「デスゾーン、開始」

 灰崎の合図で、星章学園の三人が必殺技を打ち込む態勢に入る。

「デスゾーン!!」

 初めて間近で見る、必殺技。その迫力に、雷門イレブンは皆息を飲む。
 ベンチにいる花茶すら、その必殺シュートの迫力に言葉を失う程だった。
 勢いよく放たれた必殺シュート、デスゾーンは、のりかをすり抜けゴールに突き刺さった。
 これで、星章学園も一点――雷門中に追い付いた。

「これが、敵の必殺技……」
「強烈でゴスな……」
「何て威力だ……」

 服部、岩戸、万作、他の皆も、完全に圧倒されてしまっていた。今の星章学園のデスゾーンが、相当精神的にきたらしい。
 なんとかデスゾーンを止めようとしてそのあまりの威力に転倒してしまった皆が、グッと拳を握る。

「どうした? 立てよ、雑魚」

 皆を見下ろし、灰崎は挑発するように言ってみせる。
 灰崎を睨み、体に力を入れて立ち上がる。その様子を面白そうに見ながら、「それでいい」と笑う。

「まだ試合は始まったばかりだからな」

 ――あいつが、フィールドの悪魔、灰崎。
 その時初めて、自分達はとんでもないものを相手にしていると、そう確信した。

 灰崎にどのように対応すればよいのか、考えがまとまらないまま、試合再開。
 点を取り返すため、敵陣に切り込んでいく。
 しかし、攻めても攻めても、三人がかりで阻まれる。

「なんだ、この圧迫感は!」
「プレッシャーが迅速すぎる!」

 貴利名と道成が苦戦する中、ボールを奪取され、今度は星章学園が攻めこんでくる。

「戻れ!」
「絶対に通すな!」

 急いで自陣へと走る。
 どんなに不利な状況だとしても、諦めることだけは何があってもしない。彼らには、絶対に負けられない理由があるのだ。


***


 遡ること、一週間前――。
 伊那国島を旅立った元伊那国イレブンが、雷門中に到着した直後。

「ふんーッ!」

 サッカー部の古びた部室を、のりかが無理矢理こじ開けようとしている。

「って、勝手に入ろうとしてるし!」
「んー、でもやっぱり開かないかぁ」
「そりゃそうだよ、というか開いたらマズイよのりちゃん!」

 のりかは、ふー、と汗を拭う仕草をし、開けるのを諦めた。
 改めて学校全体を見渡す。こうしてみて見ると、やはり都会。皆は、島の学校とは違うということを実感していた。

「気持ち上がってくるよなー!」
「実力上げろよ」

 剛陣がガッツポーズで言うと、ボソッと小僧丸がツッコミを入れる。そのツッコミに、剛陣が「あぁ!?」と突っかかった。それを明日人や日和、万作を始めとする男子組で止めるのが、この数時間で決まりごとのようになってきた。

「あなた達が、伊那国中から来たサッカー部ね?」

 その時、透き通るように綺麗で、凛とした声が皆の鼓膜を揺らした。
 その声の方へと目を向けると、薄いピンク色の綺麗なロングヘアーが特徴的な、女の子が立っていた。着ているのは雷門中の制服。雷門中の生徒だということは、一目でわかる。
 更に、その後ろには女子生徒が数人ズラリと並んでいた。

「そうだけど、あなたは?」
「私は、神門杏奈。生徒会長として、全てのクラブ活動の管理を担当しています」

 花茶の問いかけに、間髪を入れず返事が返ってくる。物言いが、どこか刺々しい。

「新生サッカー部がどうなるのか、見極めるのも私達生徒会の役目なの」
「見極めてどうすんだよ!」

 生徒会長を名乗る少女――杏奈が、淡々と続ける。
 その態度に苛立ったのか、見極められるのが気に入らないのか、剛陣が怒った口調で言った。

「継続する価値がないとわかれば、排除します」

 排除。そのたった二文字が、不安を煽った。
 この先、雷門中にとって満足のいく試合ができなかった場合、優秀な成績を収められなかった場合、サッカー部は排除される。サッカーを続けられなくなってしまうのだ。
 文句を言いたくても言い返せず、情けなさに下を向く。

「スポンサーもいないチームが雷門を名乗るなんて、身の程知らずもいいところですわ!」

 杏奈の後ろに並んでいる少女が嘲笑うように言う。その言葉は、田舎から出てきたばかりの彼らには、あまりにも酷なものだった。

「俺達は勝つ! 勝ってサッカーを取り戻すんだ!」
「へぇ、あなた、相手が誰かわかって言ってるの?」

 負けじと明日人は強い意思を表明してみせるが、返された言葉に戸惑い、グッと言葉を詰まらせる。

「相手?」
「星章学園のエースストライカーはフィールドの悪魔と呼ばれている。彼に魅入られたら、チームは再起不能になるまで叩きのめされる」

 杏奈の説明で、ごくりと唾を飲む。
 フィールドの悪魔、再起不能。過酷になるであろう試合を頭で思い浮かべ、恐怖心が芽生えた。
 フィールドの悪魔と呼ばれている、星章学園の灰崎凌兵――彼のプレーで、いくつものチームが解散に追い込まれているというのだ。

「聞いたことがあります。彼が出てくると必ず10点を越える大量得点差で星章学園は勝利すると――」

 眼鏡をクイッと上げ、奥入が言うと、花茶は「そりゃやばいね」と眉を潜めた。

「ただし、彼が出てくるのは確率的には3試合に1度。あなた達のくじ運はどうかしらね。それに、万が一ランキング一位の星章学園にあなた達が勝つようなことがあれば、天地がひっくり返るわね」

 ツンと、蔑んで言う杏奈に、明日人は迷わず答えた。

「それなら勝ってひっくり返してやる!」

 その明日人の言葉が、凛々しい表情が、どんなに頼もしかったかわからない。
 散々煽られた不安を、一気に吹き飛ばしてくれたのだ。

「とにかく、あなた達の初戦、お手並み拝見といかせてもらうわ」
「どこまでも上から目線なんですね、生徒会長様は」

 花茶が、皮肉混じりに「やれやれ」と首を横に振る。彼女は、今まで散々馬鹿にされた分を、我慢しておけるほど大人ではなかった。

「気高くていらっしゃいますこと」
「当たり前ですわ。あなた達とは比べ物にならないくらいですわよ」
「あ"ぁ?んだコラ、やんのか」
「あら、いやだわ。これだから田舎者は……血の気が多くて困りますわ」

 花茶が言い返せば言い返すほど、どんどんと険悪なムードになっていく。
 その内、杏奈の「行くわよ」という声で、生徒会のメンバーは去っていった。

「お高くとまりやがって」

 その背中を睨みながら、花茶は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
 その一部始終を、「また始まった」「いつものアレだ」という雰囲気で、その場にいるメンバーは見守っていた。

「もう! 花茶ってば、初対面なのに喧嘩売りすぎ!」
「だってムカついたんだもん」

 のりかが、制裁のように花茶にデコピンを食らわす。
 当の花茶も言い過ぎたという自覚はあるようで、自分よりも背が高いのりかの胸元に顔を埋め、小さな声で言った。その姿から察するに、しっかり反省しているようだった。

「私はいいよ。でも皆のこと悪く言われるのは許せない。何がなんでも許せない!」

 言い負かされたことの悔し涙なのか、顔を上げた花茶の目には涙が光っていた。
 怒りながらもグズッと泣いている様子はどうにも子供っぽくて、のりかはよしよし、と花茶の頭を撫でた。

「しっかし、嫌味な奴らだぜ」

 花茶同様、剛陣も生徒会一同の言動が気に入らなかったらしく、不満の声を上げていた。

「まぁ……、この学校の人達から見れば、僕らはどこの馬の骨ともわからない田舎者……。そう易々と大人気だったサッカー部の代わりとは認めてもらえないでしょう」

 奥入の話は、的を射ていた。
 自分達の実力など、雷門中の関係者は全く知らないのだから、安易に受け入れてもらえるわけがない。
 その事実を、現実を、改めて痛感した。

「あー! いたいた! 良かった!」

 その時、また新たに女子生徒が一人、走り寄ってきていた。
 ハーフアップにしている明るい色合いの茶髪が印象的な少女が、元気良く手を振っている。

「皆さんは伊那国島から来たサッカーチームの方ですよね? つまり、あなた方が新雷門イレブン!」

 少女が、差し伸べるように手を上げる。
 困惑しながら、明日人が「君は?」と問うと、少女は自己紹介を始めた。

「申し遅れました! 私は僭越ながら雷門サッカー部のマネージャーを務めさせていただきます! 大谷つくしと申します!」

 これから自分達のマネージャーとなってくれる、少女――つくしが「よろしくお願いします!」と深々とお辞儀をした。

「マネージャー……」
「言われてみたら、名門サッカー部だもんな……、いて当然か」

 万作の言葉に皆がうんうんと頷き、納得する。
 どうやら選手同様、元のサッカー部のマネージャー達も今は留守にしていて、つくしが新マネージャーとなったらしい。
 つくしは、「全力で務めさせていただきますね!」と張り切って断言した。
 先程現れた杏奈や、生徒会のメンバーとは正反対に自分達を受け入れ、ニコニコと挨拶をしてくれるつくしに、好印象を抱いた。
 代表して、明日人が「よろしくお願いいします!」と返事をした。

「では、校長がお呼びなのでご案内します!」

 そうして、つくしに言われるままに校長の元へと向かった。


***


「君達が伊那国島イレブンか。話は聞いているよ」

 物腰が柔らかく、穏やかな微笑みを携えた、優しそうな校長。それが第一印象。
 冬海と比べてしまうのは色んな意味で失礼だろうが、どうしてもあの皮肉満載の顔を思い出してしまう。
 校長は「我が校でサッカーを楽しんでくれたまえ」と暖かい言葉をくれた。その善意に感謝し、皆は「はい!」と答えた。

「校長、聞きたいことがあります。本来のサッカー部はどうしているんですか?」

 雷門中に編入する、という話を持ちかけられてからずっと気になっていたことを、道成が校長に質問した。
 雷門中の選手もマネージャーも、訳あって留守にしているらしいが、未だにその理由を知らないままだった。
 道成の質問を受け、校長はコホンと一つ咳払いをして、語りだした。
 無名だったのにも拘わらず、一気に優勝校となった雷門中は、少年サッカー界では最早伝説である。40年間一度も負けることがなかった強豪校である帝国学園に勝利し、更に最強だと謳われた世宇子中をも打ち破ったのだ。雷門中を知らないサッカー選手などいないだろう。
 しかしならば、何故そんなに有名な雷門中サッカー部が留守にしているのか。それには深い理由があった。

「今、彼らは日本が世界に羽ばたくために力を尽くしてくれています。サッカー強化委員としてね」

 日本全体のサッカーのレベルを上げるため、全国各地のサッカー部に所属し、リーダー的な存在としてチームを引っ張っているらしい。実際に、彼らが入ったチームはメキメキと実力を上げ、フットボールフロンティアの出場権を得る勢いだという。
 この偉業は、雷門中サッカー部だからこそ、できることなのだろう。

「いやぁ、雷門中サッカー部の遺伝子を持ったチームと対戦する日が楽しみで仕方ありませんね」

 校長は心底嬉しそうに言った。
 雷門中サッカー部の遺伝子が他校に受け継がれている――そうなれば、フットボールフロンティアで苦戦を強いられるのは間違いない。

「では、君達もその名に恥じぬよう、頼みますよ」
「はい!」
「ああ、それと、今我々にはスポンサーがいないので本来フットボールフロンティアには出場できないのですが、手続きが遅れているだけだと報告しておきましたので、ご心配なく」
「ええ!?」

 事実関係はどうあれ、そんなことをして大丈夫なのかと心配になったが、今は校長を信じることにした。

「ささ、後のことは監督に頼んであります。ごきげんよう」

 驚きを隠せず揃って声を上げた皆は、戸惑いつつも言われた通り校長が室を後にしたのだった。


***


 やって来たのはサッカー部の部室。しかし、そこは今しがた見ていたあの古びた部室ではなく、大きくて綺麗な建物だった。

「全員、整列!」

 コーチと思われる男性の掛け声でビシッと横一列に並ぶと、そのまま自己紹介が始まる。

「私がコーチの亀田だ。そしてこちらが、趙金雲監督です」

 紹介を受けたふくよかな男性が一歩前に出る。

「ホーホホホ。皆さんどうぞ楽に*」

 中国人だが、流暢な日本語で話す趙。
 監督が中国人であるということに驚く。が、岩戸は「体がでかいでゴス」と別の部分に驚いているようだ。すかさず万作と花茶が声を揃えて「お前もな」「あんたもね」とツッコミを入れた。

「これより君達はこの雷門の正式なサッカー部員となる。誇りを持って行動してくれたまえ」

 緩い雰囲気の趙とは裏腹に、コーチは堅い挨拶をしていた。
 そしてその後、ユニフォームに着替えるよう指示を受け、期待に胸を踊らせて更衣室で新たなユニフォームへと衣装チェンジをした。

「これが雷門ユニフォーム…!」
「何か派手すぎねぇか?」
「可愛いじゃん!」

 様々な感想が飛び出す中、ようやく自分達が雷門中サッカー部なのだという実感が湧いてきたようだ。

「黄色基調のユニフォームってなんか目立つね。でも菜の花や向日葵っぽくていい! センスある!」
「花茶は本当に花が好きなんだな」
「あはは、まぁそこだけだからね、私の女の子っぽい部分って。私の貴重な女子力っていうか、アイデンティティっていうか」

 万作の言葉に対し、自虐を挟む。
 その様子を見ていた小僧丸が「自分で言ってて悲しくならねぇのか」などと言っているのを、花茶は睨むことで黙らせた。

「わー! 皆さん素敵です!」

 大きな段ボール箱を持ったつくしが更衣室へ入ってきて、黄色い声を上げる。そして、その後「ううっ」と眉を八の字にし、目に涙を溜めた。

「大谷さんどしたの!?」
「元の雷門の皆さんが頑張っていたところを思い出しちゃいました……!」

 心配した花茶がつくしに駆け寄って背中をポンポンと叩く。どうやら、思い出に胸を馳せてしまったらしい。

「そっか、つくしさんは円堂さんたちののこと知ってるんですよね」

 明日人が言うと、つくしは「はい……!」と相変わらず泣きながら答える。

「円堂って誰だ?」

 剛陣が今までの様々な流れからは予想もできない言葉を発した瞬間、周りにいた全員が「ええー!?」と叫び、勢いよくズザザッと剛陣から離れるように後ずさった。

「剛陣先輩それやばいです!」
「まさかそこまでとは……!」
「あの円堂さんですよ!?」
「無名だった雷門中を全国優勝までのし上げた伝説のキャプテン……!」

 奥入、日和、花茶、道成の順番に、次々と驚きの声が飛ぶ。

「えーん! 確かに円堂くんはすごい人でしたよーっ!」

 あの円堂を知られていないことがショックすぎたのか、つくしはハンカチまで取り出しわんわん泣いている。
 しかしすぐにハッとし、「泣いてる場合じゃない……!」と持っていた段ボール箱から何かをゴソゴソと取り出した。

「これよりイレブンバンドをお配りしますね!」
「イレブンバンド?」

 花茶が首を傾げると、つくしは頷き説明を始めた。
 イレブンバンド――サッカー選手に義務付けられた制度の一つ。選手の運動量を測ったり、試合中には監督から指示を受けることができるらしい。また、過度な練習をやらされていないか、体調は万全かなどもわかるようになっており、選手を守るためにも使われている、と。

「おおお!なんか一気にお洒落になった!」
「そんなの気にするような人じゃないでしょう、花茶さん」
「なになに日和、喧嘩の大安売り? 買おうか?」
「冗談ですっ!」

 ユニフォームやイレブンバンドへの感想を述べれば「そういうのは似合わない」というような指摘が入る。慣れたものだが、年頃の少女にとってはカチンとくる。
 花茶がにっこり言えば、日和は怯えてしまった。
 その時、イレブンバンドがピピピッと機械的な音を鳴らした。

「あ、それが監督からの集合の合図ですね!」

 指示に従い、皆はグラウンドへと走って行った。


***


 グラウンドでは、亀田コーチと趙が既に並んで立っていた。

「さて、初日ですが早速練習ですよ! 皆さん覚悟はよろしいですか?」
「はい!」

 都会、しかもあの雷門中の練習メニュー。一体、どんな過酷なものなのだろうと、皆はゴクリと喉を鳴らした。

「では、一週間後の試合に向けた練習プランを説明しまーす」
「はい!」
「えーっと、本日一日目。河川敷を走る川沿いコース100往復! 一日目、以上!」

 趙から出された課題は、きつそうに見えるが基礎中の基礎の練習で。
 ――そんな練習をしている場合ではない。もっと実戦的な練習をするべきだ。
 その思いが、焦りが、頭を支配していく。

「試合は一週間後なのに!?」
「二日目ー。稲妻坂の登り降り100回!」

 批判の声など無視し、趙は続ける。

「三日目、展望公園タイヤ引き100周。四日目、稲妻商店街のゴミ拾い一人100袋ずつ。五日目、鶴亀公園外周のドリブル100週。六日目、休憩!」

 有無を言わさず全てを言い切り、

「練習メニュー、以上」

 満足げににっこりと笑った。

「ええー!?」
「皆さん、島から出てきて水が合わず辛いと思いますが、早くこの町に慣れてくださいねぇ。はい、ミーティングはここまで」

 選手の意見など聞く耳持たず。そんな趙にすかさず反対する声が飛び交う。

「待ってくれよ! 俺達は勝つための特訓をしたいんだ! 必殺技とか、そういうのを頼む!」
「そうですよ! 大体、ゴミ拾い一人100袋ずつって、全員分合わせたら、1200袋になっちゃいますよ!? 都会ゴミ落ちすぎじゃありません!?」

 剛陣の言うことは尤もに思えたが、花茶の言葉は斜め上へと向かっていた。のりかが速やかに「花茶、ツッコミ所ズレてる!」とボケを回収した。

「そんなに焦らなくてもいいでしょう」

 それでも趙はマイペースを崩さない。

「だから! こちとら次の試合に勝たなきゃサッカーができなくなるんだよ!」

 苛立ったらしい剛陣が取り乱し気味に言う。
 そんな彼らに、趙は問う。「これからサッカーを続けていくために自分達がすべきことは何か」と。

「練習しまくって、星章学園をぶっ倒す!」
「スポンサーがついて、サッカーを続けられるようになります!」

 剛陣、明日人の答えに「フムフム」「それで?」と挟みながら、他に答えが出ないことを確認すると、「チクタクチクタク、ブッブー!」と陽気に言ってみせる。
 いつの間に、時間制限などあったというのか。

「あなた方がサッカーを続けていく方法、それは……ズバリ! 負けないことですねぇ」

 表面上だけで受け取れば、文句を言っていた剛陣も他の皆も、肝に命じ、こなそうとしていることだ。しかし、その裏にはどんな真意を秘めているというのか――今の彼らには、それを読み取ることはできなかった。

「だから勝つための特訓がいるんだろ!?」
「ホーホーホー! 言っておきますが私の練習は絶対ですよ! サボったらそのイレブンバンドですぐにわかりますからね」

 それ以上どうにもできず、趙の指示に従うほかなかった。


***


「死にそうです……なんで試合前に体力作り、ですか……」

 夕方。一日目の練習メニューである河川敷を走る川沿いコース100往復を無事こなし、体はヘトヘトだ。
 夕日に照らされながら、これから住むアパートへと向かっている途中、奥入が弱々しく呟いた。

「来て早々これかよ……」

 奥入に同意するように、剛陣も言葉を溢す。

「でも、なんか……町の人にたくさん声かけられたね」
「優しい人達だったね」

 のりかと花茶が、表情を緩ませながら話す。
 雷門中の関係者にも、町人達にも受け入れてもらえるか不安だった分、優しく接してもらえたことに喜びを覚えていた。

「雷門中のユニフォームは、この町の人達にとっては神聖なものだろうからな」

 貴利名の見解に「ああ」と納得する。
 雷門中サッカー部は、町人達からの信頼も厚いようだ。

「着いた……ここが木枯らし荘……」

 雷門中サッカー部として戦っていくため、今日からこの木枯らし荘というアパートでお世話になる。
 見たところ新築だ。外装に劣化しているような場所は見受けられない。

「うーん、木の匂いとかいい感じ!」
「島以外の所で寝るのは初めてでゴス……心配でゴス……」
「すぐ慣れるよ!」

 はしゃいでいるのりかとは反対に、岩戸は憂いに満ちた表情だ。彼をフォローしたのは服部だった。

「サッカーができるだけじゃない、フットボールフロンティアに出場できるんだ……夢みたいだ!」
「負ければそこで終了だけどな」

 夢と希望に満ちた、という様子で明日人が言うと、小僧丸が現実は甘くないと言わんばかりに厳しい言葉をかける。
 それでもめげない明日人は、「勝つさ、絶対に!」と笑っていた。

「あんた達が田舎島の子達だね」

 木枯らし荘から小柄なおばあさんが姿を現した。

「伊那国島だ! 間違えんな」
「あら、そうなの? うろ覚え、メンゴメンゴ」

 謝っているが、反省の色は見えない。
 しかし、不思議と嫌な気分にはならなかった。

「あなたが管理人の風秋ヨネさんですね」

 道成が尋ねると、木枯らし荘の管理人であるヨネが笑顔でコクンと頷く。

「ヨネさんとでも呼びな。さ、入った入った!」
「ヨネさん、お世話になります!」

 木枯らし荘の中に入ると、外装同様、内装もかなり綺麗だ。それなりに広く、のりかが言っていたように木の匂いも落ち着く。
 我が家ではないながらも、落ち着いて生活できそうだ。

「おおー! ここが……!」
「ここが私達の部屋!」

 配られた部屋割りを確認し、のりかと花茶がこれから自室となる部屋の前に立つ。

「花茶と同室で嬉しい!」
「私もだよ、のりちゃん!」
「落ち着いたらお菓子パーティーしようね!」
「いいね、やろやろ!」
「お前達……遊びに来たわけじゃないんだぞ?」

 キャピキャピ喜んでいるのりかと花茶。遠くから、道成の呆れた声が聞こえた。

「賑やかになりそうだな」

 そして、花茶の自室の左隣には、万作の姿があった。

「お? 雄一郎。ここでもお隣さんだね、よろしく!」
「ああ、よろしくな」

 花茶と万作は、嬉しそうに笑いあった。

 それからすっかり日は沈み、夜。
 明日人は貴利名と話し、サッカーを島に連れ帰ること、取り戻すことを堅く誓ったのだった。


***


 時間は戻り、星章学園と雷門中の試合。
 あれから雷門中は失点を重ね、既に星章学園に5点を許していた。
 皆、星章学園な動きについていくのに必死で、かなり疲労している。途中、選手交替を余儀なくされ、服部に代わり、花茶がポジションについていた。

「フィールドの外から見てるだけじゃ掴めなかったけど、この至近距離で見てると……星章学園のプレーはマジで半端ない」

 ――早く星章学園の動きや癖を理解し、順応しなければ。
 そう思ってはいるのに、気持ちは逸るばかりで、なかなかうまくいかない。
 交代してから結構時間は立っているのに、相手の動きに慣れることができない。

「花茶、パスだ!」
「うん!」

 花茶が明日人にパスしようとするも、敵のスライディングによってボールを奪われてしまう。
 足を引っかけた花茶は、そのまま転倒してしまった。

「花茶! 大丈夫か!?」
「ぐっ……、怪我は大したこと、ない……けど……」

 万作の心配する声に答えながらも、花茶はしっかりと感じ取っていた。
 ――格が違いすぎる。
 島を出る前、ずっと気にかかっていたことが、今、目の前で、現実になっている。

「駄目だ……こんなんじゃ……」

 こんな相手と、今の今まで皆は戦っていた。なのに、自分はベンチで見ているだけで。趙の采配とはいえ、とても情けなくなってしまう。

「どうしたら……!」

 地面に尻をつけたまま、立ち上がることも出来ず下を向く。

「決意してきたんじゃねぇのか!」

 その時、小僧丸の檄が飛んだ。

「お前の決意はそんなもんなのかよ! 少しは骨のある奴だと思ったが、結局腰抜けだな!」

 腰抜け――島を出る前にもかけられた、罵声ともとれるような言葉。しかし、それはただ貶しているわけではない。小僧丸なりの叱咤だ。
 それを汲み取り、花茶は悔しさにグッと唇を噛み締める。そして、意を決したのか、俯いたままだが、ゆらりと立ち上がった。
 それから、

「クソォォォォ――!!」

 星章学園スタジアムに響きわたるほどの、雄叫びを上げた。
 観客席がザワつく。星章学園の選手も痛いものを見るような目で花茶を見る。
 そんな数々の視線などものともせず、花茶は両手で両頬をパチンッと強く叩いた。

「うし、気持ち切り替えた!! ――いける!!」

 しっかりと前を見据え、先程まで不安と絶望に揺らいでいた瞳を、勝利を目指す眼差しに変えた。

「ごめん! 小僧丸! また手ェ焼かせた!」
「謝る暇があるなら戦え!」

 走る小僧丸に続くように、花茶も走る。迷いなく、勝つために。
 しかし、どんなに気持ちを切り替えようと、やはり星章学園には手も足もでない。
 それでも、諦めずに走る。

「鬼道、コイツらのどこに戦う価値がある……!?」

 雷門中を雑魚と認識した灰崎は、自分達の実力が圧倒的に相手よりも上だと知ると、そう不満を溢す。
 試合の前、鬼道が核心をつくように言っていた。「お前は自分を闇から救ってくれる何かを探している」と。「雷門中はお前にとって光になるかもしれない」と。
 だからこそ、灰崎は必殺技も持たないチームだがこうして試合に出ているのだ。
 雷門中に興味を示す価値があるとすれば、それは必殺技ではなく潜在能力だと、鬼道は言っていた。
 ――俺をけしかけといて自分は何処に行っている、鬼道!
 やり場のない苛立ちが募る。

「見せてみろよ、お前らの潜在能力ってやつをよォ!」

 灰崎のシュートがゴールに突き刺さり、更なる追加点を決めた。
 その後も、8点、9点と追い討ちをかけるように次々とゴールを割る。
 ――そして、ついに10点目。それは、灰崎の必殺技によって決められることになる。

「オーバーヘッドペンギン!!」

 華麗な必殺シュートが放たれ、雷門中は必死にゴールを守ろうと走る。

「これ以上点はやらない!」
「最後まで戦うんだ!」
「負けるもんか!」
「どんなに挫けても、死ぬ気で頑張るって決めたんだ――!!」

 明日人、万作、服部、名前が皆を引っ張るように言う。
 ――絶対に、諦めない。
 彼らの気持ちは、一つになっていた。

「ゴール!! 星章学園、これで10点目をもぎ取りました!!」

 しかし、強い思いは届かず、残酷な実況がこだまする。
 試合の前に懸念していた、大量得点差――それは、どう足掻いても回避することはできなかった。
 そして、1ー10で試合は終了。雷門中は、完敗。
 その試合をずっと見ていた謎の少年二人が、怪しげに話していた。

「当然の結果です」
「そうなんだけど、西蔭、あの雷門中のこと、少し調べてくれないか?」
「……わかりました」

 後に、驚異となろう二人が、静かに動き始めた――。



「雑魚が……」

 一方、試合を終え、ベンチにもどった灰崎は怒りを露にしていた。

「珍しいな、お前がそこまで熱くなるとは」

 星章学園監督――久遠が、物珍しげな視線を灰崎に向ける。

「アイツらのサッカーを見てムカついただけだ」
「ほう」
「雑魚のくせに目だけはいっちょ前にギラつかせてやがった」

 灰崎がフン、と鼻を鳴らすと、久遠は一拍置いて、

「アイツらを見てイラついた理由は、アイツらが本気で勝とうとしていたからだ」

 試合を見ていたからこそわかる、互いの信念や心意気。全てを見抜いた久遠は断言するように強く言い切った。



 そして、ベンチ前に座り込む雷門サイドは、試合に負けてしまった悔しさ、もうサッカーができなくなる悲しさでいっぱいになっていた。
 ――こんなにも呆気なく終わるなんて。
 想像では、もう少し互角に戦えるはずだった。けれど、それは所詮想像にすぎなかった。

「やはりこの程度……所詮田舎島の野良猫といったところかしら」

 特別席で試合を見ていた杏奈も、ほんの少しでも期待していたらしい物言いで、無駄だったと失望しているようだった。
 しかし――。

「皆! なんだよその顔は! 絶対にサッカーはいなくならない! 諦めなければ、必ずチャンスはくる!」

 明日人には、まだ気力が残っていた。

「俺達今までサッカーに救われてきただろ? 辛いことだって乗り越えられてきたんだ! だからサッカーは渡さない、いつか絶対に取り返す!」

 明日人の言葉に、杏奈はハッと目を見開く。
 こんな惨敗をしても諦めない彼に、何か思うところがあったのだろう。

「そうだ! 皆、せっかく東京に来たんだから観光していこうよ!トキオサンシャインタワーで町を見渡そう!」
「おお、いいね! そうしよう!」
「きっと絶景だろうなぁ!」

 落ち込む気持ちを振り払い、明日人が提案した。のりかと花茶が、それに同調する。
 悔しいけれど、今は前を向かなければいけないのだ。またサッカーに会うために――。


 星章学園と雷門中の試合をモニタリングしていた女が語る。「アレスの予想通り」だと。
 そして、もう一人の男は言い張る。「アレスは全て見通している」と。
 雷門中に何か引っ掛かりを感じた男が、その心を女に明かすと、女は「私にはただの田舎者達の集まりにしか見えませんね」と、雷門中を軽んじた嫌味を言うだけだった。
 この二人の会話も、これから起こるであろう出来事も、明日人達は知るよしもない。


***


「スゲー!!」

 明日人の提案どおり、皆でトキオサンシャインタワーを訪れた。

「島じゃ見られない景色だな」
「やはり東京はすごいですね!」

 服部に続き、道成と日和も感動の声を上げる。

「ここから木枯らし荘見えるかな!?」
「探してみようよ!」

 花茶とのりかも、仲良く横に並んで町を見渡す。

「ここが東京のてっぺんか……」

 ハイテンションの皆をよそに、今まで一番元気だったはずの明日人が眉を八の字に曲げていた。そしてふいに、ポロポロと涙を流し始めた。

「ここでサッカーができると思ったのに……母ちゃん、俺、俺……!」

 皆を元気付けるために明るく振る舞っていたが、悔しいのは明日人も一緒だった。母と交わした約束を果たせず、涙が溢れる。
 ――もっとサッカーしたかった。
 明日人の涙はいつの間にか他の皆にも伝染し、周りの目など気にせず、ワンワンと泣き出した。
 ただ、小僧丸を除いて。

「おいおい、こんな所でかよ……」

 泣くなら試合直後にしておけと言いたげに、小僧丸は深いため息を吐いた。

「はいはいはい、雷門イレブンの皆さん、あなた方のプレーには感動しました、実に素晴らしい!」

 慰めるように、泣き止ませるように、とある男が手を叩きながら現れた。
 あの試合が、ズタボロに負かされた自分達のプレーが、素晴らしかったなどと思えるはずがないのに。

「だ、誰……?」
「私、アイランド観光の社長、島袋幾太郎と申します。お見知りおきを」

 アイランド観光の社長、島袋幾太郎。その名を聞き、剛陣を除いた皆が「え!?」と驚く。

「有名か?」
「大手の旅行会社ですよ!」

 尋ねる剛陣に、名刺を受け取った奥入が信じられないといった口振りで言う。

「俺達のプレーを見ててくれたんですね」
「はい。本当に感動的な試合でした」

 もっとどうにかできたはずなのに、まるで歯が立たなかったあの一戦。それを思いだし、島袋の言葉を信じることができない。

「でも、負けたんですよ!?」
「試合は勝ち負けではありませんよ。あの星章学園から一点をもぎ取り、しかも最後まで正々堂々としたプレー、実に良かったです」

 日和が自嘲混じりに言えば、それすら包み込むように優しい言葉をかける。

「例えば、小金井花茶さん。貴女はどんなに実力差を見せつけられても、諦めずに奮闘していましたね」
「……アレは、皆の支えがあったから……」
「どのような形であれ、そうすることに意味があるのです」

 諦めが悪いのはカッコ悪いことではない、惨めではない。むしろ誇りにすべきだと、島袋は褒め称える。

「でも、負けは負け……俺達のサッカーは終わりなんです」

 結果的に負けたという事実は、どうしたって覆らない。受け入れるしかないのだと、万作が知らしめるように言った。

「いいえ、終わりませんよ。当社、アイランド観光はあなた方伊那国島イレブン、即ち新雷門中のスポンサーをやらせていただきます」

 ――自分達のスポンサー?
 皆が、奇跡でも起きたかのような表情で、島袋を見つめる。

「あなた方は試合に負けても気持ちで負けていませんでした。私はそこに心を動かされたんですよ」
「本当、ですか?」
「ってことは……!」
「俺達まだサッカーができるんだ!」

 絶望は希望に変わり、砕かれた夢は再び形を成す。
 そうしてその好事を、皆で喜びあった。

「そうか、そうだったのか!」
「何がだ?」

 ひとしきり喜びを分かち合った後、明日人が町を見下ろして言った。
 万作が問いかけると、明日人は話し始めた。趙の言葉の真意を。

「監督が言ってた負けないことっていうのは、たとえ試合に負けても、気持ちで負けないことで道は拓けるって、そう言いたかったんじゃないかな?」

 言われてみれば、そうかもしれない。上部だけではわからなかった、趙の真意。それを今なら理解できる。
 それだけではない。試合までの一週間の間、一見無茶苦茶と思われるあの練習のおかげで、町の色んな場所へ行くことが出来た。町人達と知り合えて、知らない町に来たはずなのに、すごく楽しく感じられた。
 島を出る選択を強いられた時、あれだけ未練タラタラだった皆が、上京してから帰りたいとは一言も言わなかったのだ。

「監督は、俺達にサッカーを続けるための特訓を、ちゃんとやってくれてたんだ!」
「疑っちゃって申し訳なかったなぁ……趙監督ってすごいんだ!」

 明日人と花茶が頷きあう。

 その一方で、役目を終え、雷門中サッカー部部室に帰って来た趙がピコピコとゲームをしながら、大きなくしゃみをしていた。