01


 人生は不公平だ。

「──いって!」

 例えば、そう。遠慮なく踏まれた尻尾の痛みで身を起こしたレオナが見上げることになった少女もそんな不公平に苛まれた一人であるのは間違いないだろう。



 今日もレオナは植物園で微睡みながらもうすぐ己の食事を運んでくる少女の姿を思い浮かべた。
 尻尾の痛みと引き換えに得た昼食係。けれど別にそれが彼女──白藤芽唯である必要はない。
 財布を握らせ走らせればラギーはレオナの命令通りの品物を文句を言いつつ運んでくるし、故郷で出されていた料理をおもえば何を食しても上質とは言い難い。
 それでも「悪くない」と芽唯の料理を少なからずレオナは評価した。それに対する褒美というほどでもないが、自身に不利益のない範囲で彼女を庇護下に置くことにした。
 入学式での出来事を除いても校内では珍しい女性の姿は少なからず人目を引く。そんな視線に気づいているのか、ただ己の場違いさに肩身が狭いのか。
 身を固くする彼女に自分の寮生が悪さをした……。などという頭を抱えたくなる事件が起きる前に出来うる限りの対処をしただけなのだが、食堂のメニューにも飽きていたのでちょうどよかった。
 ごろりと身をよじれば、レオナの下敷きになった芝生が服の上から肌を刺す。レオナからしてみれば芽唯を己の傍に置いて守るのはこの小さな小さな植物のいじらしい抵抗のようにたいしたものではない。

「ふぁ〜あ……」

 漏れる欠伸と共に目を閉じれば、困ったように笑う芽唯の姿が脳裏を過る。
 今日は一体どんなくだらない話を聞かせてくるのだろうか。
 学園生活というモラトリアムに突如現れた少女はらしくもなく、レオナに一人のことをずっと考えさせた。

◇◆◇

「レオナさん。レオナさんってば。もう昼ッスよ」
「あ……?」

 聞きなれた声に耳を震わせ、片目を開ければ視界にラギーが映り込む。

「あいつはどうした」

 その手には昨日芽唯が持参したものより少し大きい弁当箱が握りしめられているが、肝心の彼女の姿がどこにもない。
 約束を無下にするのを嫌いそうなタイプに見えたが、まさかたった一夜で気が変わったのだろうか。
 もしくはレオナのよくない噂でも耳にして自分に近づくことを恐れたのか。
 様々な予測を立てながら身を起こせば、不快だという感情が顔に出ていたのかラギーが首を横に振る。

「『友人が寮長に挑むので今日は行けません。申し訳ないです』って伝えてくれ〜ってペコペコしながらオレにこれ渡してきたんスよ」
「はぁ? 寮長に挑む?」

 まだ入学式から日は経っていない。確かに寮長にわずか一週間で挑んで実際に寮長の座についた者も居たが、それに迫る速さでの挑戦に思わず目が丸くなる。
 今年度の新入生にそんな骨のある者がいただろうか。生意気さだけは一人前で微々たる魔力しか感じない。生まれたての子猫のように、まだ目も開いていないような力のない群れだったはずだ。

「わざわざオレを探さなくてもって思ったけど、あの子スマホ持ってないんスね。息切らせながら駆け寄ってきたかと思えば『ラギー先輩会えてよかった!』って頬緩ませちゃって」

 物珍しいものを見たと言わんばかりに目を細めたラギーは丁寧に包まれた弁当箱を取り出すとレオナに押し付ける。
 ズシリと重みを感じるそれはやはり昨日よりも量が多く重くなった気がする。昨日は彼女にも食べさせるためにラギーに追加でパンを買いに行かせたが、その行動を考慮したのかもしれない。

「周囲に流されるだけの草食動物が周りに気ばっか使ってなんになる」

 恐らく「気が利く」と称されるであろうあらゆる行動が馬鹿らしくてレオナは眉をひそめた。きっとこれは媚を売られているわけでもなく、ただなんとなく良かれと思っての行いなのだろう。
 尻尾を踏んだ詫びとして、彼女に出来そうな仕事を振って、そこからさらにレオナの都合と彼女の都合を擦り合わせた結果生まれた関係を律儀に守ろうとする芽唯の健気さにため息が漏れる。
 面倒な拾い物をしてしまったかもしれない。けれど、きっとこの関係は長続きはしないだろう。変わり者が多い学園の生徒を除けば己を取り巻くものは大概がすぐに離れていく。彼女だってそうに違いない。
 レオナの世界はいつだって広がったそばから無意味なものへと変わっていく。知識が増えれば増えるほど何もかもが足元から崩れ去る。
 なのに、変わらぬ「悪くない」味を噛みしめれば姿を見せぬ芽唯の困ったような笑みが脳裏に無駄にちらつく。

「……明日は来るんだろうな」
「さぁ、どうッスかね」

 きょとん、と目を丸くしたラギーがこてりと首を傾げる姿すら彼女に重なるのだからなにかがおかしい。
 けれど原因を突き詰める気にもならないレオナは目の前の食事を平らげることに集中した。

◇◆◇

「昨日はすみませんでした!」

 ぱたぱたと音を立てて植物園へと芽唯が入ってきた時点で気付いていたレオナは鼻孔を擽る昼食の匂い以外に妙に鼻につく香りに眉をしかめた。
 決して芽唯の匂いが不快だったわけではない。であればはなから彼女を食事係に任命などしていない。
 眉をハの字にして申し訳ないという笑みを浮かべた少女をあいも変わらず寝転がったまま見上げたレオナはちらりと見える絆創膏やガーゼの類にさらに眉間の皺を深くする。

「お前……その怪我はどうした」
「え、あ……っとやっぱり獣人属のヒトって気になるんですか……?」

 スンッと鼻を己の傷に近づけて息を吸う芽唯はきっとクラスメイトの獣人にでもなにかを言われたに違いない。困ったように笑っては傷を背中に隠す姿に思わずため息が零れる。

「怪我の理由くらい誰でも聞くだろ。それとも言えないことで負った傷なのか?」
「そうじゃないんですけど……えっと……」

 言いにくそうに視線を逸らしたまま目の前に座ると弁当の包みを外した芽唯は昼食の準備を黙って進める。思案する時間くらいは与えてやろうと同じように黙ったレオナはゆっくりと身を起こす。
 先日ハーツラビュルで寮長の座を巡った決闘の末、リドルがオーバーブロットしたということは同じ寮長であるレオナの耳にも届いていた。
 彼女が昼食を欠席した理由と合わせれば、その怪我が事件に巻き込まれて負ったものであることは明らかだ。
 けれど口籠る理由はわからない。どう考えても彼女は被害者であり、説明を躊躇する必要はない。
 無言で渡される弁当に手を付けながら芽唯に視線を送り続けても彼女はまだ口を開かない。
 レオナのモノよりも一回りほど小さい弁当箱の蓋がてのひらの傷を刺激したのか「いたっ」と小さな声が漏れるのと同時にレオナが息を吐き出せば漸く顔を上げた芽唯と視線が合う。

「その怪我は転んだ時に身体を支えて出来たんだろ」
「えっ」
「オーバーブロットに巻き込まれたのは知ってる。別にお前が腰ぬかそうが笑いやしねぇよ。魔力を暴走させる赤い坊ちゃんの姿はさぞ恐ろしかっただろうからなァ?」

 ニヤリと口角を上げ、嘲笑うように瞳を眇める。
 自分にはない力を無抵抗な者へ振るう姿はどう映ったのか。得体の知れぬバケモノとでも思ったのか。
 かつてはどんな奇跡をも起こすと思われた魔法にだって限界はある。ブロットと呼ばれるそれが蓄積されることで力を持つものが稀に起こすオーバーブロットという現象は古来より人々を恐れさせてきた。
 今では原因がある程度わかっているし、対処方法の一つである魔法石を使用することで事例は少なくなった。だが、それでも自分が母国に居た時にも恐らくあの現象はどこかで起こった。
 魔法が日常にあることが当たり前のこの世界の住人ですら恐れる現象を、魔法がないという異世界から現れた少女に恐怖を植え付けない訳がない。

「学生とは言え魔法士と関わるのが怖くなったか? なら学外で過ごせるようにクロウリーと交渉することだな」

 自分に理解出来ない力に畏怖を覚えぬものなどいない。例えそれが普段は制御出来るものでも、いつ感情というブレーキが外れて己に害を成すかわからないからだ。
 恐ろしいバケモノ。他者を傷つけるに違いない。まるで檻の中の猛獣を見るように遠巻きに安全だと思い込んでいる場所から勝手なことを言う。ヒトなんて大概がそうだった。
 まだ知り合ったばかりの少女も例に漏れなかった。ただそれだけのことだと瞳を伏せると同時に少し戸惑いを含んだこの学園に似合わない高い声が耳を打つ。

「あの……レオナ先輩なにをそんなに怒ってるんですか……?」

 思わず目を開ければパチパチと純粋に不思議なのだと訴えかけるように芽唯が瞳を瞬かせている。

「あ……?」
「えっと、ただそう思っただけというか、オーバーブロットに巻き込まれたのは本当にそうなんです。でも、レオナ先輩は私がそれを話さないことが気に障ったのとは違う気がして……。怒ってるとかじゃなかったらごめんなさいなんですけど……」

 もう一度「すみません」と付け足した芽唯は視線を彷徨わせてからレオナをまっすぐ見ると照れたように笑みを浮かべる。

「笑わないで聞いてほしいんですけど、そのオーバーブロットに立ち向かっちゃったんですよね」
「は? たち……逃げて負った傷じゃねぇのか」
「この手のひらのは飛んでくる薔薇の木にびっくりして転んじゃって……。あ、薔薇自体はトレイ先輩がトランプに変えてくれて事なきを得たんですけどね。でもリドル先輩の暴走を止めなきゃってエースやデュース達と一緒に」

 聞き覚えのある名前はハーツラビュルの寮長と副寮長のモノ。ならば残りの二つは彼女の出来たばかりの友人とやらだろう。
 オーバーブロットした当人と、そんな彼と親しくしている副寮長が必死に止めに入る姿は想像出来る。けれど一年生や魔法を使えない人間が暴走状態の上級生、それも寮長に立ち向かったという事実にレオナは軽いめまいを覚えた。バカとかそういう次元を超えている。

「私はなんの役にも立てなかったけど、でもリドル先輩は無事に元に戻ったし、今度なんでもない日のリベンジをするんですよ」

 かの寮の薔薇を彷彿とさせるほど頬を赤らめる芽唯はやけに満足そうで、沸々とどこからともなく湧き上がっていた不快な感情が引き潮のようにあっという間に去っていくのを感じたレオナは深く息を零す。

 
 訳が分からない。
 レオナが芽唯に対してまず最初に自覚した感情がこれだった。

 
 先輩もよかったらどうですか、という誘いを適当に断ったレオナはやはり「悪くない」味の弁当の続きに手を付けた。
 面倒が起こる前の対処として庇護下に置いた少女はどうやら相当の変人らしい。
 異世界とやらから迷い込んだ責任は学園にあるが、オーバーブロットから逃げもせず、それどころか立ち向かうなんて頭がイカれているに違いない。
 行動が目に余るようならどこかでやはり関係を断ち切った方が身のためかもしれないな。と、舌の上でたいして肉汁もでない冷めたからあげを噛みしめながら芽唯の姿を観察する。
 手当をしたとはいえ傷は痛むのだろう。時折、痛みに顔を顰める姿が滑稽だ。
 自分が投げ出すのが先か、彼女が学園から逃げ出すのが先か。あるいは別の結果が待っているのか。レオナはしばらく答えのでそうにない謎と一緒に野菜だけが残った弁当を芽唯に付き返した。 

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