綴る想い

「わっ! び、ビックリした…」

気分転換にと中庭に行こうとしていた私の足が止まる。中庭に続く扉を開けた瞬間、小さな影が飛び込んできた。そして、その影を追いかけて来た青年が一人。固まる私と、私の足元で小さく動く相棒を見つけた彼は、目を見開き慌てた様子で私から相棒を引き離した。

「そ、そんなに謝らなくても大丈夫だよ!」

青年……ビクターは顔の前で両手を合わせ、大袈裟な程頭を揺らし、伺う様に上目遣いで此方を見ている。そんなに謝られると、逆に罪悪感を抱いてしまう。顔を上げてと伝えると、ビクターは恐る恐るといった様子で手を下ろした。
妙な沈黙が場を支配し、互いに気まずさを覚える空気が流れる。その時、ビクターの足元で大人しくしていた彼が一つ鳴き声を上げた。その声で幾分和らいだ雰囲気の中、私は折角ならと口を開く。

「あの、私…実は犬が苦手で……もし、いいのであれば手伝ってほしいの」

今まで幸運児くんと犬苦手同盟!なんてふざけていたけれど、そろそろ克服しなければならない。試合中に思わず固まってしまう、なんて事はあってはいけないのだ。幸運児くん、一足先に私は克服するよ……! と脳内に浮かんだ彼に告げた。
ビクターは私のお願いにぱあっと顔を明るくさせ、私の方へとずいっと彼を差し出してきた。どうやら快く聞き入れてくれたようだ。でも急に差し出されても触る事なんて出来ない。思わず後退った私に、またビクターは慌てた様子で距離を取り彼を地面へと置く。

「噛まない…よね?」
 
ビクターの瞳がどうぞ好きに触ってと訴えてきたので、そおっと彼の相棒へと近づく。確か目線を同じくらいにした方が良かった……? 私は殆どない知識を絞って、しゃがんで手を伸ばした。

「わあ、ふわふわしてる…それに大人しいね」

自分から犬を触ったのは、これが初めてな気がする。思っていたよりもずっと柔らかで、そして大人しい彼にほっとする。ビクターが彼を落ち着かせるように、背中を撫でているからかもしれない。

「ちょっとだけ、ううん…ビクターの相棒のこの子は大丈夫かも。可愛いなあ」

今まで怖がっていたのが嘘みたいだ。まだ犬は怖いけど、ビクターの相棒はもう平気だ。きっと飼い主に似て、穏やかな性格なんだと思う。ふふ、可愛い。
思っていたよりも毛並みの手触りが良くて、背を撫でる手が止まらない。もうビクターは彼から離れていたけれど、彼の相棒は本当に大人しくしている。毛並みを堪能していた私は、ふいに頭を撫でられた感触にパッと顔を上げた。

「!!」

今、ビクターは私の頭を撫でた……? 彼を見ると、急に撫でられた私よりも状況を理解出来ていないようだった。目をパチパチさせて、私とそして自分の手を交互に見つめている。そして、ようやく事態を飲み込めたらしいビクターは、先程とは比べ物にならないくらい慌て出した。

「急にだから驚いちゃっただけで! 嫌じゃないよ!」

あまりにもビクターが慌てるので、私にも彼の焦りが移ってしまったようだ。一息に言い切った私に、ビクターの動きが止まる。彼が落ち着いた事にほっとした私は、先程の優しげな手を思い出す。
ビクターの手は優しくて暖かくて、そして私とは違う男の人の手だった。そう考えると心がムズムズしてくすぐったいような気持ちになる。喋らなくなってしまった私の事を、そっと伺うビクターの眉はへにゃっと下がっていた。今の心の中を彼に伝えたら、また困ってしまうかもしれないけれど……私の口からぽろっと言葉が滑り落ちた。

「それに……なんだか、ドキドキしちゃうね」

言ってから恥ずかしくなった私と固まるビクターを見上げ、彼の相棒は困ったように一つ声を漏らした。

*
次の日、自室で寛いでいるとドアを引っ掻くような音が一瞬聞こえる。誰だろうとドアを開けると、ビクターの相棒の彼が行儀良く待っていた。可愛らしい訪問者に思わず顔が緩む。ビクターはいないのだろうかと部屋を出て見回したが、どうやら彼の相棒は一匹でここまで来たみたいだ。確かに昨日の今日では会いにくいかもしれない。私だってビクターを見たら照れてしまうかもしれないから、少しだけほっとしている。
私は帰る気配を見せない彼に、しゃがんで視線を合わせる。すると彼は顔を後ろの方へと向ける仕草を何度か繰り返した。よく見ると背の鞄から何か飛び出していて、どうやらそれを私に持って来てくれたようだ。そっと手に取り確認すると、宛名に私の名前が書いてある。手紙を受け取った事を確認したビクターの相棒はひと鳴き声し、そしてそのまま歩いていってしまった。
私宛の手紙にもう一度目を向けると、差出人はビクターであった。初めて受け取った彼からの手紙に、慌てて部屋の中へと戻り封を切る。
その手紙には『拝啓ナマエ様』から始まり、相棒のウィックと触れ合った事に対する感謝が書かれていた。ビクターの相棒くんはウィックという名前なんだ。次はウィックって呼んであげよう!そう思い、読み進めた私の視線が止まる。昨日の、ビクターが頭を撫でた事について書かれている。急に高鳴り出した鼓動を無視して、私は次の文へと目を進めた。急に撫でてしまった事への謝罪、そして……私に向ける好意の言葉が綴られていた。

『拝啓 ナマエ様
今まで誰かに手紙を書くなんてした事がないので、緊張しています。おかしな文、形式だったらごめんなさい。また書き方を教えてくれると嬉しいです。
昨日は僕の相棒のウィックを可愛がってくれて、ありがとうございます。ナマエさんが犬が苦手な事は知っていたけれど、ウィックの事を嫌がらずに向き合ってくれて感謝しています。ナマエさんは本当に優しい方ですね。
それと、突然頭を撫でてしまってごめんなさい。ウィックを撫でるナマエさんの優しげな表情に、誰にも言わずに仕舞い込もうとしていた僕の想いが溢れてしまいました。
ナマエさんが迷惑でなければ、またウィックと遊んでください。いや、僕と一緒に、過ごしてほしいです。急にこんな事伝えられても困るかもしれないけれど、僕の気持ちを伝えたくて。
お返事お待ちしております。
    ビクターより愛を込めて』

何度も何度も読み直して、その手紙が幻覚なんかではないと認識する。昨日のビクターの照れたような顔が浮かんで、胸の辺りが暖かくなった。私は一度も使われずに、机に眠っていた便箋を取り出す。ああ、なんて書こう! 自分宛の手紙を受け取ったビクターを思い描きながら、私は紙にペンを滑らした――。