滴るしずくのその色は
ㅤ簡単な任務のはずだった。
〈大いなる厄災〉の襲来直後から人攫いが頻発しているから調査してほしい──それが任務内容だったが、依頼主である村が北の国の山間部に位置していることもあり、北の魔法使いたちに中央の魔法使いと賢者が同行する形で早朝から出かけていた。雪が深い山間部は肺まで凍りつきそうな冷たい風が吹き抜け、痩せ細った木々の枝がか細い悲鳴を上げている。
「……めんどくさい。どうせ魔物にでも食べられたんじゃないの」
「かもしれぬが、太古の魔物が蘇ったのならば討伐せねばならん」
ㅤオーエンは鬱陶しそうにスノウを見下ろした。最後尾を歩いているオズは終始無言、ポケットに手を突っ込んで面倒くさそうに歩くブラッドリーと村人からもらった果物を貪るミスラはかなり腹を立てている。決して良いとは言えない雰囲気に賢者は胃が痛んだ気がしたものの、彼らが喧嘩を始めたとしても日が沈んでいないうちはオズがなんとかしてくれる、という安堵のおかげでこれといった危機感は覚えていなかった。
「賢者様、寒くはありませんか? 身体が温まる飲み物もありますよ」
「いつの間にそんなの用意してたんだ?」
「ネロがくれたんです。北の国は寒いからみんなで飲めって」
「うわあ、便利な飲み物もあるんですね。あとでお礼しなくちゃ。どんな味がするんだろ……」
「私も飲んだことがありますが、とても甘くておいしいですよ。オズ様がよく作ってくださいました」
ㅤ明るく優しい中央の魔法使いたちがいることが救いだ。北の魔法使いたちの凍りつきそうな雰囲気とは打って変わって、彼らはこのままピクニックにでも出かけそうな勢いで和やかに会話をしている。
「中央の奴らはお気楽だな」
「……ネロのサンドイッチはあげません」
「それはずるいだろ!」
ㅤ悪態づいて大きな欠伸を噛み殺したブラッドリーだったが、リケの思わぬ反撃に血相を変えた。なんだかんだで食べ物で懐柔できる、ということは賢者もよく知っている。別人に成り代わったかのような変わり様にカインと賢者が朗らかに笑う。いつもなら「舐めてんじゃねえぞ」と激怒するところだが、夕食を食いっぱぐれる危機に瀕しているブラッドリーはそれどころではないようだ。
「それ、甘いの? 生クリーム入れてよ」
「はあ、もう食べましょうよ。腹も減りましたし」
ㅤ殺伐としているようで、どこか気の抜ける会話に賢者はそっと息をついた。オーエンもミスラも、すっかり通常運転だ。
ㅤ踏みしめた小枝がパキリと折れる。目に映る色は雪の白と痩せこけた木の黒だけだ。豊穣の地でもなければ、富に栄えた村でもない。それでも村人たちは皆それぞれにのんびりと過ごしているようだった。
「穏やかな村ですね」
「ここらは他の地域に比べれば優しい土地ですから」
ㅤ案内役の青年は愛想良く答えた。確かに、北の国の中では人が住みやすい部類に入るのかもしれないが、中央や東西の国に比べれば大自然の厳しさは残っている。調査対象のこの村も、平穏無事に生活していくには様々な苦労があったことだろう。村人同士で協力し合いながら生活している、という案内役の言葉に感心を深めた賢者はこぢんまりとした村全体を見渡した。幼い子どもたちは元気に走り回り、大人たちは軒下で薪を割ったり木の実を採集したりと自由に過ごしている。
ㅤ暖かそうな毛皮の装いも、それなりに豊かな証拠だ。ミスラに果物をあげた老婆しかり、案内役の青年しかり、余所者である賢者たちを快く歓迎したのも、その豊かさゆえに心に余裕があるからだろう。
「依頼書によると、子どもが行方を眩ませておるそうじゃな」
「はい。日没後の外出を禁じたのですが、3日前には赤ん坊が二人いなくなりました。ほら、赤ん坊が一人で勝手に逃げるなんて不可能な話でしょう? 村の警備を強化しても結果は……」
「忽然と姿を消すならば魔物の仕業とは考えにくいのう」
「人間を売り捌く密売人の仕業かもしれんの」
「密売人ですか?」
ㅤ 雪の銀色も相まって青年の顔色は悪く見えた。分厚い唇は寒さのせいで血色が悪く、雪国出身らしい白い肌はそばかすの赤色が妙に目立っている。なまじ整った顔は意思が弱そうな印象も受けるが、青年の態度は魔法使い相手でも一貫してハキハキとしていた。道行く途中も子どもたちから頻繁に話しかけられる様子を見るに、村の中では頼り甲斐のある若者なのかもしれない。
ㅤ黙りこくって双子の話を聞いていた青年は、小さな湖のほとりにある小屋の前で立ち止まった。年季の入った壁には所々に落書きがあり、分厚い窓ガラスは小刻みに揺れている。
「本日はこちらでお休みになってください。手狭で申し訳ないですが……」
ㅤ青年に案内されたそこは広くもなければ狭くもなかった。建物自体は古いようだが、しっかり管理されているらしい室内は綺麗に片付けられている。
「賢者様、そして賢者の魔法使い様。どうかよろしくお願いします」
「あ、はい……。あの、ありがとうございました」
ㅤ賢者が礼を言うと、青年は人好きのする笑顔を浮かべて退室した。
「この部屋にいろって言うんですか」
「最悪……。帰りたい」
「もう帰っちまおうぜ。どうせ、消えたっつう人間どもも生きてねえだろ」
ㅤミスラとオーエン、ブラッドリーはいやそうに顔を顰めた。基本的に協調性のない北出身なので仕方がないと言えば仕方がないのだが、今は中央の魔法使いも任務に同行しているため、子どものように駄々を捏ねたところでアーサーやカインが黙ってはいないし、最終的にはオズの武力行使も考えられる。幸い、本当に帰ろうとする猛者はいなかった。不平不満を漏らしながらも、オズには渋々従う姿は生意気な少年のようだ──本人たちに言えばへそを曲げそうなことを考えた賢者はこっそり笑った。
***
ㅤ村人から得た情報を総括した結果、導き出された答えは「人攫いの犯人は魔法使い」ということだけだった。と、言うのも、魔物や普通の人間には不可能な犯行だったからだ。
ㅤ第一回目の誘拐が起きたのは約半年前で、両親の寝室で共寝していた幼い娘が消えたらしい。両親は家中の鍵はすべてかけていたし、娘がベッドから落ちないように抱きしめて眠っていたと言う。
ㅤ完全密室で起きた失踪事件とは、聞く分には想像を掻き立てる謎めいた魅力があるが、最愛の娘をある日突然失った両親は気が気ではないだろう。親身になって話を聞くアーサーが賢者の魔法使いだと知るなり、彼らは必死の形相で「娘を見つけてくれ」と縋りついていた。しかし、娘が生きている保証や確証はどこにもない。優しく励ましたところで気休め程度の言葉にしかならない。それをわかっているからこそ、アーサーもカインも真摯に頷くだけに留めた。
「おら、行くぞ」
「は、はい」
ㅤただ、あの夫婦に心を動かされたのは中央の魔法使いだけではなかったらしく。ブラッドリーは白い吐息をこぼしながら賢者を振り返った。とうに日は暮れ、あたりは夜闇に染まっている。
ㅤ被害に遭った村人の中には、孫に会いたいと嘆く祖父母もいた。まして、攫われている村人のほとんどが年端の行かぬ子どもたちばかりだ。年寄りと子どもに弱いと自認しているブラッドリーには、放っておけない事件だろう。事実、一連のこの事件が〈大いなる厄災〉とは無関係の事件であったとしても、中途半端に放り投げるつもりは微塵もなかった。
「犯人はこの村の人たちを売っているんでしょうか……」
「さあな。もしかしたら、人間を使って魔物でも作ってんのかもな。魔法使いの中にゃ、そういう物好きもいる」
ㅤ月の明かりだけが頼りの暗闇では、いつにも増して過敏になっている聴覚が小枝の揺らぐかすかな音を拾い上げる。賢者とリケは、ブラッドリーの残酷な一言に唇を引き結んだ。
ㅤ有り得ない。そのように一蹴できない冷たい現実が残酷さをより増長させていた。人間を改造して魔物にしたという、悪逆の魔法使いの話はいくらでも転がっていて、もはやこの世界の一般常識も同然である。
ㅤ賢者は口を噤んだまま、手を握りしめた。映画やドラマで罪のない人々が次々に殺されるシーンで、思わず目を背けてしまうように。あまたの命を奪う残虐にして冷酷な独裁者に、意味のない怒りや絶望を覚えてしまうように。
ㅤけれど、ここはフィクションではない。温度も匂いも、命もある、紛れもない現実だ。スクリーン越しでも画面越しでもない現実は賢者に重くのしかかり、命の選別が平然と行われているかもしれない状況に吐き気がした。
「リケよ、ちと止まってくれぬか」
ㅤ双子が閉じ込められた額縁を抱えているリケが立ち止まると場の気配が揺らぎ、風が逆に流れ始めた。得体の知れない魔法使いの気配にみなが警戒を強める。北の魔法使いとオズが少しばかり離れた位置にある大樹を睨みつければ、さらに混沌が満ち始めた。
「……人の子の気配がする。もしかしたら、あの木の下に隠れ家があるのかもしれん」
「危ない気配はせんが──」
「《アルシム》」
「ミスラ!! 話の途中じゃろうが!」
「はあ、長くなりそうだったので」
ㅤとけて海に落ちる氷山の破片のように、大樹はミスラの魔法によって呆気なく腐敗していく。やがて自立できなくなった大樹が根こそぎ倒れると、凄まじい轟音と共に地面が揺れて金属製の扉が姿を現した。黒い泥にまみれていても、月光を受けて金属特有の鈍い光を発している。
「落ち着けよ、じじいども。おかげでアジトは見つかったぜ。……《アドノポテンスム》」
ㅤ上機嫌に口笛を吹いたブラッドリーの呪文により、扉は一瞬で鈍色の塵と化した。扉があった場所には人が一人入れる程度の、ぽっかりとした空間がある。
「これ!! 若い魔法使いたちもいるのじゃぞ! もうちっと考えて行動せんか!」
「うるせえなあ。とっとと終わらせたほうがいいだろ」
ㅤブラッドリーはホワイトの抗議をものともせず、穴に飛び込んだ。
「……やむを得ん。我らもゆこう」
「賢者はアーサーの腕に捕まっておれ」
ㅤこのまま何もせずにブラッドリーを待ち続けるわけにもいかない。北の魔法使いから穴へと降り、続いてリケと賢者、アーサーが降りる。日がな一日光が届かないせいか、地面はしめっていてぬかるんでいた。
「……狭いな」
ㅤオズに続いて降りてきたカインは壁に手を当て、右と左を忙しなく見やった。上背のあるオズやミスラは少し屈まなければ歩くこともままならない薄暗く狭い穴の中は湿り気を帯びた空気が充満し、土の匂いに混じって水の匂いがする。
「賢者様、私から離れないでください。魔法使いの気配がします」
ㅤアーサーの声に呼応するように、水滴が落ちる音が反響した。大人一人がようやく通れるような狭い空間の先には、開けた場所があるのかもしれない。洞窟か、もしくは大きな空洞があるのだろうか。
ㅤ賢者が頷くとちょうど、オレンジ色の明かりに包まれた長い通路が見えてきた。赤い絨毯が敷かれた板張りの床や、壁に備え付けられたランタンは明らかに人工物だ。まるで屋敷の一部をそのまま取り付けたかのような広々とした廊下には、いくつもの扉があり、そのすべてに異なるデザインが施されている。扉の大きさも違えば色も違う、ちぐはぐで不思議な光景は神経を逆撫でする不気味さがあった。
ㅤしかし、怖気付く賢者を他所に、魔法使いたちは歩き続けた。誰かの気配を感じ取り直感のままに行動しているということは賢者とてわかっているが、迷いのない彼らの足取りには驚かずにはいられない。不意に、先頭を歩いていたブラッドリーがひとつの扉の前でようやく立ち止まった。
「てめえら、準備できてるな」
ㅤブラッドリーが言いきる前には、みなそれぞれに自身の魔道具を出していた。アーサーの左手は、賢者を守るように彼の肩を抱いている。
「ちょっと、仕切らないでよ」
「本当ですよ。腹立つな」
ㅤ不満を漏らしたオーエンとミスラに呆れたような苦笑を見せたかと思えば、ブラッドリーは長銃を肩に担いで不敵に呪文を唱えた。