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「なんやえらい甘い香りする思たら名前ちゃんやないの。何作っとんの」

背後からそう問うた声の主は文字通りわたしの仕える人、直哉坊っちゃんだ。
この禪院家といういろいろな意味で古く大きなお屋敷で使用人としてこまごまと働いている者は多いが、中でもわたしは彼の“お気に入り”らしい。用もないのにわたしを名指しで呼びつけてはその度に彼の相手をさせられる。
そんな毎日の中で唯一の楽しみ、自由時間に甘いものを食べるという至福の時間がたった今終わりを告げた。

「カルメ焼です。久々に食べたくなったので」
「何やそれ」

お坊っちゃまの彼はおやつも余程いいものを食べているのか庶民の駄菓子を知らないらしい。
まあ、最近だと学校の家庭科や理科でカルメ焼を作るといったこともなくなっているらしいとも聞くしただのジェネレーションギャップというやつかもしれないが。

「坊っちゃんともあろう方でも知らない物があったんですね」
「あ?」
「いいえ、何でも。」

皮肉に塗れた呟きが「何でもない」で済ませてもらえるのも、わたしが彼のお気に入りだからだと侍女長に教えてもらったのはつい最近のことだ。普通は禪院家の男性、まして次期当主と噂される直哉坊っちゃんにそんな口を聞くなど自殺行為に等しいのだという。

「あ」

気づいた時にはもう遅い。せっかく失敗せず完成させることができたカルメ焼はまだ少ししか食べていなかったのに目の前のワガママ大王が攫って行ってしまった。
少しずつ丁寧に食べていたわたしを嘲笑うかのようにガリ、という音と共に大部分が坊っちゃんの口に入る。

「何やこれ。あっま。」
「それはそうでしょう。砂糖の塊みたいなものですし」
「こんなんよう食われへんわ」
「なら返してください」

一口食べて眉間に皺を寄せた坊っちゃんに言い返すと、彼はあろうことか残りの欠片も口に放り込んだ。嫌なら食べなければ良いのに。

「悔しかったら取り返してみい」
「じゃあいいです。もう一個作りますから」

わたしが時間をかけて作ったカルメ焼を奪っておいて文句を垂れる我が儘なゴシュジンサマにはほとほと困ったものだ。子供みたいな嫌がらせのためにわざわざ残った分まで食らうような男のペースに付き合ってやることはない。聞こえるようにわざと大きくため息をついてまたコンロの方へ向かおうとしたところで、わたしの体は強制的に引き戻され、唇に熱い感触。
抵抗しようとした腕は呪術師として鍛えられた彼の前では何の意味も為さず、抗議しようと開いた口には甘ったるい固形物が転がって、それごと舐られる。
やっと解放されたと思って口内の塊を噛み砕くと、わたしたちの唾液を吸って硬度を変えたそれはくしゃりと音を立てて崩れ、砂糖味が広がった。

「っは、返したったわ。感謝し。」
「っ……最低です」
「名前ちゃんが何と言おうと抵抗すらできひんかった負け犬が吠えとるだけにしか聞こえへんわあ。」

ぺろりと口の周りを舐めた坊っちゃんはわたしの吐いた悪態をものともせず、満足そうに口角を上げていた。

「今夜はきちんと歯を磨かないと虫歯になりますよ、坊っちゃん」
「いつまでも子供扱いすんなや」

些細な仕返しのつもりで投げた小言だけは、案外効いたようだ。


禪院直哉とカルメ焼

それでもわたしがここを辞めないのは結局そういうことなのである