北一の幽霊
ちらりと、気づかれまいと思って、武田先生が会議をしている時間を狙ってこっそり、バレー部を覗いてみた。すると一人だけ、見たことのない女の子が潔子さんの隣に立っていて、あの子か、と私は納得する。色素の薄い髪の短い、可愛らしい子だ。当然だけど、私みたいに影は薄くない。潔子さんみたいに高嶺の存在じゃなくて、普通の、私のなりたかった普通の子。羨ましい、と思う。けど、不思議と卑屈な気持ちにはならなかった。
「(私は、存外愛されている)」
この間の月島の言葉を思い出して、そう思う。普通の女の子≠ナなくとも、私は私として、存外愛されているんだと。それに気づかせてくれたのが月島だと言うんだから、なんだか不思議だ。最近の月島はなんだかららしくない。
もう一度戻れるものならバレー部に戻りたいが、きっとお母さんが許してくれない。月島が言うには夏休みに東京遠征もあるらしい。行きたい。皆と行く東京。行きたい。しかしお母さんが…と、また考えて、日向の言葉を思い出した。
「…どうしてお母さんが言ったから辞めるの、…か」
…どうしてだろう。私はお母さんからお父さんを奪ったから、お母さんは私から大切なものを奪う権利がある―――と、私はこの間お母さんにそう言った。八つ当たりだったが、思い返して、そのとおりだと思った。私はお母さんから、大切なお父さん≠奪ってしまった。だからお母さんには、私から大切なものを奪う権利があるのかもしれない。きっとそう説明しても、日向は「どうして」と言うのだろうけど。
「…帰ろ」
そう呟いて、踵を返した時、ドン、と誰かにぶつかった。「ぅわっ!?」と、割と久しぶりに聞くその声。
「…え、か、影山……?」
「、…御国?」
怪訝そうな顔でこちらを見る影山に、私はサァ、と青ざめた。しまった見つかった。影山は私を見て怪訝そうな顔をしていたが、しかしふと思い当たったのか、口の横に手を当て、何かを叫ぶポースになる。直感でバレー部の皆に知らせるのだと予感して、慌てて影山の口を抑えて影に隠れる。
「っ!?」
「言わないで!! Shut Up!! 黙れ!! OK!?」
「…!?」
コクコクと頷く影山を信用して、恐る恐る手を放す。ああ、怒鳴ってきそう…
「っぷは! このっ、ボゲ御国ボむぐっ!?」
「だから! 静かにしろってば!!」
期待を裏切らない!! 嫌な方向で!!
暫くそのやり取りを続け、漸く大人しくなった影山に一息ついて、私は大きく息を吐いた。
「…なんでいるんだよ、お前」
「別に。ちょっと見に来ただけ」
「日向探してんぞ。悪いこと言ったかもって」
「…そんなことないって言っといて」
「先輩たちも心配してた。特に西谷先輩と田中さんが俺らのせいだーって」
「それもそんなことないって言っといて」
「自分で言えよ」
確かにそうだ。影山の言葉に、苦笑いだけ返す。影山は片眉を上げた。
「なんで辞めたのかは知らねえけど」
「……」
「俺の知ってる北一の幽霊≠ヘ、割と強い奴だった、と思う」
影山はそれだけ言って、私の横を通り過ぎて行った。私は溜息を吐いて、しゃがみ込む。
「幽霊≠カゃないっつの…」
馬鹿野郎。
▽
谷地side
「もう一人さ、御国さんって子がいるんだ! マネージャー!」
日向は明るい笑顔で、私にそう語った。そういえば最初の頃、そんなことを言っていたな、と思い至る。御国さん=Aか。聞いたことのないその名前。私は首を傾げた。
「ええと……今はどうして…」
居ないんですか。聞こうとして、日向の少し悲しそうな顔にハッとした。もしかして聞いてはいけないことだっただろうか。そんな、空気も読めないなんて私は、もう切腹するしか…! なんて、そんな馬鹿なことを考えていると、日向が私の質問に応えるように口を開いた。
「今は辞めちゃったけど、絶対、戻ってくるから!」
何が根拠かさっぱり分からないけど、日向が言うならそうなんだろうなって思った。御国さん=Aかぁ、どんな子だろうなあ。
思い至って、私は一年生の皆に御国さんの印象を聞いてみることにした。
まずは日向。
「え? 御国さんがどんな人かって? うーん、そーだなあ。なんか、いっつもつまんなそうな顔してて、あとすぐどこ行ったか分かんなくなる!」
次に影山くん。
「………北一の幽霊。目を離したら次の瞬間消えてる」
次に山口くん。
「え? 御国さん? うーん……見かけによらずズバッと物を言う子かなあ。ツッキーとよく喧嘩してたよ。優しい子かな」
最後に月島くんは。
「さあね、なんかいっつもうじうじ悩んでるよ」
なんだかよく分からなかった。いつもつまらなさそうな顔をしていて、目を話したらすぐにどこか行ってしまう(自由人?)。北一の幽霊?はよくわからないけど見た目よりものをズバッと言う子で、月島くんとよく喧嘩をしている、でも優しい子。よく悩みごとを抱えている…? 分からない。なんか、いまいちイメージが定まらない。やっぱり会ってみないと分からないものなんだろうか。
早く御国さんに会ってみたいな、と思った。
- ドンッ
「ぅわっ!?」
それから数日経って、移動教室中、廊下で誰かとぶつかってしまった。前から人は歩いていなかったように思うのに、突然、人が現れたような、そんな感覚に、私は首を傾げた。そんなことあるはずないのに、私は一体何を考えているのだろうか。い、いやそれよりも、ぶつかった拍子に相手方が荷物を落とされたようだ。私も拾うのを手伝わないと。あああ、荷物を落とさせて汚してしまうなんて、ど、土下座で謝らないと…! と、今にも土下座をしようとしていれば、相手の「あ」という声に気を取られてそれは阻止された。もしかして知っている子だろうか、と相手の顔を見るが知らない子。茶髪で、髪が短くて、少し前髪が短めでぱっちりした目の女の子だった。も、もしかして私が忘れているだけだろうか……人の顔も覚えられない私なんて…!!
「? 千景知り合い?」
その子の隣りにいた子がその子に声をかけた。千景、と呼ばれたその子は「あ、いや」と首を横に振って荷物を拾おうと手を伸ばした。とりあえず忘れていたわけではなさそうで、私はほっと安堵して荷物を拾うのを手伝う。移動教室の帰りだろうか。ええと、一年四組御国千景……ん? 御国?御国ってもしかして…
「…? あの……教科書…」
「…ハッ!? スッ スミマセン!! 私なんかが教科書に触れてしまいしたッ!!」
「え!? あ、いやそれはいいんですけど……拾ってくれてありがとうございます」
へら、と人のいい笑みを浮かべる御国さん。私は教科書を差し出しながら、御国さんの顔を盗み見る。…もしかして御国さんって、この子が…
「…それじゃあ」
「あッ、ハイッ!!」
大袈裟にお辞儀をして、私は踵を返した。…あの子が、御国さん。
「戻ってきたら、仲良くなれるかな」
日向の言う「戻ってくるとき」を思い起こして、思わず笑った。
▽
北一の幽霊
その呼び名は、私が高校に入って影山と出会ってから発覚した何とも不名誉なあだ名、のような物である。発覚したのは高校に入ってからだが、その呼び名は中学の頃から呼ばれ続けているものらしく、四月に青城高校で出会した中学の同級生にその名で呼ばれたのは記憶に新しい。しかしまあ、これが呼び名だけなのだとしたら、こんなにやる瀬なくなることもないのだ。かつての中学の同級生――先輩もいるが――は、私のことを本当に幽霊≠セと思って、その名を呼んでいたのである。悪気ゼロで言っているのだからまたタチが悪い。しかしその不名誉なあだ名も、片っ端から否定していくことで何とか最近は呼ばれることもなく、落ち着いていたのだが。
「俺の知ってる北一の幽霊≠ヘ、割と強い奴だった、と思う」
「…知らないっての」
先日、影山に言われた言葉。まるで言外に、今の私が弱い≠フだと言われているようで、酷く気分が悪い。いや、その通りかもしれないが、バレー部の一年の中でもそんなに仲良くない影山に言われたのが、何だか腹が立って仕方がない。影山とは大して話したことはない(と思う)し、私も別に社交的な性格なわけじゃないから関わりにはいっていなかった。だというのに、何なのだ、唐突に。しかも私の嫌がる北一の幽霊≠ネんて単語まで出してきて。苛々と、自転車を漕いで家までの帰路に着く。言われたのは先日だが、思い出すとまた怒りが込み上げてきた。
「…別に、昔だって私は強くなかった」
漕ぐのをやめて、車輪の動きに身を任せる。影山は、何を思ってあんなことを言ったんだろう。…いや多分何も考えてないな。うん。影山だし。
「あーむかつく!!」
叫んで、私はまたペダルを漕いだ。