たまには昔話をしようか


 そんなある日、母が泣いていた。一人で嗚咽を堪えて。燕に気づかれないように泣いていた。だが燕は気づいていた。襖越しに途切れ途切れに聞こえる泣き声を燕は止めることができなかった。母の涙を、泣き声を止めることができる人はたった一人、ここには居ないあの人だということを燕は知っていた。
 何故泣いているのか。それを襖越しに訊ねたら、嗚咽は無理矢理押し殺された。
「……っ」
 言葉は中々出てこなかった。母は必死に紡ごうとしていたのだが、口を開けば子供のように泣き出してしまうと分かっていたからだろう。
「父上のことですか」
「っ!」
 どうやら当たりらしい。
「…っあのね、……あの人、つかまったって……」
「それは…」
「大丈夫よ、きっと…帰ってくる…」
 “捕まった”――それは、国に抗ったから。
 捕まっても尚信じている母。彼が、父が正しいと信じている。燕には理解できなかった。そこで燕は気づく。自分は松陽のことを知らなさすぎているということを。
「…燕、父上のこと、信じて待っていてあげて?」
 嗚咽混じりの母の言葉に、燕はモヤを抱えながら肯定するしかなかった。
 その数ヶ月後のことであった。燕と松陽の弟子が邂逅したのは。
 夕暮れの頃だった。いつも通り河原近くで趣味の絡繰をいじっていたら、不意に陰ができたのである。顔を上げると見たことのない青年が燕の手元を覗き込んでいた。青年のさらさらと流れる紫がかった髪は美しかった。
「…あの」
「可愛いな、これ」
 青年は燕の造っていた絡繰を指差す。「絡繰いじるのが好きなのか?」淡々と彼は質問する。
「女なのに絡繰いじりが趣味だなんて珍しいな」
「よく言われます」
「そんで太々しいな」
「よく言われます」
「……ククッ。おもしれえな、お前」
「…それはどうも」
 形の良い唇をニヤリと歪めて、青年は燕の隣に座る。紫煙の匂いが燕の鼻を掠めた。
「綺麗な髪だ。あの人によく似ている」
「!」
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