三日前

 方々に訊き回っても依然として収穫はなく、監督生は落胆する気持ちを抑えられないまま寮へと足を進めた。
 
「今日も見つかんなかったんだゾ……」
「本当、どこ行っちゃったんだろうね」

 監督生の頭の上で元気がなさそうにグリムが三叉の尾を揺らす。
 始めは偶然見つけたNRCの匿名掲示板で。それでも見つからず、今は時間が許す限り知り合いに声をかけている。けれども誰もが首を傾げ、不思議そうに監督生たちを見るばかりで。
 まるで二人のほうがおかしいとでも言うようなその反応は、精神的負荷が大きかった。それが幾日も続けば焦燥感は諦念へと移り変わろうとし――監督生は己を奮い立たせるべく思い切り頬を叩いた。

「ふなっ!? 何やってるんだゾ!?」
「ちょっと、気合入れようかと」
 
 肉薄の頬が乾いた音を響かせ、呼応するようにじわ、と熱を持つ。思っていたよりも力強く叩いてしまった。両掌と両頬のひりつきが、なんだか自分のことを責めているみたいだ。

「今日はツナチャーハンと…昨日購買で安売りしてたインスタントスープにしよっか」
「本当か!? ならオレ様、お湯沸かしておくんだゾ!」
「ありがとう。そしたらご飯の前に課題終わらせちゃおうね」

 監督生を覗き込むグリムの、逆さまになった頭半分が視界に入る。
 猫のような手で器用に人間の真似事をするグリムは、監督生が根気強く教えているうちに多少の家事も熟せるようになっていた。包丁は流石に持たせていないが、ピーラーを使った皮剥きや洗濯物畳みは一人でやってのけるのだ。

(グリムも成長したなぁ)

 そんなことを思っていると、頭上から腕の中へと移動したグリムがくん、と鼻を動かす。不思議に思って監督生が顔を下に向ければ、グリムは門の先にある玄関扉をじっと見ていた。
 警戒しているのだろう。大きな目をつり上げ、獲物を前にした肉食獣のように黙している。監督生もグリムに倣い、ほとんど睨むように寮を見遣った。
 ナイトレイブンカレッジの中で、魔力のない監督生と魔獣であるグリムの立場はかなり低い。それは偏にこの学園の生徒に博愛精神が存在せず、代わりのように膨れ上がったプライドが原因で顔も名前も学年も知らない複数名の生徒に絡まれるからである。
 とはいえ、校舎からも鏡舎からも距離のあるオンボロ寮にまで嫌がらせする生徒は今までいなかったのだが…。

 監督生はいつ何が出ても対処できるように重心を下げ、そろそろと忍び足で寮に近付いた。

「変な匂いなんだゾ」
「魔力の匂いってこと?」
「……たぶん、魔力じゃねーんだゾ」

 声に緊張を滲ませたグリムの炎が、監督生の不安に呼応するかのように揺れる。
 グリムはともかく、魔法を使われれば自分はどうすることもできない。監督生にとって魔法はナイフよりも恐ろしく、銃よりも果てしない、ある種の凶器に違いなかった。

 一歩、二歩と足を進めていくと、玄関前に何かキラキラと輝くものがあることがわかる。じっと目を凝らせば、それはなにやら手の平サイズの白い塊であるらしかった。
 
「……ん?」

 あと五メートルほどというところで、監督生はその塊が見覚えのある形をしていることに気付く。
 思わず亀の歩みを戻して近寄ればグリムが慌てたように暴れたが、監督生は躊躇なく塊を手に取った。

「なんでこんなところに折り鶴が…?」

 パタパタと両翼を小さく羽ばたかせていた折り鶴に、監督生は目を丸くさせる。グリムは監督生の反応に害はないと判断したのか、興味深そうに折り鶴を眺めていた。
 悪戯にしてはあまりにもショボすぎるし、意味がわからない。というか、ツイステッドワンダーランドに折り紙のできる人間がいたのか。
 この年ではめっきり折ることもなくなった鶴をしげしげと見ていれば、片翼の裏側に流麗な字――恐らく筆で書いたのであろう「解」という文字を見つけた。不思議に思い、監督生は指で優しく摘まんでみる。

 すると、どうだろう。
 結んだリボンが解けるように折り鶴はするすると形を変えていき、あっという間に平らな紙面となったではないか。

「おお……流石魔法のある世界」
「なんか書いてあるんだゾ」

 ぺしっとグリムが肉球で軽く紙面を叩く。和紙を思い出させるざらりとした肌触りのそれには、監督生に馴染みのある文字が連なっていた。
 春の川のような筆跡で綴られているそれを目にし――次の瞬間、監督生は大きく目を見開いた。