ワールドエンド 03
(アーサー視点)
「アーサー様は偉大な魔法使いにも、国王にもなります。ナナは信じております」
ㅤきっと、と付け加えるでもなく当たり前のようにそう言った彼女に、幼い私の胸は確かに熱くなった。
***
ㅤナナが暮らす屋敷は、中央の国の片田舎にある。春には色とりどりの花が鮮やかに咲き誇り、夏には真っ赤に熟れた果物が木に実る。私は数回しか訪れたことはないが、彼女の屋敷はいつも温もりに満ちていた。彼女は、ここで愛し愛されて育った女性だ。
ㅤ門の前に立っている屈強な門番に声をかけると、門番は私の顔を見るなり顔色を一変させてその場で飛び上がった。
「ア、アーサー王子……!? なぜここに……」
「ナナに会いに来た。公爵と夫人に許可をいただきたい」
「たっ、ただ今!!」
「いや、そう慌てなくても──行ってしまった……」
ㅤ慌ただしく屋敷の敷地内へと駆け込んでいくうしろ姿を見送り、閉ざされた門を前に溜息をつく。スノウ様とホワイト様のお言葉を疑っているわけではない。心に従うままナナの屋敷まで来てしまったが、1年に数回会うか否かの間柄で彼女のもとまで来てよかったのかと、今さらながら考え込んでしまう。そもそも、スノウ様たちがナナと会ったのは10年近く昔のことだ。私の身を案じ、祈ってくれていたとは言ってもそれは過去のことで、妙齢の彼女にはすでに懸想している相手がいるかもしれない。ナナは3つも年上で、家柄もよく聡明な女性だ。私が中央の国に帰る頃には社交界での挨拶も済ませていた彼女には、いわゆる好い人がいたのかもしれない──そう思うと、胃のあたりがきゅっと絞られるような心地がした。
「アーサー王子! お、お待たせいたしました……! さ、こちらに!」
「ああ、ありがとう。礼はあとで城の者に持たせよう」
「い、いえ、そんな……」
ㅤ汗だくになりながらも私のもとに駆け寄ってきた門番は、肩で呼吸を繰り返している。私が連絡もなしに訪れたばかりに申し訳ないことをしてしまった。こういった無鉄砲なところは、私の短所だ。勝手に動き回るなとオズ様に怒られた幼き日々を思い出すも、懐かしむ前に門が開かれ、両脇を様々な植物で彩られた白い石畳が姿を見せる。
「アーサー殿下、ようこそいらっしゃいました。このようなお出迎えとなってしまいまして申し訳ございません」
「いや、手配ひとつせずに来た私が悪いのだ。すまない」
ㅤ門番と共に入口までやって来たらしい燕尾服の老爺は息を切らし、白手袋をはめた手を胸の前にかざして恭しく頭を下げた。確か、彼は私が幼かった頃からこの屋敷にいる執事だったはずだ。黒々としていた髪は白く染まり、うしろに撫でつけられている。高齢の彼にまで走らせてしまったことを申し訳なく思ったが、「どうかお謝りにならないでくださいませ」と半ば叫ぶように言い募った彼は紅潮した頬を更に赤くさせた。しかし、彼はすぐに我に返って数回咳払いした。
「実を言うと、あなた様がおいでになってくださって旦那様も奥様も安心なさっていたところなのです」
「安心?」
「それが……」
ㅤ彼は神妙な、険しい顔つきのまま言葉に詰まった。公爵と夫人、そして私にも関係していること。それはどう考えても、ナナ以外にありえないのではないか。嫌な予感がして思わず立ち止まれば、深い皺の刻み込まれた彼の顔がいっそう気難しそうなそれになった。
「失礼を承知で申し上げますと……ナナお嬢様は、他の男性と結婚をしようとしているのです」
「結婚だと……?」
「あなた様のお気分を害すつもりはなかったのです。……もちろんお嬢様も本意ではございません。お嬢様はわたくしよりも年上の、それも離婚歴がいくつもある辺境伯と結婚すると言って聞かないのです」
「彼女はその辺境伯とやらを愛しているのではないか? だったら、私は潔く──」
ㅤ彼女の幸せを壊してまで結婚しようとは思わない。国のことを思えば結婚すべきだとわかっているが、彼女に心に決めた相手がいるのなら身を引くべきだ。今はまだ婚約破棄は難しくとも、私が国王となれば、いずれは──かすかに胸のあたりに走った痛みを無視して笑うと「いいえ、とんでもございません」と首を振った執事の瞳に切実な光が宿った。彼はナナを実の孫娘のようにかわいがっていた記憶がある。彼女のことでわからないことなどないであろう彼の言葉は力強く、確信に満ちていた。だとすれば彼女は、好きでもない愛してもいない男と結婚しようとしているのか? 一体なぜだ?
「どうか、アーサー殿下」
ㅤ彼は再び恭しく頭を下げ、泣き出しそうな、悲しそうな瞳で縋るように私を見つめたかと思えば、整備された道からは逸れた細い小道を指さした。在りし日に、ナナと何度も通った小道だ。ここを通れば近道になるのだと、悪戯っぽく笑っていた彼女を思い出す。
「使用人どもに無用に騒がれては困りますでしょう。こちらの小道を真っ直ぐお進みになり、裏口からお入りください。階段を上り、向かって右の、壁に飾られたグランヴェル城の絵の向かい側がお嬢様のお部屋でございます。どうか、お話し合いを」
ㅤ実を言うと、ナナの部屋を訪れるのはこれが初めてだった。執事の言う通りに小道を進み、草木に隠れた木製の扉を探し当てて忍び込むと、ひんやりとした冷たい空気に包まれる。石造りの簡素な階段は明かりひとつなく、一段一段を上る度に硬質な音が壁に反響して響き渡った。オズ様と過ごした城やグランヴェル城以外で、裏口から建物に入ったことはないが、近道ができるのならそれに越したことはない。
ㅤやがて階段がなくなり、開けた空間に出た。グランヴェル城の絵画を探すと、飾られた1枚の立派な絵画と、その向かいにダークブラウンの扉を見つけた。あそこが彼女の部屋だろう。
ㅤ会うべきか、そうではなかったのかは私にもわからない。けれど、北の国から帰って一度もちゃんとした会話をしていないことに気づいてしまってはこのまま引き下がりたくはなかった。何よりも、彼女を諦めたら後悔してしまう気がしたのだ。意を決し、右手でノックをする。彼女は室内でくつろいでいるのか、「はい」と気の抜けた声で応えた。こんなに穏やかで、優しい声を耳にするのは久々だった。
「私だ。……アーサーだ」
ㅤ扉の前でそう告げた途端、何かが床に落ちて砕け散るような大きな音がした。陶器かガラス製のものが落ちたのかもしれない。気が動転すると何をしでかすかわからない女性だ。自分で拾おうとして怪我をしかねない。勝手に入室するのは気が引けたが、返事を聞く前に扉を開けると、ナナは椅子に腰かけたまま固まっていた。彼女の足元には粉々に割れたティーカップの残骸が散乱し、木製の床は濡れ、こぼれた紅茶からは湯気が立ち上っている。
「ナナ。すまない、突然来て驚かせたと──ナナ?」
ㅤナナは驚くような速さで椅子から立ち上がり、窓辺のカーテンの中に隠れてしまった。私から逃げたがっているのはわかるが、本当に、気が動転すると何をしでかすかわからない。彼女は存外に幼いところがある。
ㅤふと、彼女が座っていた椅子の近くのテーブルの上に目が行く。彼女が先程まで読んでいたのであろう本の脇にそっと置いてあるその栞には、見覚えがあった。手に取り光にかざすと、淡い色の花びらがそっと花開く。それは私が北の国に置き去りにされる前にナナに贈った、光に反応して鮮やかに開花する花だった。この花は魔法使いが特殊な加工をしない限りたったの1日で枯れてしまうものだ。そんな花を、わざわざ栞にしたのか。彼女の気まぐれで大事にしてくれていたのか、あるいは。
ㅤ栞を持ったままナナに近づけば、薄いカーテンが揺れた。隠れんぼが大の苦手だった幼い彼女を思い出し、胸を突くような懐かしさに目を眇める。
「隠れんぼでも?」
「……いいえ」
「では何を?」
ㅤ意地の悪い質問だと、自分でも思った。私から逃げたくてカーテンの中に隠れたに決まっているのに、ナナに言わせようとするなんて。しかしこの質問は、彼女が思っていることを聞くにはちょうどよかった。
「おまえは、私が嫌いだろうか」
ㅤややあって、ナナは「ええ」と答えた。
「魔法が使える私など、恐ろしいだろうか」
ㅤそれからまた、ナナは「ええ」と答えた。
「ならば、私の顔を見て言ってくれないか?」
ㅤカーテンを引っ張ると、ナナも抵抗してカーテンを引っ張った。弱々しい力だ。私よりも頭ひとつ分は背の高かった彼女は私が知らぬ間に随分と小さくなって、私が知らぬ間に美しい女性になっていた。
ㅤそんなに泣きそうな声で私を嫌いだと言うのなら、恐ろしいと言うのなら、顔を見せてほしい。彼女をカーテンから引き剥がし、痛くないであろう程度の力で肩を掴む。予想通り、彼女の瞳は泣きたそうで悲しそうだった。
「おまえは、私が嫌いだろうか。魔法が使える私など、恐ろしいだろうか」
ㅤもう一度同じように聞くと、俯いている彼女の瞳に水の膜が張り、溜まった雫が白い頬を滑った。
「わたしはあなた様の妻には相応しくありません」
「なぜだ?」
「わたしは、ひどい人間です。とてもとても、わがままなのです」
「何度も考えました。あなた様が人間だったならと」ナナは泣きながら、神前で懺悔する信者のように「ごめんなさい」と呟いた。