「アイラ、お前に部下を付ける」

 いつも通りの尊大な態度で、いつも通りの絶好調な言い回しで。要約すれば「しっかり教育しろよ」みたいなことを言ったジンが連れてきたのは──ギターケースを背負い、目深にフードを被った髭面の青年だった。





 目元を隠して静かにしていた青年は、ジンに促されるままに緑川と名乗った。ギターケースを背負っているところを見るにスナイパーだろうか。流石にこんな場所にギターは持ってこないだろうし、もしも本当に楽器の類しか入っていなかったら今頃ジンに殺されているはずだ。
 だから多分、アレはカモフラージュ用のライフルケースだろう。違ったらもう何も信じられなくなるし、多分そのはずだ。とりあえずその体で話を進めようか。

「スナイパーなら俺がじゃない方が良くないか?」
「ほぉー……歯向かうつもりか?」
「何でそうなるンだよ。効率と適性の話だ」

 暫定スナイパーの緑川には悪いが、完全に近接タイプの俺にスナイパーとしての教育はできない。辛うじて教えられることといえば、組織で一番ウマの合うキャンティに聞き齧ったスナイパーの立ち回りくらいではないろうか。それだって、既にスナイパーをしている緑川には今更だろう。素人同然の俺が専門家に教える・・・なんて烏滸がましいこと、できるはずもない。

「キャンティ、は確かに教えるの向いてなさそうだけど。コルンとか……もっと他にもスナイパーは居るだろ。絶対俺よりそっちにつけた方が良いって」
「ハッ、確かにアイラの銃は当たらねえからな」
「今その話してねえンだよな……」

 俺とジンの淡々とした言い合いに、暫定部下はすこぶる居心地が悪そうだった。それでも少しだけ放置させてくれ。相手が話が通じないジンであれど、どうしてもこれだけは言っておかなければならないのだ。
 この険悪極まりない空気に耐えかねたのだろうか。暫定部下は何かを言おうとして口を開いて、それから何の音も発さないままに口を閉じた。──なるほど、空気は読めるらしい。ついでに勘も良いのだろう。
 
 口論をしている片方は暫定上司で、片方は明らかに怖そうで。そんな状況で口は挟めないだろうし──ここは本当に、命が惜しければ挟まないのが得策だった。
 怖そうな方は割と頻繁に口論している俺相手ならともかく、コードネームも貰っていない構成員相手ならネズミでなくとも簡単に銃を向ける男だ。苗字と髭と声以外は何も知らないこのスナイパーが、ジンについてどこまで知っているかは知らないが、それが妥当な判断であることに間違いはない。

「キャンティもコルンも部下を入れる余裕はねえ」
「もっと他にもスナイパーは居るだろ……おいコレさっきも言ったぞ」
「ホォ、つまりテメーは部下の一人も教育できねえと」
「曲解すンじゃねえよ。スナイパーの教育には他に適任が居るって話だ」

 それからしばらく。微妙にキャッチボールができていない口論を続けた後に「命令だ」とだけ吐き捨て、ジンは立ち去って行った。
 マジで何なんだアイツ。寝ている間にでもご自慢の銀髪を蛍光色にでも染めてやろうか。

「あー……アイラ?」
「おっとごめん、緑川だっけ? スナイパーとして教えられることはないと思うけど、とりあえずよろしく」
「こちらこそ」

 ジンが消えた方向を睨み付けていた俺に声をかけ、挨拶のためにとフードを外した緑川に視線を向けて。一瞬、ほんの一瞬だけ動きを止めた。

 ──こいつ顔、綺麗過ぎねえか。





 ここ数日、やはり間違いなくスナイパーだった緑川の扱いに頭を抱えていた。上司としてどう扱うべきなのだろうか、と。
 しばらく考えたとて、残念ながら皆目検討も付かなかった。とりあえずとしてベルモットに聞いてみることにする。人選は適当だ。強いていえば、あの人なら何でも知ってそう的なアレである。何があっても年の功だとは口を滑らせてはいけない。

 そうして聞いてみれば「連れて歩くだけでいいんじゃない?」というアドバイスが返ってきた。──そうだったな、この人も存外適当なタイプだ。確かに、ベルモットに着いている優秀な人間は、初めから優秀だったか、一人で勝手に優秀になっていくタイプしかいなかった。
 聞いた後で己の人選ミスを悟りはしたものの。正直答えてくれるかすら微妙だったベルモットにしてはまともに答えてくれたのだ。収穫はあった方だろう。全く参考にならなかったが。

 とはいえ、わざわざ聞いた手前実行しないのも悪い。ついでにいえば、俺もそれ以外のことを思い付けなかった。そんな、その辺りの水溜まりよりも浅い経緯もあって、今の緑川は俺の任務のサポートに徹してもらっている。

 普段は物理的に潰す組織の残党狩りが多いが──今日は少し、趣が違った。今回はきな臭い動きをしている取引相手をパーティーで誘い出し、探りを入れて。潔白であればそのままにしておき、黒であればサックリ始末するお仕事だ。
 元々はターゲットに面が割れていないから、なんて理由で俺に回ってきた案件だし、別にサポートは居なくても構わないのだが。まあ、一応これも教育ってことで。スナイパーの何たるかは教えられないが、それ以外なら多少は教えられないこともない。

「初めまして、相良アイラと申します」

 飲み友達のアイリッシュに言わせれば『害がなさそう』な、キャンティに言わせれば『気が抜ける』らしい、人好きのする笑みを浮かべて声をかける。それから少しだけ会話をして。八割方黒だと判断してから、事前に取ってあったホテルの一室にターゲットを連れ込んだ。
 案件の主目的は探りを入れることだ。つまり、いつものようにパパっと殺してハイ終わりではない。正直に言えば面倒なことこの上ないが、こちらもまた俺の得意分野・・・・であることにも、何ら間違いはなかった。

「相良くん」
「……ッ」

 部屋に連れ込んだことで俺からのOKサインだと認識したらしい。部屋の扉を閉めてすぐ、ターゲットのジジイは俺の顔を掴んで口を寄せてきた。ハゲの上に早漏とか大丈夫なのだろうか。いや、別にどうでもいいか。立場上小綺麗にはしていても、相手は髪の寂しいジジイだ。老人に片足を突っ込みかけている年代で、しかも特に好みでもない。
 好みでもない輩のキスを受け入れるのは気分がいいことではなくとも、これも仕事の一環である。独りよがりでヘタクソなキスを、ノリノリっぽく受けるのも仕事の内で。

 趣味の悪い香水も、口の端から溢れる涎も、腰に回る腕も。全部が全部めんどくせえ。相手がターゲットじゃなかったらこの場で相手の舌を噛み切って殺していた。マジで早く終わンねえかな。

「ん……ね、ベッド行きません?」

 相手が満足するまでキスに付き合ったあと。キスを続けながら俺の尻を揉み始めたターゲットを控え目に静止して、射線が通る部屋の中まで誘導する。
 スイートの室内であれ、壁一面の大きな窓はやはり目立つ。そんな中で窓ガラス越しにちらりと背後を見やれば、ターゲットが口元を歪ませている様子が確認できた。何か嫌な予感がするな。

「相良くん、ベッドに行くのは止めておこうか」
「え? んむッ……」

 嫌な予感もそこそこに、体を窓に押し付けられて、再びヘッタクソなキスが始まった。スナイパーを待機させているからには、窓の近くに来てくれるのはありがたい──ことではあるのだが。今日は俺一人ではないからこそ、気が進まないことでもある。
 まあ、元々スコープで見ている上に通信で音も拾っている。だから部屋のどこに居ようと一緒ではあるのだ。あくまでもこちらの気分に問題があるだけで。

 キスの合間にジャケットとベストのボタンを開けられ、抜き取られたネクタイで手を拘束される。クソ、めんどくせえ。やっぱ今日はこっちか。
 このままベルトに手を掛けられたとき、勃っていないことがバレると後々面倒になる。とりあえずそれっぽいことでも考えるか。

 この間ふざけてアイリッシュと観たAV、はそんなに良くなかったな。次にパッと思い浮かんだのはベルモットでも、生憎今日はベルモットの気分ではない。あとはキャンティかシェリーか。いや、シェリーは流石に申し訳ないな。未成年だし。後は誰が居たか。

 ──そういえば、今日は緑川が見てるんだっけ。

 それを思い出したとき、ズンと腰が重くなったことに気が付いて。任務も何もかもを投げ出して泣き喚きたくなった。嘘だろ。

「っは、今からのことを想像でもしたのかな」
「ぁ、ふっ……いじわる、言わないでください……」
「良いではないか、やはり君は次のプロジェクトに相応しい」

 ハイ黒。疑惑として上がっていたのは、その『次のプロジェクト』──既に開始されているからには[#ruby=次_・]でも何でもないが──に、組織の流通ルートからちょろまかした薬を使われているのではないかということだった。簡単に言ってしまえば、催淫性もある麻薬がそれだ。
 若くて見目のいい人間を薬漬けにして、実験体にしたり売り飛ばしたりするプロジェクト──らしい。エッグいことしてンなァ、とは思うものの、その点に関してはウチもどっこいどっこいなのだ。ドン引きはしても、特に嫌悪だとか被害者への憐憫だとかいう感情はない。白々しいご愁傷さま、が精々だった。

 ──一応、今の言葉だけなら他のルートから手を出している可能性もある。けれど、パーティ会場とこの部屋に来るまでの会話からして、別にルートを確保できていないことは分かっている。しかもプロジェクトの存在をターゲットの口から引き出すまでは粘ろうと思っていた割に、こちらから聞くまでもなく口を滑らせてくれたので。つまりこれはもう完全に終わらせていい案件だ。

 緑川との事前の取り決め通り、自分の右肩に頬を擦り付けて合図を送る。刹那、俺の顔のすぐ左を通った弾丸によりターゲットの頭は撃ち抜かれた。
 ナイスショット、俺の部下がスナイパーとして優秀すぎるな。





 縄抜けの要領でネクタイから抜け出し、衣服を整え、諸々の処理を終えてから緑川と合流した。何の処理って? 言わせんな。
 まあでも、流石に窓から見えない個室でやったし、当然通信機器も外したし。ただそのときに思い浮かべたのが緑川だった事実だけは墓場まで持って行くってだけだ。マジで何? すげえ良かったけど本当に何?

 これは断じて緑川本人のせいではないが、緑川のせいで性癖が狂った自覚はある。責任──は別に取らなくても良いけれども。間違いなく俺の問題だし。

「お疲れ、緑川」
「アイラも」

 不意に暗がりから顔を出した緑川からはいつもの覇気が感じられなかった。覇気、というよりも顔色が微妙か。俺の部下になってすぐのときみたいな感じだ。それもよく見なければ分からない程度であるし、最近はマシになってきたと思っていた。
 けれど、まあ、今日は上司のロミトラを見せられたわけであるし。そんな顔色になることにも頷けるのだ。俺だって好き好んで盗み見たい部類のモノではない。

「緑川、この後暇?」
「特に予定はないけど……」
「じゃあ決まり、飲みに付き合え」

 状況が分かっていないながらも頷いた緑川を連れ、俺が任務明けによく向かうバーへと足を向けた。緑川の死体みたいな顔色が落ち着くまでは頻繁に連れ回していたが、最近はそうでもなかったか。
 でもまあ、部下のメンタルケアは上司の仕事でもある。愚痴は流石に聞けないが、酒を飲んだら多少マシにはなるだろう。あとは──単純に俺が飲みたい。口の中が気持ち悪すぎる。





「オクトモア、ストレートで」
「俺は……じゃあ、ボンベイを」

 カウンターに座るや否や、各々が飲みたいものを頼む。俺は口の中を何とかしたいが為のチョイスだったが、普段はシンプルなソーダ割りかロックが多い緑川が色々混ぜたカクテルを頼むのは珍しくて。つい「珍しいな」と素直な言葉が口を吐いた。

 たまにはカクテルを飲みたい気分なのか、はたまた別の理由があるのか。緑川はカクテル言葉とか知っていそうではあるが、ただ単にボンベイが飲みたかっただけな気もする。別にどちらでもいいが。

 ──まあ、何であれこの店の近辺に緑川のセーフハウスはなかったはずだ。ホテルもあるにはあるが、ここで飲んだあとは大概近くの俺の部屋に来るはずで。いや、一応の確認だけはしておくか。

「緑川、今日はウチ来る?」
「……そうさせてもらおうかな」
「よしきた!」
「びっ、くりした……凄いガッツポーズするな……」
「だって飯」
「……ハイハイ、好きなの作るよ」

 これで俺の明日の朝メシは確保できた。特に食に興味があるわけではなくとも、それはそれ、緑川の料理は美味いんだよ。





「なあ、アイラって普段からああいうことしてるのか?」

 ウイスキーの刺激で口もすっきりして、ルンルンで朝飯用の食材も買って。部屋に入って鍵を閉めたときに、そんな声が聞こえた。『ああいうこと』とは、今日の任務内容についてだろうか。

「ロミオトラップ?」
「そう」
「ならそれなりに」

 俺の言う『近接が得意』は、何も物理的な近接戦闘に限った話ではない。よく使うナイフの他にも、薬を使ったり、体を使ったり。薬を使うことはそう多くないが、体を使うことはままあるのだ。

 元々、ターゲットの好みによって態度を変えること自体は苦ではなく。向き不向きでいえば、ナイフと拳でのステゴロと同じくらいには向いている方だ。顔も特別悪くもない。だから今日みたいな任務もそこそこあるわけで。

「何で?」
「……ちょっと気になって」
「へぇ。緑川は? 得意?」

 身のこなしや体格から見ても、スナイパーの割にステゴロもそれなり以上の水準でこなせそうだ。ではロミトラはどうなのだろうか。そう思って一応聞いてはみたものの、髭面でも綺麗な顔の持ち主なわけで。つまるところ、普通に上手そうだった。
 でもまあ、それができたらいよいよただ連れ回すことしかできなくなってしまうな、なんて。別に今と何も変わらないし構わないのだが。

「得意ではない、かな」
「……もしかして下手?」
「断じて違う。違うけど、その」

 ──いや、誘い込むことも、囲って落とすことも下手ではないのだろうとの考えで聞いたんだが。食い気味な否定の仕方からして、下手かと問われたのはロミトラに付随する技術の方だと思われたのか。キスとかセックスとかその辺りの。それは流石に聞いてねえンだけどな。

 しかし──『断じて』下手ではないが『得意ではない』と。普段から連れ回している中で、人の機微に鈍いわけではないことは分かっている。聞き上手故に情報を引き出すのも難しくない。だとすると、得意だと言えない要因としてすぐに思い付くのはひとつだった。

「案外割り切れないタイプだったりする?」
「……だいたいそんな感じ、かな」
「なるほど」

 それを改善しようとするならば場数を踏むしかない。「どうすればいい?」と聞く緑川にそのことを伝えると、少しの間伏せていた視線がこちらに向いた。

「じゃあその、手伝ってくれないか?」
「は? 手伝うって……何で俺……」
「教育係だし」

 ──何だその目は、猫顔の癖に子犬みたいな表情をするな。首を傾げるな、可愛いから。こら、俺の手を撫でるんじゃない。

「……お前さあ、上司にロミトラ仕掛けてンなよ」
「ちぇ、バレたか」
「バレバレだっつの。とっとと寝ろ」

 ロミトラが不発に終わって残念そうにする緑川は、いつも通りに広めのベッドに押し込んだ。予備の布団なんてものはそもそも置いていないので、いつも通り俺も隣に潜り込んで──そこではたと気付く。俺は、この状態で寝るのかと。

 今までなら良かった。ただの仕事仲間だし、意識もクソもなかったから。でも今日は、今日の任務の直後はちょっとヤバくないか。

「おやすみアイラ」

 そんな俺の心情など露ほども知らず。目元を細めて、緩く笑んで。小さく寝息を立て始めた緑川に、思わず唇を強く噛んだのも仕方がなかったのだ。


 ──ッッ、だから!!! 上司にロミトラを仕掛けてんじゃねえ!!!

お前のせいでめちゃくちゃなんだが!?



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