THE ROCK'N'ROLL

 その日、名前は機嫌が悪かった。今日は全体的に運がなかったのである。道端で不良男にいちゃもんをつけられたし、血の繋がりを拒否したい実兄に出くわしてしまったし、挙句の果てには通りがかりの彼の知り合いに「あら妹さん?そっくりね」と言われた。その足で整形外科に行こうか迷った。
「やってらんねえ」
 苛立ちが消えぬまま、名前は進む。慌てたように背中に声をかけてきた兄を無視して、特に用もない裏路地に入った。兄は追ってこなかった。それにも腹が立つし、だからといって追ってこられても困るし、とどのつまり彼がどんな態度を取ったとしても名前の癪に触るのであった。
 むかむかとした思いを腹に据えたまま歩き続けていると、前方に細長い棒のようなものが落ちていた。何だろうと立ち止まって見てみると、どうやらそれは日本刀と呼ばれる武器だった。
「何でこんなところに…」
 現物を見たのは初めてだったから、名前は柄にもなく胸を高鳴らせた。触れてみる。結構重い。たが持てないことはない。黒鞘から抜いてみれば、鈍く光る刃金が現れた。「すご、」思わず感嘆の意が漏れた。
 その瞬間―――手から刀の重みが消えた。

「やあやあこれなるは、鎌倉時代の打刀、鳴狐と申します。わたくしはお付のキツネでございます!」
「……よろしく」

 銀髪の人間と狐が出現した。
 「…は?」間抜けな声が出てしまったのは、仕方がないだろう。カマクラジダイ、ウチガタナ、ナキギツネ――どれも聞き覚えのない単語だ。そもそも人が刀になる(現状から推測してそうなったとしか考えられない)なんて馬鹿みたいなこと、あり得ない。……いや、ここはヘルサレムズ・ロット。あり得ないことも簡単にあり得てしまう場所だ。刀が人になることぐらい、造作もないだろう。
 とにかく、下手に関わらないほうが賢い。名前は一人と一匹の突然の挨拶に返事をすることなく、彼らの脇を通り過ぎた。
「ややっあるじどの!どこに行かれるのですか?」
「は?主!?」
 いつの間にお前らの主になったというのだ。
「…何言ってんのかさっぱりだが、人違いだ」
「そんなことありませぬ!貴女様が鳴狐を顕現なさったではありませんか!」
「顕現…?」
 何だそりゃ、と眉をしかめる。
「―――供のキツネの言う通り、鳴狐を顕現なさったのは、貴女ですよ」
「?!」
 ほぼ反射で振り向き、腰のベルトに差してあった銃を発砲する。だが声の主は銃弾を軽々避け、名前の頭上を空中回転して着地した。まるで曲芸師だ。その正体は顔に変わったペイントを施した狐だったが。
 狐は平坦な声で紡ぐ。
「今回の審神者は随分手が早い」
「何者だお前。気配はなかった」
 そう、声をかけられる瞬間まで存在に気づくことさえできなかった。この獣は、只者ではない。
「申し遅れました。わたくし、時の政府の遣いである管狐……式神でございます」
「しきがみ…?」
「西洋風に言うのならば、“召喚魔”です」
 成程、道理で気配が薄いわけだ。
「それで、式神が何の用だ」
「貴女様に審神者の適正判定が出ました。これより規定に従い、本丸へと向かっていただきます」
 名前は管狐が言っている殆どの内容を理解することができなかった。「…あいつ何言ってんの?」隣にいる銀髪に訊ねてみても、銀髪は無反応だった。すると、見かねた管狐が「つまりですね…」と相変わらずの冷めた声で説明を始めた。
「貴女には刀剣男士を率いてもらい、歴史修正主義者たちと戦っていただきます」
「歴史…修正主義者?そんな勢力が存在するのか」
 聞いたことがない話だ。HLは様々な勢力が覇権を狙う場所だが、そんな者たちを見聞きしたことは一度もなかった。新勢力というわけか。
「貴女が知らないのも無理ありません。なにせ歴史修正主義者たちはこことは別の世界にいるのですから」
 「………、」やっぱり何を言っているのか分からなかった。
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双六