枝豆を食べるのでさえ、妙に様になっている。よほどお腹が空いていたのか、七海はお酒にはほとんど手を付けず、黙々と口に食べ物を運んでいた。串物は箸で外すんだろうな、と偏見じみたことを思っていたら躊躇なく齧り付いたので、思わず珍妙なものでも見るような目をしてしまった。
 高専で一緒に過ごしたとはいえ、たった数年だ。七海が復帰してから何度か食事に行っているけれど、こういう食べ方をするのも初めて知った。きっとまだまだ知らないことがあるだろう。灰原がいなくなってからは会話が激減し――元々互いにそこまで喋る方でもなかったけれど――暗澹たる気持ちを誤魔化すように呪霊を祓う日々を送っていた。
「居酒屋とかってよく行くの?」
「ええ、まあ接待で腐るほど行きましたよ」
「接待ねぇ。思いっきり飲み食いできない上に常に気を配って愛想笑いしてないといけないあれね」
「家でワインを飲んでいる方がよほどいい」
「ど正論。定時すぎたら自分の好きなことしてたいよね」
 七海が術師に復帰したと聞いてしばらく会う機会がなかった。高専に寄った際たまたま七海を見つけて、復帰祝いでもと声を掛けた。渋面を作っていたから、てっきり断り文句でも言われると思っていたら、手帳を開いて空いている日を教えてくれた。それがきっかけで時々食事へ行くようになった。
 いつもと違うのは今日は二人だということだ。大抵そこに五条さんや家入さんもくっついてくる。どこから情報を収集しているのか、店に着くとうんざりした顔の七海と「イエーイ!」と能天気な声音の五条さんが迎えてくれる。家入さんはちらりと寄越す視線で軽く労ってくれる。任務帰りのボロ雑巾のような体に、ちぐはぐなその空気は意外にも優しく沁みた。
 私の乏しい想像力ではどうしても七海の愛想笑いを生成できず、あれこれ無駄に頑張っていると顔に出ていたのか、当の本人が眼光鋭く私を串刺しにする。
「さっきから失礼なことばかり考えているでしょう」
「あ、いや、私の中で七海ってすごく紳士で、所作も綺麗だし、人に媚び売ったりしないし、強くていざというとき頼りになるし、なんというか神格化してるところがあってね。だから接待での七海を全然想像できなくて」
 勝手に期待して像を作り上げている時点で失礼だろうか。僅かに顔の角度が変わって七海の目が眼鏡の奥に隠れる。鼻あてに軽く触れ、押し黙ってしまった。自分では最大限七海のことを褒めたたえたつもりだし、日頃からそう思っているので、過剰なお世辞にも聞こえなかったと思うのだが。お世辞かどうかはこちらが判断する、と言われてしまえば身も蓋もないけれど。
 本日二杯目のビールがもうなくなりそうだった。七海のグラスにはまだ半分以上残っている。食べたい気分だと思ったが、それにしては食べるペースも落ち着いてきている。飲まないのではなく、飲めないのでは。
「今日あんまり飲まないね。もしかして体調悪い?」
「いえ、そうではなく。酔うことは滅多にないですが……あなたと二人きりでの食事で多少浮かれていますので、うっかり触れてしまうようなことがあってはいけませんから」
 口からビールがこぼれそうになった。慌てて閉じる。仕切り直すようにわざとらしく咳払いをしてみる。
「……七海さん、酔ってないって言ってるけど、もしかして酔ってる?」
「送り狼とやらになった方がいいですか?」
「な、ならなくていいです!」
「……」
「ちょ、どうしたの七海! なんか今日変だよ」
 普段の彼からはおよそ結びつかない言葉が飛び交う。真意は読めないが、私をからかっているわけではないという確信ならある。たった数年だけだったとしても、七海の芯の部分は知っている。
 おろおろと様子見するしかなく、間を持たせるためにぬるくなったビールの残りを一気に流し込んだ。
「……お見合いをするというのは、本当ですか?」
 ぽつり、と雨が頬を叩くような声が落ちた。なぜ七海が知っている? という疑問よりも先にある人への文句が浮かぶ。私の個人情報駄々洩れじゃないですか。管理が杜撰すぎるよ五条さん。けれど、七海の様子がいつもとだいぶ違う理由は分かった。それよりも七海が聞いてきた≠アとに対して心が逸る。
「そうだけど……っていうかもう終わったけど」
「は?」
「もちろんお断りしたよ。私好きな人いるし」
「それは……初耳ですね」
「うん、ずっと隠してたからね。私は高専のときからずっと七海のことが好きなんだよ」
「ちょっと待ってください」
 五条さんも人が悪い。事後報告に手を加えすぎである。面白そう、のついでによかれと思ってやったんだろうなというのが丸わかりだった。
「言うつもりなかったのに、七海がおかしいから口が滑っちゃった」
 七海が聞いてきた時点で、私はもうこの流れに乗ると決めていた。生真面目な七海の口が少しだけ開いて間の抜けた表情になっている。眉間の皺、顰めた眉、怒ったように引き結ばれた口元、呆れを通り越した無表情。私の記憶の中の彼は、いつも機嫌が悪そうだった。笑顔なんて見たことがない。復帰する前は人間関係を円滑にするために、それこそ接待の席で愛想笑いくらいはしていたかもしれない。
 思い出した記憶に『高専のときの七海』とタイトルをつけて心に仕舞う。『同僚としての七海』は現在も更新中で、それとはまた違う『七海』が加わろうとしている。
 互いの間に横たわった不文律へ図らずも彼が罅を入れた。
「ねえ、七海。私、自惚れてもいいの?」
 小さな罅に指を添わせる。閉じ込めていた想いにもう一度向き合っていいのなら。
「……ええ、存分に」
 夜の湖を思わせる静かで澄んだ声音が私を包んだ。初めて見る表情ばかりで目が離せない。手を伸ばしてもいいのか確認するような、優しいまなざしを持て余してしまう。
「送り狼になる?」
「今日はやめておきます。急いてことを仕損じたくはないので」
「……」
「技術的というか、そういった意味で言っているんじゃありませんよ」
「わ、わかってるよ! 七海が紛らわしい言い方するから!」
「そこまで考えてくれているなら嬉しい限りです」
 私の心を無視して土足で上がりこむようなことはしない人だ。茶化さなければ良かったと後悔する。張った虚勢ごと抱きすくめられた気分だった。
 七海も私も隠すのが随分上手らしい。「二人とも素直になるのが下手だね」と、いつか灰原が言っていた言葉の意味をようやく理解する。そんなことないよ、と抗議した日が懐かしい。すれ違いに拍車をかけるのはここまでにしておきたい。
 私たちだけが分かっていなくて、周りにはしっかりとバレていて、先輩たちからは世話を焼かれて。恋心を抱えたまま卒業したのは彼も同じだったようだ。
 歳だけは立派な大人なのに、案外こういうところはまだまだだなあと言ったら、七海も同意するように微かに笑みを浮かべながらグラスに手を伸ばした。