自分がしたことには責任を持て


 当時、燕は奥の部屋に居て絡繰を造っていた。松陽が処刑されてから彼女の周りは何も変わらなかった。何も、何一つだ。相変わらず母は一人の時は鬱々とした雰囲気を出し、近所の子供は自分や松陽を罵る。そして自分は、ひたすら趣味に没頭する。今思えばそれはある意味自己防衛だったのかもしれない。何でもない体(てい)を装いたかったのかもしれない。
 松陽の処刑から半年ほど経過したある日のこと。その日、何一つ変わらなかった日常が崩れ去った。こりもせず絡繰いじりをしていた折、玄関付近が騒がしいことに気がついたのだ。野次馬でも来たかと思いながら燕は玄関を確認しに部屋を出た。するとその瞬間、母が燕に向かって駆け出してきた。
「来なさい」
 有無を言わさぬ声だった。まるで鬼でも宿っているかのような母の顔色に、燕はひっそり慄いた。従うしかなく、母に引っ張られる勢いで奥に足を向けた。
「ここから逃げなさい」
 裏口を指差し、母親は命令する。そして彼女は燕を一瞥すらせず主屋に戻ってしまった。一体どういうことなのか…燕は理解できずにいた。母の言葉には従わねばならない。しかしあんな様子の母を、燕は今まで一度も見たことがなかった。余程の事が起こっていると燕は直感した。
 燕は踵を返す。向かう先は主屋。母は“逃げろ”という言葉を使った。ということは母は何か危険なものと対峙する為に主屋に戻ったのだ。松陽を失い不安定になってしまった母を置いて行くわけにはいかない。燕は使命感に似た何かを抱きながら、足音を忍ばせて廊下を歩いた。瞬間、野太い叫び声が劈く。「……、」不安はあった。しかし恐怖は無かった。何故かは知らないが、足が止まることはなかった。そして燕はある部屋まで行くと襖を開ける。そこは自分の部屋だった。その先にもう一つ部屋がある。そこから叫び声が聞こえてきていた。否、叫び声だけでない。誰か、男の声も聞こえる。そして何か叩きつけるような音。気になって、燕はそっと襖をほんの少しだけ開ける。

 ―――母は惨殺されていた。

 刹那、凄まじい恐怖にさいなまれる。先程の行動力はどこに行ったのか、呼吸すらままならずそこにしゃがみ込んでしまった。母はまだ意識があったようで、ほんの少しの隙間から覗く燕にいち早く気づき、目で“逃げろ”と訴えた。その目は充血していてまるでお化けのようだった。
 燕は駆け出した。部屋を出て行く瞬間本棚にぶつかってしまいけたたましい音を立ててしまったが、最早気にしている余裕などない。「餓鬼か!?」そんな男の声が燕を追ってくる。拙い、殺される。母のように惨たらしく殺されてしまう。死にたくない、怖い。助けて、父上――祈る燕。
 裏口に向かう途中、燕は何かにぶつかりこける。廊下には何も置いていない筈だ。顔を上げると、笠をかぶり錫杖を持った男が立っていた。(あ……しぬ…)悟る。
「……成程、よく似ている…」
 男の呟きを聞いた後の記憶は、無かった。

 次に目覚めた時、燕は知り合いの家の布団の中に居た。その家は比較的燕の母と付き合いがあったのだが火種が自分たちに移るのは勘弁のようだった。燕はすぐさま親戚に引き取られた。そこは母方の親戚で松陽のことを快く思っていない者が大半だった。そもそも母は松陽と駆け落ちしたそうで、殺されたのも自業自得だと鼻で笑うような連中ばかりであった。
「あんた、松陽の子供なんでしょ」
 燕を邪見にしたり無視したりする者の中で、唯一普通に話しかけてくれたのは母の妹だった。とはいえ妹は皮肉屋で厭味ったらしい言い方を燕にしたりするのだが、教育と称し汚い離れに押し込められた燕に飯を調達したりするなど良いところも多々あった。この期間、燕は少なくともこの妹の存在に救われた。
「…運が無いわね、あの二人の間に生まれてきて」
「あの…」
「姉さんもバカね。松陽なんかと駆け落ちして…挙句幕府に殺されて」
「……」
「ほんと……バカ…」
「…………父のこと、好きだったんですか?」
「はあ!?な、何言ってんのバカじゃないのアンタ!!」
 そう、彼女は本当に、よくできた人だった。
 ―――やがて本格的な残党狩りが始まった頃合い、親戚の者たちが燕を幕府に差し出そうかと相談し始めた。それをいち早く嗅ぎつけたのは妹だった。そして彼女は、燕を逃がした。
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