ワールドエンド 02


(アーサー視点)

ㅤ私とナナは幼い頃からの顔見知りだ。私がグランヴェル城で過ごしていた幼少期は、3つ年上の彼女は週末になると必ず、手作りのお菓子を手土産にやって来ては私と遊んでくれていた。かわいがってくれた曾祖父の曾祖父が魔法使いだったと言う彼女は魔法が使える私を嫌うことも、嫉むこともなかったが、それ以上に、年齢のわりに妙に大人びたところのある少女だった。多くは語らず、静かで、月のない夜のように凪いでいる子ども。それがナナだった。
ㅤ私にも母上の愛情が欲しかった頃がある。おそらく、その幼さ故に、母上に愛してほかしかったんだろう。不透明で目に見えない、けれど確かに温もりのある愛をねだり、「おまえは我が子ではない」と否定される度に自室にこもって泣いていた。幼ながらに、実の母親に抱きしめてもらえない寂しさと、「いつかは私の声に耳を傾けてくださるかもしれない」という期待を抱いていたのだ。母上に拒否され、恐ろしいものを見るような目で見つめ返された時は悲しくもあったが、母上の瞳に己が映ることが何よりも嬉しかった。しかし、その悲しさと喜び以上に、ベッドに潜り込んで眠らなければならない夜が恐ろしかった。静かな夜は思い出したくないことや後悔ばかりが胸をよぎる。真っ暗な闇の中から魔物が飛び出してくるのではないかと怖くなり、やわらかな毛布の中に身を隠すと決まって、私を見つめる多くの冷たい目を思い出していた。嘲笑、畏怖、軽蔑。魔法が使える私を取り巻く人々の目には、快い感情はこもっていなかった。
ㅤ寂しく、苦しく、寒い。眠りたくないと駄々をこねる私のそばにいてくれたのがナナだった。グランヴェル城に宿泊する際、彼女は必ずと言っていいほど来客用の部屋を抜け出して私の部屋を訪れ、彼女が聞いたことのある魔法使いたちの話をしてくれた。北の国には恐ろしい魔法使いがいて、南の国には優しい魔法使いがいる──そんな話を、ランプのかすかな光でぼんやりと明るくなったベッドの上で聞かせてくれたのだ。
ㅤ彼女は何も言わず何も聞こうとしなかったが、ただ静かにそばにいてくれた。私が王子だからという理由で甘やかさず、贔屓も同情もしなかった。それが心地よかった。国王陛下の嫡男としての私でもなく、魔法使いの私でもなく、ただの1人の子どもとして、友達としてそばにいてくれた。
ㅤナナという、唯一の友に向ける愛情はいつしか違う方向へと舵を切り、私の心には暖かい感情が張り付いて、そっと寄り添っていた。北の国でオズ様と共に過ごした日々の合間に、根を張った想いはおそらく育っていたんだろう。あの頃の私は、あまりにも自然に生まれたその感情を持て余し、家族に向ける愛情と同じものだと勘違いしていた。姉のように優しく、せがめば私を抱きしめてくれた彼女はずっと昔から私の特別な女性だったが、その“特別”が間違いだと、勘違いだと気づいたのは中央の国に戻ってしばらく経った頃、彼女との婚約を知った時だった。私は彼女を家族としてではなく、1人の女性として愛していたのだ。そしてそれは恋心の自覚でもあり、同時に失恋でもあった。何故なら彼女は、私が北の国で過ごしているうちに魔法使いを忌み嫌うようになっていたからだ。9歳の頃に邪悪な魔法使いに拐われ、無事に救出されたとは言え心に大きな傷を負った彼女は私との婚約が再び取り決められたと知った瞬間に泣いて、こう言ったそうだ。アーサー様とは結婚したくない、と。

ㅤすでに将来を誓い合った想い人がいるのか、それとも、魔法が使える私など恐ろしくてたまらないのか。


***


「アーサーには婚約者がいるんですね」

ㅤ政務の合間に訪れた魔法舎の食堂で、紅茶を飲んでいた賢者様が何の気なしに呟き、そばに腰かけていたオズ様は片眉を上げ、シノやヒースクリフと話していたカインは激しく咳き込んだ。スノウ様とホワイト様が賢者様におっしゃったんだろう、無邪気な子どものような笑い声を上げてチュロスを召し上がっていらっしゃる。中央の国では公然たる事実ではあるが、歳若い賢者様にその話題を口にされると気恥しさが勝る。

「まさか賢者様がご存知とは」
「スノウたちが教えてくれたんです」
「やはりそうでしたか……」

ㅤスノウ様とホワイト様は私で遊んでいらっしゃるに違いない。そうでなければ、「賢者ってば直球〜」「我も恋バナした〜い」とお笑いにはならないはずだ。“恋バナ”なるものについては以前の賢者様が時おりおっしゃっていたので心得てはいるが、残念ながら私とナナはそういった関係ではない。

「生まれた時から決まっていたことです。賢者様が期待なさっているような話ではありませんよ」

ㅤ賢者様は私の言葉にわずかに目を見張り、瞬きを繰り返した。彼はナナに会ったことはない。魔法使いを恐れ、嫌っているのだから姿を見せなくて当然だが、彼女はグランヴェル城で開かれた賢者様のパーティーには来なかった。けれど、一目でもいいから会いたかった、というのがが本音だ。彼女が恐ろしい思いをするのならば会わないほうがいいと思う反面、わがままになってしまっている。

「どんな方ですか?」
「愛らしいひとですよ」

ㅤ ナナは優しく、綺麗な女性だ。ひと月前に会った時も、そう思った。中庭の白い椅子に腰かける彼女は花壇や鉢植えに咲く花々を見て穏やかな笑みを浮かべていた。こちらまで穏やかな気持ちになるような、優しい微笑みだ。しかし彼女は私に気がつくと、表情を曇らせ、身体を強ばらせた。いつもの彼女の仕草、表情にはもう慣れてしまっている──そう強がり、気持ちを切り替えるしか術はない。
「ちょっと複雑なんだ」私を気遣ってカインが賢者様に耳打ちしたが、賢者様は未だにピンと来ていないようで、不思議そうに首を傾げるばかりだ。

「でも、スノウが言うには両想いだと……」
「はい?」

ㅤ賢者様のお言葉に思わず声を漏らせば、賢者様は困り果てたと言わんばかりの表情でスノウ様に助けを求めた。カインは驚きのあまり口を噤んでいる。さまよっていた賢者様の視線は、静かに食事を続けていらっしゃるオズ様に、そしてようやく私に巡ってきた。スノウ様がおっしゃったという、その言葉はきっと冗談だ。賢者様や私をからかうための、少々質の悪いそれだ。
ㅤ期待はしない。愛をねだりはしない。己に言い聞かせている時点で期待しているだろうに、私は賢者様のお言葉の続きを待っている。

「ナナはアーサーが国に帰るまで毎日のように祈っておった」
「そなたの生死もわからぬ状況であったがの」

ㅤ賢者様に代わってスノウ様とホワイト様が語られ、私はまた目を見開く。健気じゃのう、とシナモンパウダーを口の端につけたままおっしゃったホワイト様はまた一口チュロスを頬張り、悪戯っ子のような笑みを私に向けた。ナナは魔法使いが嫌いで、魔法使いである私のことも嫌っている。そんな彼女が、私のために祈りを捧げるとは思えなかった。お二人の話はにわかに信じ難いが、無意味な嘘をつくような方々ではないとわかっているだけに、嘘か偽りか判別できない。

「……スノウ様とホワイト様はナナと顔見知りなのですか?」
「はて、そなたが5つか6つか、そのくらいの頃じゃったか? ナナは護衛もつけずに1人で中央と北の国境を越えようとしておってな。我らが通りかかったからよかったものの、そなたの許嫁殿は随分と無鉄砲なおなごのようじゃな」
「国境を!?」
「あの娘は頭がいい。どうにかそなたの居場所を突き止め、会おうとしたんじゃ。いささかお転婆なようじゃが」

ㅤ中央の国から北の国へと続く道は深い雪で閉ざされ、魔法使いや魔物にも危険が及ぶ交通路ばかりだ。降り積もった雪で歩みは進まず、吹き付ける風は凍えそうなほどに冷たく、道から少し逸れた深い森の奥には古代の恐ろしい生物が潜んでいる。その道を、幼い子どもが通ろうだなんて。たとえ、お二人がおっしゃっていることが真実であってもそうではなかったとしても、想像するだけで背筋がゾッと冷え込む。

「なぜ……私に教えてくださらなかったのですか?」
「頼まれたからのう。アーサー様だけにはお伝えしないでください、とな」
「そんな……」
「そなたの無事が確認できたのならそれだけでいいとも申しておったな。我、感動したわ」
「我も我も。あの時ばかりは人間も捨てたものじゃないと思ったのう。娘を保護して国に返してやったら誘拐犯だ邪悪な魔法使いだなんだと罵られたが──おや」

ㅤ嘘か偽りか、そんなことを考えるのも無意味だ。お二人が私に嘘をついたことなど、ただの一度もないのだから。失礼ながらスノウ様のお言葉を遮って席を立ち、早口で「会ってきます」と言うと、お二人はにやりと笑い、オズ様は溜息をつき、カインは「えっ」と短く声を上げた。

ㅤ思えば私は、言いたいことはきっぱりと言う性分である彼女に、面と向かって「嫌い」だと言われたことはなかった。


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