01


「メイ様お待ちください!」

 長く広い廊下を早歩きで進むと後ろから咎めるようなキファジの声が響く。
 けれど芽唯は止まる素振りすらみせず、すっかり着慣れたこの国特有の装束の裾を翻し続ける。

「ちょ、メイくん! 走らない!」
「走ってないです!」

 角を曲がれば目的の部屋から顔を覗かせていたラギーからもお叱りの声が飛んでくる。それを無視して扉に飛びつくように近付けばため息と共に部屋の中へと招かれた。

「今度は誰だ」

 入室するとベッドの上に座っていた人物から警戒心をむき出しにした声と訝し気な視線が向けられ思わず芽唯はくすりと笑う。

「ふふ、キファジさんの話本当だったんですね」

 彼は自分を見るなり笑い出した芽唯に目を丸くし瞬いた。

「その反応合ってないよね? もっと慌てるとこッスよね⁉」

 逆にラギーは想定外の反応に思わず一歩後ろに下がるが、そんなことも気にせずくすくすと笑い始めた芽唯に後から部屋に入ってきたキファジすらも眉間に皴を寄せる。

「おい……」

 笑う原因となった人物──レオナが「いい加減にしろ」と唸りだすまで芽唯は笑い続けた。



「だからね、精神が入れ替わっちゃってるんですって」
「記憶喪失とかでなく?」

 ラギーの言葉に芽唯が頷くと部屋の奥でやりとりを見守っていた侍医も頷く。

「検査結果からも脳に異常はなく、記憶を改変する魔法を使われた痕跡もありません。ならばこの記憶の食い違いは奥さまのおっしゃる通りなのでしょう」
「いや、でも……だからってなんでメイくんはそんな落ち着いてるんスか!」
「なんでって言われても……」

 渦中の人物であるレオナからの視線が気になり、振り向いて彼に笑顔を向ければ先ほどとは違ってふいっとすぐに顔が逸らされる。
 一瞬室内に微妙な空気が流れたことを芽唯は特に気に留めなかったが、キファジがその空気を変えるようにわざとらしく大きな咳払いをする。

「レオナ様に事前に聞いていたとおっしゃっていましたが、改めてご説明頂いても?」

 頷いた芽唯がもう一度レオナを見れば、そっぽ向いたはずの顔が既にこちらを見ている。
 早く話せと言わんばかりにじっと見つめてくるものだから思わずまた笑みが漏れかけるが、手で口元を押えて我慢する。これ以上は流石に本当に機嫌を損ねてしまいかねない。

「レオナさんに魔法がかけられたのは皆さんの方がよく知ってますよね」

 芽唯が人伝に聞いた話ではちょうど昼過ぎ頃の出来事だった。偵察も兼ねてスラムへ出向いたレオナが何者かに襲撃を受けた。
 王族であるレオナと知って狙ったのではなく、身なりが良く、金を持っていそうだったからというのが犯人の証言だ。
 既にその身柄は確保されていて、ラギーが丁寧に……それは丁寧に話を聞いたそうなので間違いない。
まだ年端も行かない少年の犯行は幸いなことに目撃者は周囲にいたレオナ直属の衛兵だけで、襲われたレオナもしっかり自分の足で屋敷に戻ってきたのでこの問題に気づいているのはごく一部の人間だけだ。

「その時点でらしくねぇっていうか、レオナさんなら防げたんじゃ?」
「俺が知るか」

 ラギーの言葉にほとんど会話に口を挟まなかったレオナが不満げに答える。

「未熟でコントロールも甘いから防ぐのは逆に危険だろう、ってレオナさん言ってました」
「あぁ……なるほど。確かに、まだ自分のユニーク魔法がどんなものかもちゃんと理解してなかったっぽいしなぁ……」
「それで、そのユニーク魔法というのが?」
「入替魔法なんですって。本当はレオナさんの衣服や装飾品を自分のモノと入れ替えたかったんじゃないかなぁ」

 納得したように頷いているラギーを横目に記憶を辿り、キファジの問いかけに事前にレオナ本人からもたらされていた情報を提供する。
 少年はまだ幼く、魔法どころか普通の教育すらまともに受けていないため自身のその力がユニーク魔法であるという自覚はなかった。ただ入れ替えられる。そんな認識で使っていた能力が突然思いもよらぬ効力を発揮した。

「その子の魔法でレオナさんは過去の自分と精神が入れ替わってしまってて、今のレオナさんは十五歳の時の彼なんです。だから……レオナくん?」
「くん……⁉︎」

 突如自分の敬称が変わったことに驚いたのかレオナが声を上げる。

「……ダメ?」

 すぐにそちらを見た芽唯がいつもお願いする時のように首をかしげてみせれば、ぐっと何かを堪えたような表情の後にレオナは「はー……」っと深く息を吐き出した。

「好きにしろ……」

 諦めたように瞳を伏せ受け入れたレオナとその返事に笑顔になった芽唯を交互に見たラギーとキファジは顔を見合わせる。

「……メイ様のことはまだ知らない時期のレオナ様だと聞きましたが?」
「知らないはずッスよ。オレのことすら知らないレオナさんだし。けど……」
「けど?」
「……内緒ッス。後でレオナさんに殺されたくないんで」

 わざとらしくため息をついたラギーにレオナが鋭い視線を送る。芽唯にはなんのことだかわからなかったが、どうやら十五歳のレオナも二十五歳のレオナもラギーが飲み込んだことに関しては同じ認識を持っているのだろう。
 芽唯が首をかしげている横で侍医がスッとレオナの前に歩み寄る。

「と、いうわけでレオナ様。こちらが貴方の奥さまであるメイ様です。お会いになって納得されましたでしょう」
「…………」

 納得、できるのだろうか。
 誰がどう見ても芽唯は平凡な女性だ。
 夕焼けの草原独特の装束を身に纏い。彼から贈られたお揃いのリングを薬指にしてはいる。
 だが、外見的特徴からは夕焼けの草原に住まう既婚女性という情報しか得られないのではないだろうか。

「……嘘はない、らしいな」

 スンッとわざとらしく匂いを嗅いだレオナは芽唯をじっと見て瞳を伏せる。
 芽唯の不安をよそにレオナは納得したらしいが、何度も見てきたそのしぐさに芽唯は頬を少し赤らめて訊ねる。

「……そんなにします?」

 匂いがするのだろう。芽唯にはまったくわからないが。
 獣人属と出会って早数年。レオナのパートナーとしてもほぼ同じくらいの時間を過ごしたが、獣人属とのこのやりとりはいまだに慣れない。普通のヒト以上に優れた嗅覚はいったいどれほどの情報を簡単に彼らに与えてしまうのだろうか。
 朝、屋敷を出る前に見送る芽唯をレオナがやたらと抱きしめてきたのは、もしやこのためだったのかもしれない。

「……匂い以前の問題だ」
「匂い以前……?」

 芽唯の問いに視線を逸らしながら少し唇を尖らせたレオナが答える。
 どういう意味なのかはわからない。けれど少しそこに気恥ずかしさが含まれているのはわかる。
 匂い以上に自分がレオナの妻だと証明するものがあるのだろうか。
 思わず芽唯は自身の体を見下ろしてみるが、何がそうなのかわからない。

「っ……深く考えるな。こいつが俺の妻でこの体は二十五歳の俺のもの。それだけわかれば十分だ!」

 何かを振り払うように勢い良く立ち上がったレオナはまるで逃げるように部屋の出口へ向かう。慌てて追いかけた芽唯が彼の手を取れば、レオナは驚いたように繋がれた手元を見たが、その後芽唯に視線を移しても何も言ってこない。

「お待ちくださいレオナ様!」
「今度はなんだ!」

 けれどキファジには苛立ちを隠さず眉間に皴寄せ声を荒げ、そんなレオナの態度に慣れているのかキファジは臆せず口を開く。

「お仕事は手を付けないでいただいて構いません。こうなることを見越して、しばらくは何もせず過ごせるように事前に貴方が調整済みです。ただ、ここにいる我々とファレナ様。この屋敷に勤めるもの。そしてごく一部の兵や侍従以外は現状を知りません」

 第二王子であるレオナが襲われた、という話自体広まっていない。もしそうであれば今頃ニュースにもなっているだろうし、王宮やレオナと芽唯の屋敷であるここにもその取材が押しかけているはずだ。

「ですので、入れ替わっていることはくれぐれもバレないようにお気を付けください。……あまり心配はなさそうですが」

 そう言ってレオナと芽唯の繋がれた手を見たキファジは皴の刻まれた口角を上げる。

「チッ……お前は歳を喰っても相変わらず一言多いんだな」
「年寄りというのはそういうものですので」

 舌打ちと共にもう一度キファジを睨みつけたレオナは今度こそ振り返らずに部屋を出る。
 そんな彼に手を引かれながら退室することとなった芽唯が慌てて振り返れば楽しそうに笑っているキファジの姿が目に入る。その横でラギーは「あーあ」と肩を竦め、侍医も肩を震わせ笑っているので状況がわかっていないのは自分だけのようだ。

「あの、レオナくん……?」

 心配がない、というのはどういうことだろう。
 十年という年月は説明があったとしても簡単に納得はできないだろう。
 仕事はしなくてもいいようだが、芽唯はこの国に住むようになって「レオナ様は変わられた」という言葉を何度も耳にした。
 もし事情を知らない者と出会った時、十五歳の彼が二十五歳の彼と同じように振舞うことはできるのだろうか。
 芽唯からしてみれば出会った頃からレオナは変わらず優しく、大事にしてくれる大好きな人だ。……少し意地悪だけど。
 そんな芽唯が出会うもっと前からレオナを知る人物の言う「変わった」がわからない以上、周囲に違和感を覚えさせないようサポートするのは芽唯には少し難しい。

「ねえ、キファジさんに傍にいてもらった方が良いんじゃない……?」
「……必要ない。ここはお前と俺の屋敷なんだろ。仕事をする必要がないなら出る必要もねぇ。外部の人間と接触しなけりゃ俺が入れ替わってるなんてバレることもない」
「それはそうだけど……」

 レオナという人物の普段の行動を知る人も、早めに仕事を終わらせた彼が妻とゆっくり屋敷で過ごすことに疑問を持つことはないだろう。

「あ、私もあまり接触しない方がいい? いきなり奥さんって言われてもレオナくんにとっては見知らぬ他人でしょう? 元に戻るまで距離取った方がいい?」

 そういえばレオナはべたべたと触られるのは好きじゃないと言っていた。先程は思わず手を取ってしまったが、今はまだ知り合ったばかりの他人である自分に触られるのは嫌かもしれない。
 慌てて芽唯が手を離せばピタッとレオナの動きが止まる。

「わっ」

 先導していたレオナの急な停止に驚いた芽唯は足をもつれさせ、彼の背にぶつかった鼻を抑えていると振り向いたレオナと視線がかち合った。
 じっ……と見つめてくるレオナは芽唯の瞳を覗き込むように顔を近づけてくる。
 中身が十五歳とは言え、外見は二十五歳のレオナのものだ。
 いつもの彼ならこの流れだとキスをしてくる。それを思い出してしまった芽唯は頬を赤らめながらレオナへ向けていた視線を逸らす。

「…………、いいから。行くぞ」

 離したはずなのに大きな掌にすぐに手を掴まれてぎゅっと力が籠められる。
 レオナさんっていきなり奥さんって言われた人にこんなに積極的になる人だったっけ?
 そんな疑問を抱えながらも芽唯はレオナに手を引かれるまま歩くしかない。
 腕を引く力は強いのに、歩くスピードは緩やかで、自分を気遣って歩いてくれているのがよくわかる。そんなレオナの行動が少しむずがゆかった。

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