羽化 01


ㅤ幼い頃に誘拐され、魔法を使える貴重な子どもだからという理由で売り飛ばされた。魔法使いを神のように信奉する教団や魔法によって膨大な利益を得ようとしている実業家、魔法使いの身体で様々な実験をしている研究所、普通の人間の手には負えない獣や魔物の退治を生業とする傭兵ギルド──両手の指では数えきれないほどの場所を転々としたけれど、ある時、わたしの人生は一人の魔法使いとの出会いによって急転した。

「へえ、てめえも魔女か」

ㅤわたしの雇い主の自宅に置いてある財産を盗みに来た男は魔法使いで、盗賊団のボスだった。それなりの利用価値があると判断したらしい男は宝石や金と一緒にわたしまで盗み出すと、盗賊団の潜伏先でわたしにあれこれと命令した。

「ボスは一体なんのためにガキを連れてきたんだってんだ?」
「いくら魔女でも、ありゃ幼すぎんぜ」
「まさか、そういう趣味なんじゃ……」

ㅤ連れ去られた当初は古株の魔法使いたちもあれこれと不平不満を口にしていた。曰く、ただ使いっ走りとしてこき使うため、将来的に自分のものにするため、もしくは、ボス自身がロリぺド野郎だから。わたしの耳にも入ってくる噂はその3つが主だったけれど、下っ端として働いているうちに誰も何も言わなくなったので慣れてしまえば盗賊団での生活も気楽なものだった。
ㅤ言うことを聞いて、大人しくしておけば衣食住を与えてもらえる。そこに自我を確立していなくともボスやトップに近しい魔法使いに従えばいいだけの生活は味気なくつまらないものだったが、流転する水のように各地を彷徨う生活にとっくに疲弊していたわたしには、そのくらい面白みに欠けているほうが性に合っていた。

「なあ、ナナ……頼むよ」

ㅤけれど、流れるように生きていたら、仲間たちは成長したわたしを女として見るようになった。わたしが初潮を迎える頃には、俗っぽい目つきも本格的に性的なそれに変わって、全身を舐め回すように、値踏みするように一挙一動を観察されていた。女に変わるのを今か今かと待ち望んでいる男たちはわたしの肩や腰に触れ、意味ありげな視線を寄越す。
ㅤ男だらけの集団生活とはいえ、組織には見目麗しい魔女もいるし街に行けば女と遊ぶ余裕はいくらでもある。お尋ね者だとしても、夜の街で一夜の女を買ってしまえばいいだけだ。貴族や農夫、果ては犯罪組織の男の愛人になる娼婦は掃いて捨てるほどにいる。だというのに、盗賊団の男たちは街まで行く手間を惜しんで、手近なわたしで済ませようとしていた。

「離して」
「いいだろ? どうせボスのお手つきなんだからよ」

ㅤ男は、わたしよりも数百歳は年上の魔法使いだった。いつかはこうなるとわかっていても、無様に身体を拓かれる覚悟はできていなかった。足が震えて膝の骨がぶつかり合い、歯がカチカチと音を立てる。ボスや他の魔法使いのように、数多くの修羅場を掻い潜ってきたわけでもないわたしには目の前の男が恐ろしい魔物に見えた。
ㅤまず薄暗い部屋に連れ込み、次に手足の自由を奪い、まったくのでっち上げを口にした男は大人しいわたしに気をよくして、上機嫌に口笛を吹いた。わたしはボスのお手つきでもなければ、お気に入りでもない。ボスには一晩だけの恋人が何人もいるし、そもそも彼はわたしを拾ってからずっと無関心を貫いている。それを言ったところで、息を弾ませ興奮している男には大した意味を持たない。むしろ、調子に乗らせてしまうかもしれない。

「離して!」

ㅤ太ももに男の浅黒くて太い指が食い込んだ。上着を破かれ、スカートも脱がされていく様子をただ呆然と見つめるしかできないわたしの顔に、生ぬるくて酒臭い息が吹きかかった。背中がぞわりと粟立ち、恐怖に耐えかねた涙がつい流れていく。
ㅤ恐ろしい。気持ち悪い。

「いや……!!」
「いってぇ!!」

ㅤ男を突き飛ばした拍子に部屋中の物が倒れ、キャビネットに置いてあった酒瓶やグラス、高価な花瓶なども床に落ちて凄まじい音が響いた。粉々になったガラス片があちこちに散らばり、様々な色の液体によって床が濡れている。ローテーブルの上に押し倒されていたわたしの足も、鮮血のように赤いワインの海に浸っていた。

「このクソガキ!」

ㅤ憤慨を滲ませる、低い唸り声に肩が揺れた。ぼんやりとしている暇はない。早く逃げないと殺される。きっと、死ぬよりも苦しい苦痛を与えられる。わかっているのに、恐怖から抜け出せていない足が竦み、立ち上がるまでに時間がかかった。

「魔法なんて使いやがって! ぶっ殺してやる……!」

ㅤ顔をズタズタに引き裂かれ、血だらけになっている男はわたしの髪を掴んだ。ギョロギョロと動く目玉は血走り、白目に浮かぶ青や赤の細い血管までよく見えた。ワインやリキュールの匂いに混じって鉄臭い匂いが鼻をつき、髪を掴まれたまま引きずり回されたことで膝や手のひらが傷ついて、その痛みに悲鳴を上げそうになる。極限状態に陥り敏感になっている痛覚や嗅覚は、更に焦燥を煽り立てていた。
ㅤ呪文を唱えなければ。今すぐ逃げなければ。殺されるだけならまだいい。犯されて、この男と特に親しい者たちに回されるかもしれない。そんなのいやだ。好きにされてしまうくらいなら、今すぐ舌を噛み切って死んだほうがずっといい。

「おい、なんの騒ぎだ! 俺のモンをぶっ壊したんなら、ただじゃ──」

ㅤ舌を噛もうと歯に力を入れたのと同時に、部屋の扉が開いた。わたしも、わたしの髪を掴んでいる男も聞き慣れているその声を聞くだけで、反射的に背筋が伸びる。集団をまとめ組織を仕切る才能に満ちた、上に立つ者としての威厳と自信にあふれた声が一旦途切れると、男は顔色を真っ青にさせてわたしの髪から手を離した。
ㅤボスは手に入れたものを奪われることを嫌う。彼自身が壊したり、消費したりする分にはいいけれど、他人が手を下すことは絶対に、何があってもよしとしない。だから、ボスがこの部屋に広がる惨状を前にして黙っているはずもないのだ。

「どういうことだ」

ㅤ怒りのこもった、地を這うような低い声だった。手負いの獣の咆哮のように他者を寄せつけない威圧感と存在感を放ちながら、彼は拳で壁を叩きつける。何年もここにいるわたしでも滅多に見ることのないその表情はわたしたちを震え上がらせるには十分だった。
ㅤボスの大事なものを壊してしまった者に求められる対価は、ただひとつしかない。男は裏返る声で「違うんです!」と早口に否定し、ボスのそばへと擦り寄って器用に啜り泣くふりをした。

「この女が誘惑を! 誘いに乗らなかった私に、癇癪を起こしてボスの大切なものを……!」

ㅤ男の言葉を聞いて、ボスの目がわたしに向いた。澄み切ったつららのように冷たい眼光は、見つめられている場所から切り裂かれそうな鋭さを孕んでいる。
ㅤここで死ぬんだと思った。この男が言っていることは嘘だと、襲おうとしたのはこの男だと、そう言ったところで信じてもらえない。わたしがボスのもとにいたのは5年かそこらだ。片や、真っ赤な嘘をついて泣きついている男とボスは軽く100年以上の付き合いがある。
ㅤわたしなんて、ボスにとっては気まぐれに拾った野良猫のようなものだったのだろう。信頼も信用もなく、彼に飼われたから言うことを聞いていただけの関係だ。
ㅤこんなところで死ぬなら、海にでも草原にでも、一度でもいいから行ってみたかった。さっきまではここで死んでやると意気込んでいたのに、他の恐怖を前にした途端に未練が生まれる。燃やされるのだろうか、心臓を銃で撃ち抜かれるのだろうか、拷問の末に生き埋めにされるのだろうか。どんな手段で殺されても、苦しむことは間違いない。
ㅤ恐ろしくて俯けば、血だらけになった膝小僧と手のひらが目に入る。頭の中は痛みとやるせなさ、恐怖と怒りでもみくちゃになって涙も出てこない。震える身体を抱きしめたくても指一本動かせない。すると、ただしゃがみ込んでいるわたしの頭上から大きな舌打ちが聞こえてきた。

「てめえみたいな愚図はいらねぇ」

ㅤ男が、ボスの一言でほくそ笑んだのが気配でわかった。
ㅤついに終わる。殺される。できれば痛みもなく死にたい。いやな人生だったな──ようやく流れ落ちた涙を見下ろしながら、死を待った。しかし、数秒後に「えっ」と短い声を発したのは男のほうだった。頭が真っ赤なトマトのように潰れ、ケチャップのような血飛沫が酒臭い空間を侵していく。何が起きているのかよくわからず、呆然と見つめているうちに飛沫の勢いは弱まり、やがて男の肉体は石化して砕け散った。部屋を赤く染めていた血液も消え去り、あとに残った石だけがころんと床に転がっている。

「……馬鹿な奴。この状況じゃ誰も信じねえよ」

ㅤいつの間にかボスのそばに立っていたネロさんが亡骸を拾い上げ、鑑定士のように薄暗い明かりに石をかざした。

「ナナはこっちで預かる。だから言っただろうが。てめえにゃ子どもの世話は向いてねえ」
「いい。俺んとこに連れていく」
「いいって、おまえな!」

ㅤネロさんは「ナナがこんな目に遭ったのはてめえの不始末だぞ!」と怒鳴りながらボスの胸ぐらを掴んだ。彼の手から落ちたマナ石が硬質な音を立てながら転がり、そちらに視線をやったネロさんと目が合った。

「《アドノディス・オムニス》」

ㅤネロさんが呪文を唱えた途端に手や膝から流れていた血が止まり、痛みも和らいだ。状況が呑めない。どうしてわたしじゃなくてあの男を殺したのか、どうして治癒魔法を施してくれたのか、ひたすら混乱しているわたしには何も理解できなかった。肩に上着をかけられ、身体がガタガタと震える。ネロさんはそんなわたしを見て困ったように眉を下げた。

「そう怖がんなよ。……つっても、無理だよな。おい、ブラッド」
「わかってるっての! おら、来い。おまえはしばらく俺の部屋行きだ」
「来いじゃねえよ、馬鹿野郎! 怪我してんのに立てるわけねえだろ!」

ㅤボスは面倒くさそうに舌打ちし、片手で首裏を掻きながらもう片方の手をわたしに伸ばした。好戦的で横暴そうな表情や言動は、いつもなら頼りになると思っていたはずなのに今ばかりは大きな手も大きな身体も怖かった。

「いやっ!」

ㅤ乾いた音が響いた。ボスもネロさんも驚いて、目を見開いている。ボスの手を振り払うなんて、今度こそ殺されてしまってもおかしくない。

「……ご、ごめんなさい、わざとじゃ……自分で立てます、怪我も大丈夫です」
「ブラッド、おまえには思いやりってもんがねえのか? どう見ても怖がってんだろ……」
「ガキ相手になんもしねえよ! ……おい、騒ぐんじゃねえぞ。俺はロリぺド野郎じゃねえし、好みは出てるとこ出てる大人の女だ。ガキ臭いおまえには一切興奮しない。 いいな?」

ㅤ苛立ちを鎮めようと変に平坦になっている声が、失礼な言葉ばかり吐き出した。ぶっきらぼうでもそこに嘘はなさそうで、かえって安心できる。ボスの傍らにいるネロさんは何か言いたげにしていたけれど、結局口を開くことはなく無言で立ち去った。

「触るからな。落とされたくなけりゃ大人しくしてろ」

ㅤその言葉と一緒に差し出された手はおかしなくらいに怖くなくて、温かく感じた。


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