02


 ラギーの代打だ、と芽唯がレオナを授業に追い立てるようになった。
 昼食を共にしているのだからという理屈は確かに理に適っている。面倒事を押し付けるという点でもラギーにとって芽唯はうってつけの人物だった。

「先輩、今日こそ授業に……」
「行かねぇって言ってんだろ」
「でもトレイン先生も怒ってて、最近はラギー先輩だけじゃなく私にもレオナ先輩の成績のことで色々と言ってくるんですよ」
「んなもん言わせとけ」
「もう……」

 すっかり……というより最初からほとんどなかったが警戒心を失くした芽唯は恐れることなく接してくるようになった。何の躊躇もなく数回ほど身を揺らしてはレオナが不快さを覚える前に離れていく。
 先輩、先輩と何度も投げかけられる言葉と共に眠りに入るのを邪魔される度に多少なり喉から唸り声は漏れるものの、彼女を追い払おうとは思えなかった。
 これがラギーならば「うるせぇ」と怒りを露にして辞めさせることも出来るのだが、如何せん相手は四つも年下の女性だ。
 しかもレオナ自身は己の進退に対してあまり執着を持っていないことを察して、あくまでも言われたから伝えているのだという範疇を超えてこない。
 無駄な正義感から「貴方の為だ」と強く出席を促すこともなければ、自分が怒られるという保身で動くこともない。もちろん自分の美学やルールに反するなどという押し付けもしてこない。あくまでも「伝えたから自分の役割は果たした」とすぐに身を引く。
 故郷のサバンナを思わせるからりとした対応はギリギリのところでレオナの許容範囲にいつも収まっている。
 今も唇を尖らせてはいるが、これ以上この件について口を開くことは今日はもうないだろう。
 思うように動かないレオナに多少機嫌を損ねたものの、役割は終えたと言わんばかりに黙ったまま昼食を片付け始めているのがその証拠。
 もう数分もすれば最後に「ちゃんと言いましたからね」と付け足して彼女はすぐに去る。
 食事中、他愛もない話をして、たまに彼女を小ばかにして、照れているのか怒っているのかわからない反応を楽しんだ後は授業へと促す彼女をかわして己は眠りへ。彼女は自分の時間に戻っていく。
 奇妙な縁から始まった関係はレオナの日常にも芽唯の日常にもすっかり溶け込んでいた。

◇◆◇

「トレイン先生の授業がみんなは眠くなるって言うんですけど、私は楽しいんです。この世界の歴史って大きな出来事ほど魔法が絡んでくるじゃないですか。もうその時点で私にとっては非日常というか。まるでファンタジー小説を読んでるみたいで」

 世話をしている魔獣のせいで自分だけ課題を渡されてしまったのだと落ち込みながらやってきたはずの芽唯は昼食を半分食べ終わるころにはすっかりいつもの笑みを浮かべ、鞄の中から教科書を取り出してはどこが好きなのだと瞳をキラキラと瞬かせながら力説し始めていた。
 実家の甥を彷彿とさせるその姿に思わずため息が漏れたが不思議と嫌な気分ではない。好きという感情を臆さず表現できるのはこの手の人間の美点なのだろうとすら思う。決して同類にはなりたくないが。

「なら課題も苦じゃねぇだろ。なんであんなに落ち込んでたんだ」
「それは、その……楽しいのと課題としてまとめるのは別というか。私ってこの世界の人なら誰でも知ってる一般常識が欠けてるじゃないですか。それこそ魔法に関する職業とか『なんでもいいから言ってみろ』って言われてみんなはすらすら出てくるのに私はなにも浮かばない」

 視線を地面に向けた芽唯は悔しそうに唇を噛みしめたかと思えばサラダを口に放り込む。
 珍しく喋り続ける芽唯の聞き手に徹していたレオナはとっくに食べ終わった弁当を彼女の方へ寄せると肘を立てて頭を手で支えながら横になる。
くわりと大きな欠伸が漏れるがまだ聞く意思は残っているので片目だけ瞑って芽唯の様子を観察する。
 異世界、と言っても彼女の世界と変わらぬ常識は多数存在する。信号の赤は渡るな、青は渡れ。砂糖が甘ければ塩はしょっぱい。スマホや電車、バスに飛行機といった『魔法が関与しない』常識に関してはほとんど同じであり、大半の技術やモノが等しく存在していると思ってよさそうだった。
 けれど芽唯が嘆いている通り、魔法が絡むと途端に彼女の知識は地盤から崩れていく。
 崩れるというよりは初めからそこにはなにもないのだが。高校生という子供でもあり、大人と変わらぬ思考が出来るとも扱われる年齢で常識の範疇だと捉えられる知識が欠如していることに対して不安や辛さを覚えるのは至極当然のことだ。

「先生たちはもちろん事情を汲んでくださるので質問をすれば小さな子供すら知ってることでも嫌な顔をせず答えてくれます。この課題もきっとそんな常識の欠如でおかしなことを書いたとしても笑わずに正しい知識を授けてくれる。けど……」

 ぴたりと芽唯の動きが止まる。不安で、今にも泣き出しそうな、迷子の子供のような表情のまま。
 仕方がないことだと周囲が言う。自分でもそう思う。けれど苦痛な事には変わらない。
 芽唯が抱いている感情に覚えのあるレオナはただ黙って耳を伏せ、かけてやる言葉の一つでも探すべきかと思案した。
 かつてチェカの生誕を国民に知らせる為の式典をすっぽかした時に、兄が自分に向けたような言葉をかけるのが優しさというのだろうか。
 何故苦しいのか、痛みをすべて理解しているとでも言わんばかりに。大丈夫だ、お前にはそれでも出来ることがあるのだと道を示す。……あぁ、なんてバカらしいんだろう。それで救われる者なんていやしない。
 がばりと勢いよく身を起こしたレオナは大げさなまでに頭を掻きむしる。ぼさぼさと髪が乱れようが気に留めない。

「レオナ先輩……?」

 当然、突然のレオナの行動に目を丸くした芽唯はようやく食べ終わった弁当に蓋をしながら固まった。

「しばらく飯は作らなくていい。財布はラギーにでも渡しておけ」
「えっなんでですか?」
「……じゃあな」
「ちょ、待って! レオナ先輩⁉」

 おもむろに立ち上がったレオナは芽唯の顔を見ることなく、そのまま背を向け植物園を後にする。
 戸惑いながらも自分の名を呼び続ける芽唯の声がやけに耳についてしかたがなかった。

◇◆◇

 ──数日後。

「えー、ではこれより十月に行われる寮対抗マジカルシフト大会についての寮長会議を始めます」

 クロウリーが司会を務め、大会運営委員長であるアズールを中心に行われる寮長会議は無駄な茶々を挟みながらも着実に進む。
 例年通りのコロシアム周囲の外部・内部からの出店、チケットの売れ行きや招待客への招待状の送付状況など試合内容には関与しない報告にさほど興味がないレオナはカリムに振られた話題共々適当に受け流していた。
 そして、いよいよ本題である対戦表の話に入ったところでクロウリーの聞き捨てならない発言に我が耳を疑うことになる。

「私からひとつ提案があります。今大会から、ディアソムニア寮寮長……マレウス・ドラコニアくんを殿堂入り選手とし出場を見合わせてもらおうかと思うのです」
「えぇっ⁉」
「……どういうことだ?」

 殿堂入り?出場見合わせ?なにを勝手なことを。クロウリーを睨みつけても仮面の下に隠れているはずなのに何故か伝わる表情に恐れが含まれることはなかった。
 淡々とマレウスという存在が異質であり、特別であることを語る鴉のような男はマレウスが出場する限り周囲の選手はどうあがいても彼に勝てず、自己アピールの機会を奪われ続ければプロへの道を断たれかねないと語る。

「今年も俺たちが無様に負けるって言いてぇのか?」
「私だって言いたくて言っているわけではありません」

 けれどそれが事実なのだとクロウリーは否定しない。絶対に一番になれないのだと、ここでも押しつけられるのか。無意識に噛みしめた奥歯がガチリと音を立てる。
 きっとクロウリーの提案を受け入れたマレウス自身は大会に執着などない。ただ招かれた試合にルール通りに参加して自分がもっとも力があるから勝った。その程度にしか思っていないのだろう。
 なんの努力もせず、ただ「そういうものだから」となんの疑問を持つこともなく受け入れる。その足元に血反吐を吐くほど努力をした大勢が転がっていることも、どれだけ手を伸ばしても届かない遠く遠く離れたその場所に羨望と絶望を混ぜ合わせた瞳で見上げていることなど知りもせず。
 ──やはり、人生は不公平だ。

◇◆◇

 不愉快極まりない寮長会議を終えたレオナは足早に鏡の間を後にした。
 今年も自分たちなりに上を目指し、あのマレウスの鼻を明かしてやろうと寮生達──特にラギーが主軸に動いていた作戦をバカにされた気すらする。

「ちっ」
 足元に転がっていた石ころすら不快で蹴飛ばすと、石が飛んだ方から聞きなれた声がした。
「めてくだ……離し……!」
「……あ?」

 高い。少女の声だ。そんなものに該当する人間はこの学園には一人しかいない。
 声の方へ向かえば見慣れた小さな体をさらに小さく丸め、なんとか絡んできている生徒達から離れようともがいている芽唯の姿がそこにはあった。

「離して……!」
「少しくらいいいじゃねぇか。おまえ最近キングスカラーとつるむのやめたんだってな。ついに飽きられたのか」
「あきっ……お世話になってる先輩に酷いこと言わないでください!」

 さほど体格が良いと言うほどではないが、芽唯相手ならば十分にデカい生徒は無遠慮に彼女の肩に腕を回している。
 取り巻くように芽唯とその生徒を見ていたもう一人は彼女の顔を覗き込んでカハッと品のない笑い声をあげる。

「どーせあれだろ、あいつが王子だから媚び売ってたことに気付かれたんだろ」
「おいおい、そりゃ可哀相だろ。キングスカラーが! ダハハハ!」

 二人が馬鹿笑いを始めると顔を歪ませた芽唯が己に腕を回していた生徒の足を思い切り踏んづけた。

「いっ⁉」

 その瞬間、痛みに目を丸くして呻いた生徒の力が抜け、芽唯はすぐさま腕の中から逃げ出した。
 ぐっと歯を噛みしめて堪える生徒の苦しみに部位は違えど覚えがあったレオナは己の尻尾を背に隠す。あの痛みは良く知っている。
 けれど、たかがその程度で彼らは当然彼女に絡むのをやめない。それどころか、怒らせてしまった分なにをしでかすかわからない。

「……」

 庇護下に置いた時点で周囲に手放したように思われればこうなることはわかっていた。これはある意味レオナが招いた問題だ。見過ごすわけにはいなかない。
 そうと決まればわざとらしく足音を立て、無言で芽唯の前に立つ。

「えっ……レオナ先輩……?」
「ひっ、キングスカラー」
「やべぇって、行こうぜ!」
「くそっ……覚えとけよ!」

 ただそれだけで二人は尻尾を撒いて逃げていく。絵にかいたような三下がお決まりの文句を並べて去っていくのをそのまま黙って眺めたレオナは深く息を吐く。

「あ、あの助けてくれてありがとうございます。いつから居たんですか……?」

 背に触れるか、触れないか。そんな微妙な位置で縋るように伸ばした手を遠慮がちに止めた芽唯を振り向きながら肩越しに見下ろせば瞳がゆらゆらと揺れている。
 ……怖かったのだろうか。それも当然か。男二人に囲まれて芽唯のような非力な女生徒が恐怖を覚えない訳がない。
 見下ろしたまま、なにも答えないレオナに困ったような笑みを向けた芽唯は行き場を失った自分の両手の指を絡め、胸の前に下ろしては苦笑する。

「これくらい自分で解決出来ないとダメ、ですよね。手を煩わせてごめんなさい。レオナ先輩お昼も一緒に食べられないくらい忙しいのに」

 一歩、後ろに下がっては目を逸らす。その姿が自分を遠巻きに見ては陰口を零す使用人と重なってしまう。

「別に、あいつらの言う通りだろ。まあ王子と言っても俺は第二王子で王にはなれない。媚を売るなら兄貴の方がいい。と言ってもアイツはもう妻子持ちだがな」
「なんの話ですか……?」
「俺の周りをうろついたところでああいう奴らの顰蹙を買うだけで、お前になんの得も無いって言ってるんだよ」
「得って……そんなの私」

 困惑。戸惑い。手に取るようにわかる感情。
 瞳を瞬かせる芽唯の顔にもう怯えはない。あいつらとは違う。わかっている。わかっている。
 けれど、それは彼女がレオナのことをまだ深く知らず。そしてこの世界の常識にも疎いからだ。
 寮長会議での苛立ちをぶつけるべきではない。自在に操れるユニーク魔法を厄災のように恐れ、勝手なことを言う別人たちと重ねるべきではない。そんなことはわかっている。──それでも。

「もういい。俺に関わるな。入学してから時間も経った。ハーツラビュルの茶会にも度々招かれて楽しくやってるそうじゃねぇか」
「レオナ先輩……?」
「お前を守ってくれる奴なら他にもいるって言ってるんだ。わざわざ面倒な、……第二王子じゃなくてもいいだろ」
「第二王子って。私、別にレオナ先輩が王子様だから一緒にお弁当食べてたわけじゃ! 急にどうしたんですか! あんな人たちの言うことなんて……!」

 慌てて距離を詰めようとする芽唯からまるで逃げるように前を向いて歩き出したレオナは彼女に背を向けたままなにも発しない。

「ちょっと先輩! 待ってください! レオナ先輩……!」

 その無言を拒絶と受け取ったのか。追いかけるのをやめた芽唯の声が段々と遠ざかる。
 けれど名を呼ぶことはいつまでも止めず、自慢の耳がこの時だけは嫌なモノに感じた。

「あぁ……クソッ」

 彼女が周りをうろつけば計画の邪魔にもなる。レオナが守ってやる義理もない。自分の都合で傍に置き、そして遠ざける男より、常日頃から傍にいる友人たちを頼るようになる方が芽唯の為になるのも事実だ。
 けれど、もう甥や寮生達を彷彿とさせるのに、それよりもひときわ輝くキラキラとした眼差しを己に向ける姿は見られないのかと思うと何故か無性に腹が立つ。
 また足元に転がっていた石を今度は蹴る気にもならなかった。

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