムッとしながら振り返れば案の定ペンギンがいた。
「何だよ」
「マオ、お前のこと呼んでる」
「は?あいつは今ガキたちと話して…」
「呼んでんだよ」
 目がそう言ってる、と宣うペンギン。
「いっ嫌だ!行かない!」
 ここで会話を許してしまえばもう二度と会えない。それが分かっていたから我儘を言った。年甲斐もなく駄々を捏ねればマオが残ってくれそうな気がしたから。
「オイ馬鹿」
 だが仲間はそれを見逃さなかった。
「逃げるなよ」
「――!」
「マオはちゃんと話す気だ。お前が顔を背けるな」
 ――なんで。
 ――なんでそこまで聞き分けが良いんだよ。
 あまりにも冷静なペンギンに、怒りどころか恐怖さえ抱いた。
「俺だって嫌さ」
 ペンギンは何もかも分かっているかのように言葉を続ける。
「でも知ってるだろ?マオがどうやって来たのか」
「!」
「突然現れたような奴だ。別れだって、突然でも不思議じゃない」
 悲しい声音。
「でもよ、俺たち…仲間だろ?」
 だからどこにいたって大丈夫なんだ――。
 ペンギンの声には、少し諦観が混ざっているように聞こえた。だがそれは彼女との訣別を意味しているわけではない。彼の諦観は姿が見えなくなることが残念で仕方がない、笑顔を失いたくないという思いから来ている。が、根底には道を違えても心は一つであることを意味していた。
「ほら行け。俺はもう話してきたよ」
 とびきり優しい声で、彼は背中を押した。




「俺は許してない」
 端的に述べてもマオは逆三日月の口元を変えなかった。余計に腹が立つ。
「帰るなら勝手にしやがれ」
「……」
「見送りなんてしてやらねえ」
 そう吐き捨てて背を向ける。「例えばサ」しかしマオはどういうわけかいつもの調子でシャチの背に語りかけてきた。
「例えばシャチがサ、海のない丸い街に突然放り込まれたとするじゃン?」
「はぁ?」
 突然の語りにシャチは目を丸くして思わず振り返ってしまった。
「そンでそこにいる奴らがヘンな奴らばっかで、バカで、でも情に厚い奴らばっかで、この世界結構オモシロイって思ったりするじゃン?」
「…あ?…ああ…」
「で、ある日突然元の世界に帰れる方法を見つけた時、シャチはハートの海賊団を捨てる決意をしてその世界に残る?」
 瞬間、シャチの表情が凍りついた。
「そっ…」
「できないよネ」
 確信的な声音を、否定することができない。どんな素晴らしい人間と出会い、楽しい思い出を作れたとしてもシャチが帰るべきところは一つだけだ。これが変わることなんてない。それを分かっていて、マオはこれを例えに使ったのだ。
「ひでえよ、マオ……俺が否定できないって分かっててそんなこと言うのかよ」
 これでは彼女との別れを肯定する以外に選択肢がない。
 頼りない声で懇願するように呟けば、マオは金の瞳を僅かに細めた。
「シャチ、どんな相手だっていつか必ず別れる時が来る。それは分かるデショ?」
「…うん」
「やつがれとはたまたまこのくらいの年月だった…ただそれだけサ」
 あんまりにも達観視するマオが、遠い。一期一会の意味を正しく理解している彼女は、元いた場所に帰ってしまった際シャチたちハートの海賊団を忘れてしまうのではないか。次の新しい出会いを期待するのではないかと、疑ってしまう。
「やつがれは憶えてるヨ」
「…!」
 シャチの考えを見透かしたようにマオは続ける。
「憶えてる。オマエが死んだあともネ」
「死ぬとか……そういうこと言うな。それにお前が先に死ぬかもしれねえだろ」
「やつがれはみんなよりあとに死ぬサ」
 さも当然のように言う彼女を少し不思議に思ったが、追及するほどではなかった。
 いずれにせよマオのズルい例えでシャチは引き留めるすべを完全に失った。やはり彼女は一筋縄ではいかない。まあ、そういうところが好きなのだが。
「ところでマオ、お前キャプテンには帰ること何て伝えるんだ?」
「何も伝えないケド」
「はぁ!?」
 思わぬ返答に素っ頓狂な声が上がる。
「いや会ってやれよ!」
「ローはやつがれに会いたくないみたいだから」
「んなこと言ってもさぁ…」
 意固地になっていたシャチとだって無理やり話をしたのだ。船長とだって対話が成り立つだろう。
「ローは理解していたからネ」
「え?」
「理性的にやつがれが帰ることを理解してるなら、過度に喋るのは得策じゃアないヨ」
「いや……わかんねー」
「だろうネ」
 そうして彼女はいつものように肩を竦める。
「プライドを傷つけるだけだヨ」