序


 入学してから早数か月、相棒の頭にはイソギンチャクもなければ獅子も今は鋭い牙を隠し、ティーパーティは穏やかに緩やかに、けれど規則を忘れず正しく楽しく行われている。
 そんなナイトレイブンカレッジには早くも冬がやってきた。雪化粧に包まれた景色を芽唯が窓から見下ろしている間も教卓の前ではクルーウェルがご自慢の教鞭を手のひらでしならせながらホリデー期間についての注意事項を言い聞かせていた。
 帰る宛てもなければ行く宛てもない芽唯は珍しく教師の話を半分どころか全部聞き流す。
 グリムに至っては大きな欠伸を零しているが注意する気も起きない。
 楽しみだと浮足立つ生徒達がどこか遠くに感じられ、左右に座る赤と青の友達すらも見知らぬ他人のようだった。

「と、言ってもまだ授業は数日残っている。あまりホリデーに気を取られすぎるな。それと……」

 パシンと鞭をしならせ生徒の意識を自分に引き戻したクルーウェルが「一つ注意事項がある」とわざわざ一拍おいて語りだす。

「生徒が少なくなるホリデーの間、とある鏡を預かることになった。なかなかの曰くつきで覗き込んだものを幸福にするとも不幸にするとも言われている」

 ありきたりな都市伝説みたいだ。イグニハイドの生徒がぽつりと呟く。

「信憑性は兎も角、姿見として使用できるほどの大きなものだ。好奇心で近づいた挙句壊すなどということはくれぐれもないように」

 そんなことをすれば駄犬だと罵られた上にアレコレ理由を付けてホリデー返上で補習を受けさせられることになるだろう。
 あと数日で久しぶりの我が家に帰れるというのに、流石のナイトレイブンカレッジ生でもそこまでの悪行は働かない。
 珍しく……というのも失礼だが、教室の生徒のほとんどが首を縦に振った。もちろん芽唯もだ。
 ホームルームはそこで終わり、丁度よく鳴った鐘の音と共に生徒も教師も散り散りになる。
 芽唯もその中の一人でグリムを腕に抱え、エースとデュースと共に廊下を歩く。

「やーっと放課後なんだゾ! オレ様今日もめちゃくちゃ頑張った!」
「嘘付け、最後寝てたくせして」
「うるせぇ! ホリデーもオンボロ寮で過ごすんだからオレ様達には関係ないだろ!」

 あまり遅い時間まで出かけるな、本校生徒として慎みのある格好をすること。長期休暇におけるありきたりで平凡な、世界共通の注意事項。
 確かに、出かけたとしても島内だけで、バスの時間を考えれば遅くまで出歩くことが許されず、衣服に関しても友人たちのお下がりを辛うじて私服として着ていておしゃれとは縁遠い芽唯にも関係のない話だ。グリムに至ってはそもそも何も着ていない。

「メイは大変だよなぁ。せっかくの休みまでこーんな魔獣のお世話しなきゃなんて」
「なんだとぉ⁉」

 バチバチと火花が飛び散る。グリムが己の腕から飛び出して、いつものように始まったエースとの喧嘩にため息をついた芽唯とデュースは顔を見合わせ苦笑する。

「こっちですこっち、気を付けて運んでくださいね。そっちには階段があるから……」

 不意に一つ下の階からクロウリーの大きな声が響く。見慣れぬ大人を引き連れたその姿に生徒の注目がおのずと集まる。布を被せられているが大きさからして運ばれているのが例の鏡なのだろう。

「ホントにおっきい……」
「幸福にも不幸にもする鏡か……。メイはああいうの興味あるのか?」

 あれを割ったら確かに大事だ。眉唾物の話は気になるが、グリムを連れていくリスクを考えたら近寄らない方が得策だろう。

「なきにしもあらず……って感じかなぁ」

 手すり越しにデュースと二人で下の階を覗いていると偶然通りかかったレオナが目に入る。
 きっと彼はまた授業をさぼっていたのだろう。鏡の搬入に鉢合わせ、眼前で行われている作業に「失敗した」と言わんばかりに眉間に皺を寄せている。
 いつもだったら植物園に向かっているだろうに運の悪いことだ。思わずくすくす笑えばそんな彼の視線が上を向く。
 まるで吸い寄せられるように目と目が合って肩が跳ねた。まさかこの距離で気づかれたのか。獣人の耳の良さには舌を巻く。
 偶然かもしれないが、挨拶をしないのも変だろうと少しだけ身を乗り出して手を振ろうとしたその時だった。
 レオナの目が大きく丸く開かれる。いつも落ち着いている彼には珍しく、芽唯は思わずどうしたのかと問うためにさらに身を乗り出してしまった。

「メイ!」
「え?」
「っ、危ない!」

 名前を呼ばれたことに気を取られ危険を知らせる声への反応が一歩遅れる。
 隣に立っていたデュースに手を引かれるのと同時に衝撃が走った。
 ドンと大きな音を立て、横からも後ろからも衝撃を与えられた芽唯の体はバランスを崩し、乗り出していたのも相まって簡単に手すりを乗り越えた。
 ぐらりと揺れる視界では何が起きているのかはわからない。ただ風を切る音がして、それと一緒にどこかでバサリと布が落ちる音が聞こえた気がする。

「嘘だろ⁉」

 辛うじて階下を覗き込んだエースが手すりに引っかかったグリムを抱えているのが見えた芽唯が「背中に当たったのグリムだったんだ……」と理解した時には何故かどぷりと体がどこかへと沈んでいった。

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