たまには昔話をしようか


 ピクリと、燕は反応する。
「…俺ァ、あの人の門弟でな」
 知りたくもない情報を青年は述べる。燕は何も言わなかった。「だから何だっていう顔だな」青年はそう言うと、面白そうにからからと笑った。
「…捕まったってのは知ってるか」
「はいまあ」
 燕の平坦な声音に青年は眉を顰めた。「…私はあなたが嫌いです」追い打ちをかけるように燕は続ける。
「あなたも、父上も嫌いです」
「へえ?」
「……だから帰ってください。父上が捕らえられたからわざわざここへ来たのですか」
「…お前、何で先生のことが嫌いなんだ」
 少し機嫌を損ねたようであった。青年の低い声に燕は内心怯えた。
「………だって…」
 モヤモヤが胸の内に広がる。心臓が苦しくなった。
「だって、私は父上の顔も覚えてないのに…何であなたたちだけなんですか…何であなたたちばっかり…私は何にも知らなくて…」
「……」
「どこに居るのかも分からなくて、帰ってこないし何してるか全然分からないし…母上を泣かせて…それなのにあなたたちばっかり見て…私のことなんてどうでもいいんだっ…」
「おい、泣くな」
「っ!」
 ぐい、と乱暴に目元を拭われる。そして男らしい手で燕の両頬を包み込んで顔を上げさせた。若草色のような鶯色のような、とにかく上品な瞳の色に燕は吸い込まれた。とても澄んでいて、気品があった。
「それ、全部先生に言え。面と向かって言え。なんなら俺もついていてやらァ」
「!?」
「それでも腹立つってんなら殴るなりなんなりしろ。本気で先生と向かい合うなら、そんくらいしてみろ」
 しかし松陽は牢獄の中。大罪人と聞くし、再び牢獄から出るのは不可能ではないのか。燕の気持ちが顔に出ていたのか、青年はフッと笑った。
「俺は先生を助けに行くつもりだ」
「!」
「必ず俺が…俺たちが吉田松陽を助け出す。だから、お前は先生に文句なりなんなり言いやがれ。今までほっぽって何やってたんだって怒りゃあ良いじゃねーか」
「でもそんなこと…」
「できる。俺たちならな。だからお前は母親と一緒に待っていてくれ」
 頬から手を離し、青年は燕の頭を撫でる。
「約束だ。必ず、助け出す」
「…じゃあ…助け出せたなら、私と一緒に父上をブってください」
「ククッ…お前は本当におもしれえ女だな」
 燕は小指を差し出す。「約束です」青年は愉快そうな表情から一変、真面目なものになって燕の小指に自らのそれを絡めた。それから青年は燕の傍らにあった絡繰の一つを手に取る。「貰ってくぜ」燕の了承も得ずに彼は懐に絡繰をしまう。
「いずれまた会う日に」
「……勝手な人だなぁ」
 そうして彼・高杉晋助は一度も振り返らずに去って行った。
 ―――松陽が処刑されたとの報が燕の耳に入ったのは、その二年後のことであった。
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