20
足を一度も止めずに乾いた大地を踏みしめて、談話室を抜ければ寮生達の好奇の視線が当然のように向けられた。
途中ジャックやラギーに呼び止められたものの、立ち止まる時間が惜しくてレオナは全部を無視して己の部屋へと急いだ。
自室の奥、ベッドの上では今日も芽唯がいつ覚めるともわからない眠りの中を揺蕩っている。
電気もつけず、月明かりだけを頼りに彼女の元へと進んだレオナは珍しく家具にぶつかった。
獣の遺伝子を受け継いでいる獣人属は種族によっては夜目が利く。普段ならば多少の灯りがあれば難なく動くことが出来るというのに、今ばかりは芽唯だけを見つめて視野が狭かった。
ガタッと音を立てて机が揺れ、芽唯のスペースであるそこに鎮座していたライオンが抱えていた本ごと飛び降りた。
何故かずっと裏返しに抱きかかえられていたその本が腕から離れ、レオナは初めて表紙を目にする。
後で拾えばいいだろうと一瞬だけ視線を送ったレオナは凝った字体で記された表題に己の目を疑い、切れ長の双眼を丸く大きく見開いて慌てて床に投げ出されたそれを手に取った。
「探しても見当たらねぇと思ったら、お前が持ってやがったのか……!」
己と同じ傷が刺繍されたライオンを、そしてすやすやと眠る芽唯をしょうがねぇなと軽く睨んだレオナは夢中でページをめくる。
表題は愛の証明。花の名と同じであり、著者もロビー・オハラその人であった。エルの言っていたタイトルとも一致する。
貸出記録はヴィルで途絶え、そんな彼は芽唯に渡したというのにオンボロ寮にも彼女の手荷物にも見当たらなかった。まさかぬいぐるみに裏向きに持たせているとは盲点だ。
枕元に腰を下ろし、時折芽唯に触れながら今回の騒動の原因であり、芽唯を守ったともいえるロビー・オハラなる人物の意志に漸くレオナは触れることが出来た。
愛妻家であった男は歴史に残る物語に憧れた。どうやら相当ロマンチストだったようだ。
本人も永遠の愛を誓い、妻を愛し続けた。……それでも、時が流れればいつかは終わりが来る。
まだ年若い頃、彼の妻はとある呪いを受け大病を患った。当時の医学では治すことが出来ず、苦しみ続ける妻の様子を己のことのように感じたのだという前振りから始まり、祝福・呪いにまつわる多くの出来事に関する事例が細かく記されている。
当然彼は医学も多く学んだ、魔法医術士としての資格も獲得した。それでも妻の病気は治らなかった。呪いを解くことも出来なかった。
その度に彼は夢に見たのだという、毒林檎を食べてもなお目覚めた伝説の可能性に。本来ならば死すはずだった呪いを祝福が覆したのを、けれど男にそんな奇跡は起こらなかった。
妻の死後、それでも男は研究を続けた。後世で最愛の人を亡くす同じ苦しみを味わう人間が一人でも減るように、と。
「キスが愛の証明か……」
多くの伝説ではキスにより愛の証明が成しえたのだと繰り返し記されている。
キスという文字で先ほどのリリアの顔が過って無性に腹が立ったが、あれも仮にも妖精族だ。まだまだ証明しきれていない魔法とキスの因果関係をヒト属よりも詳しく知っていても不思議じゃない。
「思いがけぬところで私の名をいつか目にする時が来るだろう……ってのはこういうことか」
本を読んでいるうちに思い出した。レオナはポケットから説明書を取り出し広げる。
品名、社名、流通するにあたり必要な情報と共に記されていた生産者名はロビー・オハラ。本の作者と同一人物だと見て間違いないだろう。
リリアは花の種を流通に乗せたのは植物学者だと言っていた。恐らく彼は研究の果てに妖精と出会い、なんらかの理由で芽唯のように気に入られた。
そして授かった花は彼の夢であった愛の証明という不安定な要素を伴うが、愛する者を守る手段して今もこうして存在している。
はた迷惑な話であり、礼を言うべきであるのかもしれない。
権利の譲渡条件が解呪薬の生成ということは、種の量産は簡単だったものの、薬は特殊な条件が必要だったのかもしれない。
愛という不安定で不確定……目に見えないものを用いらなければ本来は解けない魔法を打ち消すものだ。難易度の高さには納得がいく。しかし……。
「普通花の種とセットで売るだろ……」
非常に迷惑な販売方法だ。サムが所持していた新品にも同封されていなかったということは、きっと別売りだったに違いない。愛する人に種を贈り・贈られ、育んで、いざ実際に祝福に縋らねばならぬ状況に追い込まれた後、自分たちの愛は真実ではなかったと突き付けられた場合、起きている方が解呪薬を別途購入する元気があるとでも思ったのだろうか。
「医学や植物の道に精通はしたが、人の心理には疎かったみてぇだな……」
権利書に興味はないが、もぎ取った後にはその辺りを見直してやる。絶対にだ。
そんな決意染みたものを内に秘め、本を己を模したぬいぐるみに持たせ直したレオナは改めて芽唯と向き合った。
ずっと眠り続け、長らく聞いていないのに声も笑顔も簡単に思い出せる。
けれど、芽唯を思い出などにはしたくない。これからも長い時間を彼女と過ごす。時には元の世界に帰りたいと泣くかもしれない。まだ成人すらしていない少女が感情に振り回されているのはレオナにだってわかっている。彼女だって自覚をしている。
その上で、自分の手を取ったのだ。
もう、離してなんてやるつもりはない。ライオンの手を取るということがどういうことか、わからないほど馬鹿な女じゃない。
日記に綴られていた逃げ腰の少女はあの日砂にした。
手紙で別れを告げる馬鹿な女は優しく腕を引くふりをして爪で捕らえた。
ならばもう、己を信じる女には牙を食いこませる以外にしてやれることはない。
彼女自身もそれを望んでいる。可哀相な第二王子に捕まった、可哀相な異世界から来た馬鹿な女。
「本当に馬鹿な女だ……」
触れた頬は柔らかく温かい。顔を近づければレオナの髪がカーテンのように落ち、何度か同じように顔を寄せたことを思い出させた。
一度機会を逃してしまったせいで彼女の羞恥を高めてしまい、何度も、何度も、信じられないほど逃げられた。
ゆっくりと仕留めればいいと泳がせてやっていたが、まさかこんな状態で捕まるとは夢にも思っていなかっただろう。
眠る芽唯の唇は薄っすらと開かれ、その瞬間が訪れるのを待っているようにも見える。
これで愛が証明されなければどうする。弱い自分が少し顔を出す。レオナにだって不安に思う時だってある。
柄にもなく愛の証明とやらをしてやろうと踏み出して、お前のそれは愛じゃないと言われたら流石に立ち直ることが出来ないかもしれない。それくらい、レオナは芽唯に愛を向けていた。綺麗じゃない。歪かもしれない。なにせ、彼女が泣いても手放してやれないと思うくらいには身勝手だ。
けれど、芽唯だってそれを望んでいる。かつて受け取った手紙が物語っていた。自ら攫われることを望むとはとんだ姫君もいたものだ。
似た者同士の愛とやらが真実だと、仮に認められなくとも、無理やりにでも頷かせればいい。
芽唯もレオナも強欲で、身勝手で、自分たちが名付けたものを愛だとずっと信じてる。
妖精が首を横に振るというのなら、縦に振るまであの手この手を尽くせばいい。不屈の精神と言うのはきっとそういうことだ。
「悩んでたのが馬鹿らしいな」
もっと早く、口付けていればよかった。
気なんて遣わず、真っ赤な唇にとっくの昔に齧りついていれば、眠れる彼女にキスの一つや二つ落としていただろう。
なんだかあれもこれも後手に回る。まるでレオナの理不尽を詰め込んだ人生のようだ。
それでも芽唯は、芽唯だけは、レオナの手を離れて行かない。行かせない。
「大人しく目覚めてくれよオヒメサマ」
今から妖精を締め上げるのはそれなりの労力がいるだろう。まずは接触する方法から調べなければいけない。
けれど、きっと大丈夫だ。魔獣に、妖精に、その王に。数多の存在が何度も保証した。それをただ証明すればいいだけのこと。
「メイ……」
愛しい人の名を呼んで。唇を重ねる。
そうすれば、ほら。彼女は瞼を震わせなんでもない顔をして目を覚ます。
「──レオナ先輩が起こしてくれるって信じてました」
ふわりと綻ぶように笑う顔が懐かしくて、声をもっと近くで聞きたくて。
かき抱くように抱き起せば、おずおずと背に周る細い腕が愛おしくて、たまらなかった。
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