たまには昔話をしようか
「貴様も哀れな女だな」
「…」
「江戸などに来なければこうも容易く捕まらなかっただろうに」
「…、」
「あの男も非常に哀れだった」
言葉とは裏腹に嘲笑が浮かんでいる。男は燕の頭を掴み上げ、視線を合わせる。「…似ていて忌々しい」舌打ちをして男は荒々しく燕の頭を離す。
「あの男と同じ目をしている」
吉田松陽と―――。
久しぶりに聞いたその名前。燕にとっては血の繋がった家族。だが、顔もまともに思い出せないほど関わりの薄かった人間だった。それでも母は彼が帰ってくるのを信じて待っていたことは、よく覚えている。
―――昔々。まだ天人から発達した科学技術が地球に流れ込んでいない頃、燕は母と二人で細々と暮らしていた。燕の父、松陽は働きに出て以来帰ってきていない。それは本当に仕事だけが原因なのか、それだけではないのだろうと燕はなんとなく勘づいていた。そしてそれを勘づかれないようにしている母にも気づいていた。
「あいつの父親って国家てんぷくを狙ってんだぜ!」
「非国民だ!」
河原近くで絡繰をいじっていたら、時折そんな言葉をかけられる。たまに石まで投げつけられるので投げつけ返すが、それでもそういう声は途絶えない。
一度母に訊いてみたことがあった。国家てんぷくとは何か、何故父は非国民なのかと。すると母は怖い顔をして
「気にしなくていいの。そんな子たちに負けちゃ駄目よ」
と自分を元気づけた。
国家転覆。つまり父はこの国を変えようとしているのだ。それが良いのか悪いのか、当時幼かった燕には分からない。そんなことよりも父が家族を放ってまで何故この国を変えようとするのかが理解できなかった。こんなにも侘しいのに、こんなにもしんどいのに、こんなにも苦しんでいるのに、こんなにも寂しいのに。―――何故帰ってこない。
「父上はどこに居るのですか?」
すると母は「塾で働いているの」と答えた。
「とても忙しいの。子供たちを立派な侍に育つように、頑張っているの。この国の為にもね」
「……」
「父上を誇りに思いなさい」
そんなことを言われてもピンとこなかった。それどころか父はどうして自分の子供よりも塾の子供を優先するのかと、不満にさえ思った。