バレー部事変(?)
キーンコーンカーンコーン、テスト最終日、最後の時間の終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。私は鉛筆を置いて、大きく伸びをする。ああ、やりきった。今回も恐らく赤点はないだろう。現代文は自信がある。もしかしたら百点いってるかもしれないなあ。百点だったら武田先生は褒めてくれるだろうか…、っていや、今武田先生から逃げてるんだった。うん。さて、さっさと帰ろう。電車の時間もあるし、ちょっと急げば間に合うかな。昼って本数少ないから、次逃したら痛いんだよなあ。そう頭の端で考えて、鞄を肩にかけた。急ごう、と橘の言葉に頷こうとした時、どこからか奇声と、それと同時に勢い良く扉を開ける音。
「千景っ!! 居るかぁ!!」
「っ!?」
「千景ちゃん!!」
私の名前を大声で叫んで入ってきた二人組の男――西谷先輩と田中先輩は、必死の形相で教室を見渡している。どうして、二人がここに…今まで来なかったのに。その疑問は、「テスト終わるまで我慢したんだ!! 絶対今日連れてくかんなァ!!」と叫んだ西谷先輩の台詞で解決した。
「ね、ねえ千景…あれバレー部の先輩じゃ、」
「……」
橘の問いには答えずに、俯いた。来られたって、私はバレー部には戻れない。お母さんはきっと許してくれないし、それに、
「(それに…)」
私は黙って、いつも薄い影を更に薄くして、教室を出た。
▽
「………」
月島は、たった今教室をまるで幽霊のように気配を消して出て行った千景に、大きな溜息を吐き出した。その間にもうるさい二人の先輩達はここにはいない千景の姿を探し、叫んでいる。お陰でクラスメイト達はどん引きしていたり怯えていたり――色々だが迷惑そうに顔を歪めていた。千景って誰だよ∞そんな奴いたっけ?≠サんな声もちらほら聞こえる。
「(…仕方ない)」
月島はその声にも溜息を吐き出して、今にも暴れだしそうな二人に声を掛けた。
「先輩方」
「、! 何だ月島!」
「もうここには御国はいません。とりあえず諦めて帰ってください」
「何だと!?」
僕のその言葉に驚いたのは二人だけではなく、少し離れたところにいた橘も同様だった。「あれ千景がいない!?」とその台詞に月島は三度目の溜息を吐き出した。
「…山口先部活行ってて」
「え? う、うん?」
さて、後は。先程千景の出て行った扉を見遣り、月島はそちらに足を進めた。
▽
教室から出て、何となく帰る気になれなかった私は、人気のない廊下の隅で蹲っていた。先程の出来事はあまりにも予想外で、私には贅沢すぎることのように思えて、怖かった。
「(テスト終わるまで我慢したって……わざわざ来なくたってよかったのに)」
来られたって、私はバレー部には戻れない。お母さんはきっと許してくれないし、それに、先程の思考が蘇る。…それに。
「(…それに、私自身、心のどっかで思ってた。もしかしたら私のせいで、皆に迷惑をかけてしまうこともあるんじゃないかって)」
だから、そんな弱さでバレー部を辞めてしまったことを見抜かれてしまったような気がして、あの影山の言葉に苛々した。怖かった。まともに人と関わることなんて、橘以外にはなかったから。怖くなって、全部お母さんのせいにして、逃げようとしていた。
「(…弱い)」
私は本当に、弱い。蹲る私に、影が差した。
「…御国」
「! …月島……?」
「あんな猛獣二人も置いて逃げるとかふざけないでよ」
…なんで。私は茫然と目の前に立つ月島を見上げた。
「なん、で」
「…面倒だったから」
「、え?」
「面倒だったから、隠そうと思ってた。キミには武田先生だけいればそれでいいし、別に言う必要もないし」
「…?」
月島が何を言っているのか、さっぱり分からなかった。疑問を顔いっぱいに貼り付け見上げると、月島は大きく溜息を吐き出すと、「だから、」と私に目線を合わせるようにしゃがんだ。
「御国を認識できるのは、武田先生だけじゃないってこと」
「……へ」
「間抜け面」ふ、と嫌味な笑みを浮かべる月島に反応することも出来ず、私はただただ驚いて、月島を見つめた。
「……え…? は…???」
「…寧ろ何で気づかないわけ。君が部活辞めてからあからさまだったデショ」
「…そ、うかもしれないけど」
言われてみれば確かにそうなのだが。確かにもしかして私を認識出来てるんじゃないか≠ニ考えた事もあったが。しかし、だけど!
「そんなの言わなきゃ分かるわけっ、」
「ハイハイ。それはもう良いから。ほら行くよ」
「…は? どこに……」
「部活。決まってんじゃん」
「…はあ!?」
さっきから何を言ってるんだコイツは!! お前そんな部活やめたやつを連れ戻すようなキャラじゃないだろ!
「…あのさ」
「な、なに」
「どうでもいい相手に僕もここまでしないから」
「っ、は、」
「ほら行くよ」月島に腕を引かれて、呆ける私は着いて行くことしかできなかった。
▽
「…! 御国…さん?」
その声で、ハッと意識が戻った。放心状態で体育館まで連れて来られた私の目の前に、今数日ぶりに武田先生が立っている。私の腕を掴んだままの月島はこちらをちらりと見やって、また武田先生に視線を戻した。
「武田先生。御国バレー部に戻るそうです」
「! え、ほ、ホントに!?」
「っ、ちょっと月島!! 私そんなこと一言もっ、」
「今日帰り」
「、……え?」
「御国ん家一緒に行くから。だからバレー部残るって宣言してきなよ」
「…………はあ…?」
本当に、今日の……というか、最近の月島は変だ。どうしてこんなに私に構ってくるんだろう。私を認識できるから、にしたってちょっと、
「(…構い過ぎ?)」
ちらりと武田先生を見る。武田先生は月島の言葉を信じていいのか図りかねているようで、視線をキョロキョロと彷徨わせている。…まあ、そうだよなあ……
「(…どうしよう)」
戻りたい、けど。お母さんが許してくれるだろうか。お母さんに隠してバレー部に戻ることも簡単だ。だけどそれじゃあ夏休みの遠征には行けないだろうし、何よりも、以前と何も変わらない。私はお母さんに認めてもらって、バレー部にいたい。
「…あの!」
「、っ、は、はい?」
「私、その………今日、お母さんにもう一回言ってみます。それで、えっと…ちゃんと、許して貰って……許してもらえるまで話をするので……その、また、バレー部に戻っても……良い、ですか?」
「…!」
武田先生は一瞬驚いたような顔をして、すぐにそれはそれは嬉しそうな顔をした。
「勿論です。というか僕は御国さんの退部を承認していませんよ」
「…! え、」
「だから、いつでも戻ってきてください。あ、でも今までのさぼりの分はしっかり皆に怒られて下さいね」
「…っ、はい!」
まだ、私の居場所はここにある。
▽
「お帰り」
体育館に入って、私は大声を張り上げ部活に戻ることを宣言した。皆驚いていたけど、すぐに笑顔で駆け寄ってきて、笑いながら小突かれて怒られた。しかし最後には皆がそう言ってくれて、私は鼻の奥がツンとするのを感じながら、「ただいま戻りました」と笑顔で答えた。日向は本当に喜んでくれた。手をぎゅっと握られてブンブン振り回された。私が戻ったことでこんなに喜んでくれる人がいるのは素直に嬉しかった。
「あ、あのね御国さん! 実は新しいマネージャーが」
「うん知ってる。月島から聞いた」
「えッ! おい月島!! おれが言おうと思ってたのに何で先に言うんだよ!!」
「何その言いがかり。別にいいでしょ」
そのやりとりに笑って、そういえば例の新しいマネージャーの子は何処だろうと体育館を見渡す。すると丁度その子が体育館に入ってくるのが見えて、私は日向の手をやんわり外してそちらに走った。後ろのほうで「あれ御国さんがいない!?」と日向の声が聞こえて笑う。なんか懐かしいな。入ってきた新しい子はその騒ぎに首を傾げていた。私はそんなその子に声をかける。
「あの…」
「ヒェ!? ゆっ、幽霊!?」
「い、いやあの人間です! …初めまして」
「…!? すっ、スミマセン!! 私ったら失礼な事を…!」
「あ、だ、大丈夫です。影が薄いもので……慣れてるから。うん」
「か、影が薄い…?」
「うん。ええと、暫く離れてたけど一応バレー部のマネージャーの御国千景です。宜しく」
「はッ、はい! 存じております…! あ、えっと、谷地仁花です! 宜しくお願いします!!」
深々と、丁寧なお辞儀をされて、私も慌てて頭を下げる。変わってる?けど、いい子そうだ、良かった。
「お前俺や月島が幽霊って言うと怒るくせに谷地さんだと怒んねえんだな」
「ッ!? ぅわっ、か、影山!?」
谷地さんが澤村先輩に呼ばれて、私もそろそろ仕事をしようとしていた時、影山がスッと隣に現れた。怖い。心臓に悪い。
「そっ、そりゃあ谷地さんと影山たちじゃ違うし…」
「…ジンシュサベツ?」
「ちゃうわ!! …というか人種差別≠ヒ。公民のテストで出たよね。漢字書けたの?」
「あ? 出たか?」
「おい!」
赤点だと遠征行かないんじゃなかったっけ!? 大丈夫かなホントに!? 暫く話すと影山は練習のため私から離れた。私も仕事に行こうとして、ふと思い出す。
「あ、影山!」
「、…? 何だよ」
「私は北一の幽霊≠カゃないから」
「!」
驚いたような顔の影山にニッと笑って、私は久々の仕事へと向かった。