終


 花弁から朝露がぽたりと落ちる。
 日差しを反射しキラキラと輝くそれは、同じように光輝く瓶へと貯まる。
 さほど多くもないが、だいぶ溜まったので新しい瓶に入れ替えると芽唯は隣でまだ眠る獅子の背を揺り動かした。

「先輩、レオナ先輩。起きてください。朝ですよ」
「まだいいだろ……」

 もう少し、あと五分だけ。そんなフレーズが聞こえてきそうな眠たげな声は手を伸ばして芽唯を寮の名にふさわしく、ギシリと音が鳴るオンボロなベッドへと引きずり込んだ。

「ダメですよ! ね、やっと貯まりましたよ。レオナ先輩が言ってた量。これだけあれば作れるんじゃないですか?」

 瓶にマジックで線を引いたらラインまで液体が到達しているのをレオナに主張すれば、片目だけを開け確認した獅子は身を起こす。

「……しょうがねぇな」

 寝ぐせでぼさぼさになった髪をさらにかき乱し、欠伸を噛み殺すレオナは「その前に」と芽唯を見つめる。

「飯」
「はいはい」

 ぎゅっと芽唯の腰に腕を回し、本当にご飯が食べたいのかと問いたくなる態度だが、ずるずると引きずるように動けばついてくるので芽唯はあまり気にしなかった。


 ──早いもので芽唯が目覚めてから一週間が経とうとしている。


 あれだけ悩んだ時間はなんだったのか。
 それこそ物語のように、レオナのキスで芽唯は簡単に目が覚めた。
 まるでこうなることを知っていたかのように柔らかく微笑む芽唯は、夢の中で自身を眠らせた妖精に全て話を聞いて知っていたのだという。

「だからね、まだかな、まだかなってずーっと待ってたんです。良い子でしょう?」
「どこがだよ……」

 迷子センターで親を待つ子供のように、必ず会えるから大丈夫だとレオナが起こしてくれるのを待っていた。
 人の気も知らないでともっともな理由で怒るレオナに多少の罪悪感は湧いたものの、彼が喜んでいるのは尻尾を見れば明らかだった。


「あァ、そうだ」
「ん?」

 エプロンを身に着け、朝食の準備に取り掛かる寸前。未だに腰にまとわりついていたレオナの顔が近づいてきた。

「おはよう、メイ」
「……お、はよう、ござい、ます」

 瞳を伏せた獅子の顔はすぐ離れ、満足そうにソファへと向かう。
 ちゅっ、とわざとらしく音を立てて行われるようになったそれには未だ慣れない。
 また眠られても困るからな、と笑いながら唇を自然と重ねてくるようになったのは互いに躊躇っていた自分達には進歩と呼べるのかもしれないが、心臓には悪すぎる。
 レオナがやめるとも思えないので早く慣れなければ。ドキドキしすぎて犠牲になった卵焼きは自分のお皿に仕方がなく乗せた。



 溜まった朝露を零さないようにきっちり蓋を閉め。レオナと芽唯、そしてグリムは事前に許可を取っていた魔法薬学室に足を運ぶ。
 とてとてと小さな足で駆けるグリムは両手いっぱいに植物園から取ってきた材料を抱えている。

「これでアイツのねーちゃんも目覚めるんだな!」
「そうだね。本当によかった」
「よかねーよ。元はと言えばアイツが事態をややこしくしたんだ」

 正確に言えばアイツ……もといエルと彼と妖精を結んでいた動物達だ。
 蕾のまま、オンボロ寮周辺の魔力を吸っていた妖精は半覚醒状態だった。外部と違い、学園内は潤沢な魔力に満ちていて、花の成長には十分だったからだ。
 しかし、本当の意味で目覚めるにはレオナと芽唯が愛を証明する必要があった。けれど二人は何度か機会はあったものの、キスは寸止め。妖精は目覚められない、というか蕾の中から出られない。
 蕾の中で「なんなのよ!」「どうしてよ!」「意気地なし!」と罵詈雑言を飛ばし続けていた妖精の声は森に住む動物達には筒抜けだった。
 唯一妖精と会話が出来る相手となった動物たちは、花の噂を聞きつけオンボロ寮へとやってきたエルに接触。
 だが彼は悲しいことに動物言語の成績が非常に悪かった。断片的に、ジェスチャー込みでやっとの思いで意思疎通を繰り返した結果、芽唯とレオナをキスさせれば姉を助けられると言うことだけは理解したのだという。
 いつだったか、芽唯が植物園を目指す際に動物達に遠回りさせられたのもエルが彼らと必死にやり取りをしている最中だったらしい。
 そうしてなけなしの知識で二人を接近させようと奮闘したエルだったが、運の悪いことに潜伏していた悪党どもと計画が被り、すり替えられた紅茶を最悪の形で芽唯に飲ませることになってしまった。
 最初の一杯目が大丈夫だったのはエル自身が茶葉を持ち込んですぐに作ったからで、その後寮内のキッチンの備蓄をエルが替えた後、男たちがさらにすり替えたのだという。
 なお、謹慎部屋で締め上げた男たちの証言では紅茶単体で毒になると言われて購入した物だったらしいが、恐らく安価で詐欺まがいの商人に騙されたのであろう。あれは二角獣の角と合わせなければなんの変哲もないただの茶葉に過ぎない。
 偶然の積み重ねで声を失った芽唯だったが、それも妖精の祝福で毒と共に効果が消え、目覚めた時には治っていた。
 必死に謝るエルを慰めている横でレオナが彼を威嚇していたのは言うまでもないだろう。

「でもまさか解呪薬の材料が咲いたお花から取れる朝露って……」

 妖精は自分が目覚めることが出来れば姉を救えるとエルに教えていたらしいが、解呪薬を作るのはレオナの役目だ。
 あくまでも妖精は生成方法を知っているだけで、彼女自身がどうにか出来るというわけではないらしい。
 そして、その朝露と言うのも「真実の愛で自然開花した花」から採取しなければ意味がないらしく、レオナと芽唯が花を咲かせられなければどうしていたのかという疑問が尽きない。
「あら、私嘘は言ってないわ!」と笑ったその妖精はというと、教師陣に魔法で縛……拘束され、色々と聞き出されている。当然だろう。仮にもナイトレイブンカレッジの在校生である芽唯にグリムを仲介したとはいえ勝手に祝福を送り、目覚めるかもわからない眠りに貶めた。
 芽唯が異世界人で、彼女の親との連絡が取れないのが逆に幸いとなったが、こちらの世界の生徒が被害に遭っていた場合なんと保護者に説明したのだろうか。
 ……外部からの侵入者の件は夕焼けの草原も絡んでいるので致し方がなく双方の同意でもみ消した。当然男たちも、彼らを差し向けてきた愚か者も含めレオナは兄と細かく連絡を取り、徹底的に相応の処罰を受けさせるつもりだという。

「おい、毛玉。その材料はこっちに置け。火はもう少し弱火で……、違うそうじゃない!」

 魔法で一瞬で実験着に着替えたレオナは指示を出し、着実に作業を進めていく。足元でちょこまかと動き回るグリムが少し大変そうだ。

「く、くっそー! オレ様のことこき使いやがって!」

 妖精が目覚めて以降、というより芽唯が眠りに付いたのと同時にすっかりグリムは元気になった。
 やはりというべきか、夢の中で会っているアイツと言うのは花の妖精のことだった。
 エルだけでは不安だったのであろう妖精は芽唯とレオナのことをグリムに語らせた。どのような経緯で結ばれ、今どんな状況なのか、自分を咲かせるに足る存在なのか。
 もちろんグリムは眠いのに毎度毎度夢の中でそんなことを死ぬほど語らされて嫌気がさした。妖精が子分に興味を示すのもあまり良い気分じゃなかった。
 フェアリー・ガラで芽唯が最初のうちはフュシャに対していい顔をしなかったのを覚えていたからだ。また自分の可愛い子分が嫌な思いをするかもしれない。花の魔力で満たされた空間はゾワゾワと嫌な感覚がするし、話をするために夢に誘われ、自分にも芽唯にも嫌な事尽くしだとグリムは思ったのだという。
 夢の中での記憶は消され、目覚めてもあやふやなことしか言えなかったグリムだったが花が開花した今は全ての記憶を取り戻していた。妖精と勝手に契約を結んだことを最初はかなり怒られたのだが、それでも結果的に芽唯が無事だったからとお咎めはあまりなく、それどころかよくやったとツナ缶を積んでもらえてご機嫌だ。

「あとは……メイ、出番だ」
「はい!」

 煮え立つ鍋を見つめたレオナが芽唯を手招きする。いつも使う大釜と違い、小さな釜では精々一人分の量がやっとだろう。解呪薬が出回らなかった理由がよくわかる。
 零さないよう慎重に、蓋を外した芽唯は一滴残らず瓶の中身を釜に注ぐ。
 かき混ぜていたレオナが手を止め、グリムが火を消せば中は花と同じく真紅の液体が満たされている。

「これ、本当に飲んで平気なやつですか……?」
「味の保証は出来ねぇな」

 トマトジュースよりも真っ赤なそれに芽唯はぱちくりと瞬きを繰り返す。これを飲ませられることにならなくてよかったな。あ、私が起きなかったらそもそもこのお薬作れてないのか。言葉にはしなかったが、そんな思考を読まれたのか、レオナの尻尾が芽唯の背を打つ。

「あとで渡してやれ」

 一口サイズの小瓶に真っ赤なそれを詰め込んだレオナは僅かに残った液体を丁寧に掬い上げるともう一つの瓶に垂らす。

「それどうするんですか?」
「成分分析なりして量産体制を整える」
「出来るんですか……?」
「さぁな。けど、リリア達の話が確かならロビー博士が確立したこの方法はかなり古い。時代が変われば魔法だって進歩する。当時は存在が確認されていなかった原料もかなりある。多少なり朝露の使用量を抑えることが出来れば流通に今度は種とセットで乗せることだって夢じゃない」
「レオナ先輩ってそんな商魂たくましいタイプでしたっけ……」

 微笑んで「おめでとう」と権利書を託してくれたサムの顔を思い出した芽唯は手持無沙汰に瓶を揺らす。
 花の種の量産自体は非常に簡単なものだった。適当な花の種に妖精に魔法をかけさせるだけだというのだから芽唯はとても驚いた。
 レオナの案じていた通り、妖精の魔法がかけられた花の種は例え元が何であろうと紅い蕾を付けるのだという。それこそヒマワリだろうと魔法をかければあの花になると言うのだから、種が単品で出回っている理由がよくわかった。一応販売禁止になってはいるのだが、フュシャのように妖精が所持していたり、コレクターが持っていたものがなんらかの理由で市場に流れたりと忘れたころに数件被害報告がある危険な品だったらしい。

「そんなんじゃねぇよ。ただ、権利書が手元にあって目覚めることを望まれてるやつが多少なりいるってんなら……気持ちはわかるからな。慈善事業とは言わねぇが、力になってやらんでもない」

 力なく、レオナの耳が垂れ下がる。自分が眠っていた間のことを思い出してしまったのだろう。
 夢の中で妖精に大丈夫だと諭され、呑気に待っていた自分はレオナを相当傷つけてしまったに違いない。
 大丈夫だと信じていた自分と、目覚めないかもしれないと不安に思っていたレオナ。どちらが被害者かなんて言うまでもない。

「それに、これが商売として軌道に乗れば俺とお前の共有資産ってことになる」
「えっ……作ったのは先輩じゃ……」
「お前がいなけりゃ咲くはずがなかった花だ。それにあの妖精は俺の話は聞きやしねぇ」

 レオナを意気地なしと罵倒し続けていた妖精は目覚めた今もレオナのことを嫌っていた。
 王子様の癖にと古臭い概念を押し付けてくる妖精のことをレオナも嫌いだったので別にどうだっていいのだが、種を量産するにはあれの力が必要だ。

「お前がアイツに種を作らせて、俺が解呪薬の量産方法を確立する。ほらな、二人どちらが欠けても成り立たねぇだろ」
「そう、ですね……?」

 本気を出せばレオナならあの妖精に無理やり言うことを聞かせるなんて簡単だろうに、いたずらっ子のように笑うレオナに気が抜けて頷いてしまった。

「金ってのは力だ。別に困ってるわけじゃねえが、個人で自由に出来る資産があるのは悪いことじゃねぇだろ」

 何を企んでいるのか芽唯にはさっぱりわからない。けれど手元の薬で同級生の姉は目覚めるし、怖い人たちももういない。やっといつもの日常が戻ってきた。
 それだけでもう十分なのに、自分たちの愛を証明する花は今日も窓辺で風に吹かれて揺れている。
 二人の命が尽きるまで枯れることがないという花は、永久にとは言わないけれど、これから先も二人の愛が真実の愛なのだと証明し続けてくれる。
 眠りから目覚めた時、最愛の人と揺れる紅が目に入る。そんな日常がただただ幸せだった。
 
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