82:曰く、山に行くより海を見たい

 今日は皆出払っているはずのタワマンに一人で帰る気も起きなかったために、タワマンよりは手狭な秘密基地昔に押し込まれていたアパートに寄ることにした。
 とはいえ特にすることはなく、特別な何かをする気にもなれなかったから、無心で日課の自重トレーニングを一通りこなし、金庫から予備の下着を出してシャワーを浴びて。それから、押し入れから引っ張り出してきた電気ストーブを付け、これまた押し入れから引っ張り出した電気毛布に包まる。どれもこれも此処を基地にしてから買い足したモノだが、かなり良い買い物をしたのではなかろうか。

 そうこうしているうちに──本当に、寝入ってしまっていたらしい。

 ブーブーとしばらく震えては静かになり、数秒後にまた震え出した携帯の音で意識が浮上する。窓の外は真っ暗で、そんな時間でも、兄は揃って横浜で遊んでいるはずだった。
 確か今日は、獅音君をUNOで泣かすとか言っていたか。家で眠っているプレステやボードゲームの類いもそのうち持ち込むつもりだと言っていたのは、果たしていつの話だったか。誰も使ってないし良いんじゃない? と賛成したことまでは覚えているが──まァ、楽しそうで何よりだ。

 そんな中で、わざわざ鬼電をしてくる人といえば。心当たりはそう多くないというもので。
 元々あまり顔を出さない自由集合の場に私が居ないと気付き、気まぐれで呼び出そうと躍起になった天竺の幹部か。或いは、カラオケでは散々に煽り倒した稀咲か。はたまた、諸々の期待を察してなお面倒だとして、カラオケに放置してきた半間か。
 ──いや、カラオケでの雰囲気であれば稀咲はナイか。天竺勢が鬼電をしてまでUNO合戦に私を引き込もうとすることだって、正直に考え辛い。
 何せ、対兄での私に勝率はそこそこに高いのだ。仲間の前で舎弟に負かされる可能性が少しでもある行動なんて、揃いも揃ってプライドの高い兄が好んで取るとは思えなかった。兄がそのプライドをかなぐり捨て、結託して天竺幹部を負かそうとしているなら話は変わってくるワケだが──さて。

 流石の兄でもイザナ君が居る場で不安要素を引き込むことはしないと思うけど、なんてことを考えつつ、毛布から腕だけを出して携帯を探す。パカ、と二つ折りの携帯を開けたディスプレイに表示されていた名前は──案の定、とも言うべき人だった。
 未だ半分寝ている頭でのやる気のない適当推理とて、ピタリと当たれば嬉しいものだ。完全にたまたまである。

「……あ゙い」
『遅ェ。ワンコールで出ろ。つーか声カッスカスじゃねえか』
「寝てたンだわ……」
『ばはっ♡ ガキかよ』
「ガキで結構」

 寝起き特有の掠れた覇気のない声で「何」と用件を聞けば、六本木に居るから顔を出せとのことだった。横目で真新しい壁掛け時計を確認すれば、丁度夕食どきとも言えなくはない時間帯だ。どうも、あれから少し時間を潰してから連絡してきたらしい。
 タイマンか飯かただの暇潰しかは知らないが、随分簡単に人を呼び付ける──とは、あまり半間のことを言えた口ではないので考えないことにした。調子が悪すぎるときには位置情報のみのメールを送り付けて、半間の予定なんてモノは勘定に入れずに呼び出していた過去もある。毎度律儀に来てくれていた以上、突然の誘いでも無視する気は起きなかった。今はこれといった予定は何もないからこそ、余計に。

「どこ」
『あー……前やった公園?』
「どこだよ……そもそもタイマン? 飯? 暇潰し?」
『タイマン終わったら飯。寝起きなら丁度良いだろ』
「なーるほど……堕天をご所望で……」
『そういうこと♡』

 やけに楽しそうな声色で聞こえてきたトンデモ要求に少し笑って、それから「五分、良い子で待ってな」とだけ言って通話を切った。自分から時間を指定したからには動かなければならないのだが──どうも、ほかほかの毛布は私を離す気がないらしく。

 ──きっかり五分後、静かにキレ散らかした半間からの鬼電で叩き起されたのは言うまでもないだろう。

『おい』
「……あ゙?」
『良い子で待ってろつったの誰だよ』
「あ゙ー……私……?」
『……は? 二度寝したン?』
「何でバレた……」
『明らか寝起きの声でバレねえワケがねえンだよクソサブロー!!!!!』

 一度そう叫び、『もう来るまで電話切るな』とまで言った半間を無視して電話を切って。それから、もそもそと温かな電気毛布を蹴り飛ばし、むくりと起き上がってぐっと背中を伸ばす。
 顔を洗い、口を濯いで。ヒーター類を全て消し、サングラスとマスクと、諸々の防寒具をきっちり身に着けて。少しだけついた寝癖もそのままに、徒歩で秘密基地をあとにしたのだ。施錠ヨシ。忘れ物ナシ。多分、きっと、おそらく大丈夫だ。洗濯して乾燥機までかけた下着はキッチリ金庫にしまったし、化粧品云々を金庫から出した記憶もない。

 さて、半間が待っているのは、曰く『前やった公園』であるらしい。つまりはおそらく、ここから通りを二つ行った先にある小さな公園のことだろう。
 あの辺りはお世辞にも治安が良いとは言えない場所だ。だから多分、ゆっくり行ったとて、退屈はしないと思ったのだが──果たして。



「遅ェ」
「起きてすぐ来たンだから勘弁してください」
「まず二度寝すんな」
「ごもっとも。ぐうの音も出ませんね。さ〜せん」
「やる気ねえ〜……」
「実際ないからな……マジで頭回らん……」

 マスクの中でくわりと欠伸をしつつも半間を見て、辺りを見回し、それから適当に引っ掛けてきたサングラスの奥で目を細める。流石の半間も六本木に来るとして、東卍渋谷のチームの特服の上は脱いで、暖かそうな上着を羽織ってきたようで。
 ──が、しかし。その上着には、分かり辛いながらも返り血が飛んでいる様子が見て取れた。

「ガチ寝起きじゃん」
「だからそうだっつってンだろ」
「逆ギレやめろ」
「さーせん」
「つーか寝起き悪すぎね? パッと起きろよ」
「今更?」
「それはそう」
「良いときもありますよ」
「ほぼねえだろ」
「それはそう」

 脳を通さず適当に口を回しながらも、頬杖をついてこちらを眺める半間の足下へと視線を下げる。昼間は子供が遊んでいるはずの砂場が荒れている。砂場の外には、半間のモノにしては小さく、子供にしては大きな足跡も残っていた。どうやら、既にこの場には居ない誰かを相手に暇潰しをしていたらしい。
 この公園を溜まり場にしている不良といえば──まァ、いくつか顔は浮かぶというもので。喧嘩の相手が『左衛門三郎とつるんでいる歌舞伎町の死神』だと気付かないほど馬鹿ではない。兄の居ない間には何度かボコボコにした記憶もある。そんな私の不興を買ってまで、変わらずに六本木をシメている兄に泣き付ける程にツテと根性のある奴らではないことは確かだ。特に私からの根回しは必要ないだろう。

「それで? タイマンでしたっけ」
「あー……それな。もういーよ」
「ええ、珍しい」
「オマエ待ってる間に腹減ったンだワ。さっさと飯行こうぜ」
「なるほど……それはそれは」

 マスク越しにも分かる白い息を吐いて。小さく「おかげさまで、久々によく眠れた気がします」なんて言えば、半間が僅かに目を見開いている様子が見えた。

「何か?」
「……や、珍しーなって。寒ィのに」
「まァ……筋トレしたあとは狭い部屋で暖房ガンガンに焚いて電気毛布に包まってたンで。そりゃあ寝れますよ」
「ばはっ♡ ガチで体感温度の問題なン?」
「あと気圧な。今日はそこまで低くない」
「……体感で分かんの?」
「だいたいは」
「スゲー……歩く気象予報士かよ」
「……気象予報士は歩くだろ。人なんだから」
「……そりゃそうか」

 そんなことをダラダラと話しながらも、半間はすぐ近くに停めていた自分の単車に跨って。それからようやく──私の単車がないことに気付いたらしい。

「足は?」
「六本木内の移動くらい、端から端でも自分の脚で十分です」
「あー……そういやそうか。新宿から走って帰ったことあったな」
「そんなこともありましたっけ」
「マジで頭イカれたかと思ったな、あンとき」
「は? ナメんな。脚メインの喧嘩する人間がたかだか五キロ程度のランニングで音上げるワケないだろ」
「そう言われると否定し辛ェんだよなー?」

 それでも一応と、一度降りて後ろに乗れるようにしてくれる半間に首を傾げる。曰く「眠ィなら後ろで大人しくしとけ」らしい。そう言われたこともあって、そういうことならばと半間の単車に乗り込み、そのまま──眠らない街へと繰り出したのだ。

「……なあ!!! 半間!!!! おい!!!」
「ア!?!? 何!!!!!」
「お前コレ!!! 歌舞伎町向かってない!?!?」
「正〜解ッ!!!!」
「不正解であれよ!!!!」

 眠らない街──新宿歌舞伎町に着いて、半間が気になっていたという定食屋に入って。一言目に言われたのは、あの辺の店知らねーし、だった。

「聞けば良いだろ、私に」
「あー……それもそうじゃん?」

 白々しくも「忘れてたワ」なんて笑う半間と、質より量を体現した様な定食屋で腹ごなしをして、路地の暗がりに並んで煙草を吸って。さてと解散──と走り出そうとした脚は、呆れた様に言われた「いや、流石に送るわ。もう暗ェし」なんて言葉で止まったのだ。

 ──珍しくも紳士的に見えたこの行動を、珍しいなで済ませてしまった私が悪いのだろうか。

「……そういや左衛門って門限あんの?」
「あったら今此処にいねえンだよな……」
「ばはっ♡ そりゃそうだ」

 何せ、送ると言った割に、到着したのは六本木ではなかった。何でお台場の海に居るンだろうな。本当に。
 サンセットなんかとっくに終わっている時間だというのに──とは、今言ったところでという話だ。半間とて、サンセットを目的に夜の海に来たわけではないのだろうから。

「……このクソヤンキーがよ」
「おーおー、不良娘が何か言ってら♡」
「娘だって認識してたンだ? さっきの紳士的な言葉ってそういう……?」
「あ? あー……いや、アレは全然」
「ってことは素かよ。へえ? 紳士じゃん」
「……っし、腹も膨れたしタイマンでもすっか」
「照れンなよ、紳士なのはいいことだろ。つーか寒いし動きたくない」
「はー? 寒いンなら動けや」

 まァ──散々に振り回されたことへの腹いせにしては、割合その体を成していなかった私も楽しんでしまっていたわけで。

「──そういやオマエさあ」
「ウン」
「海好きだよな。バイクで行くなら山より海派だろ」
「ウーン……そうだね、好きだよ」
「何か理由あンの?」
「えー……何でだろ、考えたことなかったな」

 一通り殴り合いをして。エンジンをつけ直した半間のバイクと、動いて体温の上がった半間本体で暖をとりつつ。珍しくも突っ込んで聞いてきたマブの興味に付き合って、少し考えてみることにした。

「思い出とかは……特にないな……」
「ハ? ねえの?」
「ないね」

 母と海に来た記憶はない。当然、兄とも叔母ともない。そもそも叔母とは戸籍に入れてもらう前後から顔すら合わせていない。
 一応、いつかに圭介と来たことはあるが、これといって何かが思い出深く心に残っているわけでもない。そもそもそのときだって、急に海に行きたくなって電車に飛び乗った私に圭介が着いてきただけだ。つまり、その時点で既に私は海を好んでいたことになる。

「……何でだろうな」
「そんな考えるヤツだった?」
「ウン……あ、アレかも」
「どれ」
「連れて行ってくれそうじゃん、海って」
「……どこに」
「さあ、何処へでも?」

 口の端を歪めて「なんだそれ」と低く吐き捨てた半間に向け、へらりと笑う。冗談じゃないか。そんなに重く受け止めるなよ。
 何処へでも連れて行ってくれそうな海でも、私を何処かへ連れて行ってくれるわけではないことくらい知っている。何処へも連れて行ってくれなかったから、私はこうして呑気に海を好きでいられるのだ。死ぬために行った記憶がある山や川だったらこうは行かないだろう。

「……マ、死体隠すなら山より海だよな」
「そうかァ? 死体って埋めるモンじゃねえの?」
「どうしても骨は残るんだよ。山が崩れて骨が出てきてみろ。事件性しかないだろ。歯型で身元すら特定されるかも」
「……海は?」
「場合によるけど……外海にさえ行けばなんとかなるンじゃない? 一回浮くらしいけど、それさえ発見されなければ二度と浮いてこないし」
「ひゃはっ、怖ァ〜」
「ハァ? お前だって考えたことくらいあるだろ」
「流石にねえよ」
「……マジ?」
「マジ」

ここまで
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