終章


「レッ、レオナさんが戻ったってホントッスか⁉」

 大きな音を立てながら部屋に飛び込んできたラギーが息を切らしながらレオナと芽唯、両者の顔を交互に見る。

「うるせぇぞラギー。俺たちはまだ飯食ってんだよ」
「オレはその飯も食わずに来てんの! あー、もう! 確かにオレの知ってるレオナさんに戻ったみたいッスね!」

 チッと大きな舌打ちをしたかと思えば大きく口を開いて「あ」と次を催促するレオナの口に野菜を入れる。
 宣言通り手ずから食べさせろと強請るレオナにちまちまとサラダを食べさせていた芽唯はレオナが咀嚼している間にラギーに向かって口を開く。

「おはようございますラギー先輩。すっかり元通りなんですよ」
「みたいッスね。あーあー、心配して損した」
「心配? 随分殊勝なこと言うじゃねぇか」
「あの子供は魔力の効き目はそんなに長くないって言ってたのに、アンタがいつまで経っても戻んないから!」

 恐らくユニーク魔法の使い手のことだろう。彼を尋問したのはラギーだ。ユニーク魔法の効力がどれくらいか聞きだしていたとは知らなかった。

「レオナさんが効果が切れないよう補助してたんですって」
「はぁ⁉ なんで⁉」

 近くの椅子を引いて座ろうとしていたラギーが驚いて動きを止め、彼に水を運んできたメイドの耳が大きな声に驚いてぱたりと畳まれる。
 当然、同じ獣人であるレオナの耳もそれは同じで。違うとすればギロリと鋭い眼光がラギーを睨んだが、もしゃもしゃと芽唯に食べさせてもらっているサラダを咀嚼するのに忙しくてお叱りの言葉は飛んでこなかった。

「レオナさん、そろそろちゃんと説明してくださいね」

 芽唯もまだ細かい顛末は聞いていない。レオナは結局この事件の裏でいったい何を企んでいたのだろう。触れ合っていた膝を軽くつつくとレオナはサラダを飲み込んでから口を開く。

「あのガキのユニーク魔法は幸福な良い夢を《グッド・ナイト・アンド・スイート・ドリーム》¢ホ象者がその時望んでいる幸せを得られる状態にする魔法だ。本人は入替魔法だと勘違いしてるらしいが、それはたまたま『腕輪が欲しい』だの『あいつの着ている服が欲しい』だの物欲が強かったからだな」
「幸せを得られる状態……? でもレオナさんって今が幸せの絶頂って感じじゃないッスか? なんで十五歳の自分と入れ替わりが起きるんスか」
「魔法をかけられた時、俺が望んだのは過去の俺がこっちで過ごした数日間の記憶だ」
「記憶ぅ⁉」

 目を丸くしたラギーはなんのことかと芽唯を見るが、芽唯としては肩を竦めて苦笑いするしかない。十五歳のレオナが言っていた通り、芽唯が思っているよりもレオナは芽唯にご執心だった。
 それこそ、覚えていないことがあるなんて耐えられないと今回の計画を企てる程度には重症で、自分の時代に戻った十五歳のレオナもやがてまったく同じことをするのだろう。目の前のレオナがそれを証明している。

「十年前、十五歳だった俺自身も同じように二十五歳の俺と入れ替わりを経験しているはずだ。だが、俺にはその記憶がない。こいつはいつのまにか机の片隅に置いてあった『絶対に捨てるな』とだけ書かれたメモだが、ちょうどメイが妊娠した頃文字が浮かび始めた」

 今朝、芽唯も見せてもらったメモをラギーに渡す。ラギーは目を通しながらレオナの話の続きに耳を傾けるのだが彼の眉間にぐぐぐと皴が寄る。

「何の冗談かと思ったが自分のサインを見間違えるはずがねぇ。だから書かれている通りに入れ替わりへの対策を進めた」
「だから急にスケジュールをこれでもかってくらい詰め込み始めたんスね。変だと思った」

 大きなため息をついたラギーは予定があるわけでもないのに急に仕事を詰めることを疑問に思っていたのだろう。

「仕事やら諸々の調整については簡単だ。けれど、そうした面倒事を片づけておくだけでは別の問題が起きることに気が付いた」

 二枚目の金色のメモ用紙──二人のレオナによる契約書に目を通したラギーが顔を上げる。

「十五歳のレオナさんが入れ替わりのことを覚えたまま帰ったら歴史が変わっちまう、ってことッスか?」
「あァ。当然見過ごすわけにはいかないだろう? なら、俺の記憶を奪わなければいけない。そこで重要になるのがユニーク魔法の本当の効力だ」

 メモを読み終えたラギーが返すとレオナは大事そうにメモをポケットにしまい込む。一枚目はともかく、二枚目は契約書だ。アズールのように金庫に保管しておくなど厳重な管理が必要なのかもしれない。

「あのガキのユニーク魔法は対象者が満足すると効果が解ける。調べてみれば、あいつはユニーク魔法で手に入れたと思い込んだ品物はすべて売り払ってる。何も知らずに買い取った店に尋ねたところ、あいつから買い取った物はいつのまにか置いた場所から消えていたと全員口を揃えて答えた」
「消えた? 最初に入れ替えた物とまた入れ替わったとかじゃなく?」
「あ、それに関してはそもそも誰も何も奪われてないらしいです」

 レオナの話を補足するようにラギーに報告書を渡せばぱちぱちと瞬いたラギーは芽唯を見て首をかしげる。報告書にはレオナが以前から調査させていた少年のユニーク魔法に関する詳細が事細かに書かれていた。

「じゃあ手に入れた物はいったいどこから……」
「偽物、というか魔法が作ったまぼろしだな。夢のようにまるで最初から存在しなかったかのように掻き消えてなくなる脆いものだ。他者の貴重品を望んだ本人は金銭に変えて満足し、買い取った店主も取引に満足して品物から目を離した。そうして条件を満たしたと判定されて後には何も残らない」

 食べ終えた食事が下げられ、レオナが一冊の本を机の上に乗せる。古代呪文語で記された文章が並ぶ分厚い本は芽唯なら読み解くだけでも相当の時間がかかるだろう。

「それと同じで、俺たちの入れ替わりもユニーク魔法が正しく効果を終えれば夢を見ていたかのようにただ元に戻るだけなんだろうが、魔力切れで半端に終わった場合どうなるかわからない。最悪、どちらの時代の俺も精神が消えてなくなるくらいのことは起きてたかもしれねぇな」

 さらりと恐ろしいことを言ったレオナの指が付箋を目印にページを開く。

「ここに書いてあるのは少ない魔力を持つ者の魔法を強大な魔力を持つ者がサポートする方法だ。俺はこれをあのガキのユニーク魔法の補助に使った。そして、その魔法を使って十五の俺が満足するまで入れ替わりを維持することを誓ったのがこの契約書だ」

 本に軽く目を通したラギーが「うへぇ」と声を漏らして先ほどよりももっと深く眉間に皴を寄せる。

「契約が果たされるのと同時に対価として俺の望みも満たされてユニーク魔法は自然と解け、記憶を奪うことで未来が変わる可能性も潰したって訳だ」
「本当にアズール先輩の契約書みたい」
「わざわざあいつと契約をしたからな」
「え、じゃあ本当にアズール先輩の?」
「こっちの魔法と組み合わせる必要があったから俺なりにアレンジを要求させてもらったが、こんな魔法が何個もあってたまるかよ」
「わぁ……」

 あのアズールと契約を結ぶだなんて、レオナがこの件に本気だったことが伺える。

「魔法はイマジネーションが大事だからな。十五の身体で行わなければならなかったし、見慣れた魔法であることは重要だった」

 アズールは様々な条件で相手と取引を行う。今回はレオナがアズールの要求を満たせば記憶の譲渡契約を成立させる魔法の付与といったところだろうか。
 満足そうににやり笑うレオナを見ながら芽唯とラギーは顔を見合わせ肩を竦めた。

◇◆◇

「レオナ! 本当に元に戻ったんだな!」

 ラギーを見送った後、中庭のガゼボで二人過ごしていると四つ足で器用に駆けてきたグリムがレオナの身体をよじ登る。

「おかえりグリム。チェカくんはどうだった?」
「レオナに会いたい会いたいって騒がしかったけど、キファジと二人でなんとかずっと勉強させてたんだゾ」
「ふふ、本当にありがとうね。レオナくんと今のチェカくんを会わせていいのかちょっと不安だったから」

 グリムは賢者の島から帰ってきた後ほとんどの時間を王宮で過ごしていた。芽唯がレオナと仲直りしてからはほぼずっとあちらに居たと言っても過言ではない。
 立派な王になる為、懸命に勉強を始めたチェカは今もレオナを慕い、憧れ、好いている。
 けれど、十五歳のレオナにとっては生まれたばかりの絶望そのもの。
 ゆっくりとした時間を芽唯と過ごし、十年後の未来について受け入れ始めてはいたが、彼と対面させてどんな反応をするかが少し怖かった。
 下手すればオーバーブロットにもつながりかねないと考えた芽唯は、キファジはもちろん連絡係としてグリムを王宮に使いに出すことを選んでいた。

「そこまで心配することもないと思うがな。あの時の俺にとっては十年後のチェカなんて兄貴に似た見知らぬ他人だ」
「そうですけど……」
十五歳のレオナが穏やかに過ごすためには兄一家との接触を完全に絶つのが正解だったと今でも思う。
「レオナくんに悩んでほしくなかったんです、私が」

 過保護と言われかねないが、心身ともに疲れ果てたレオナに安らぎを与えたかった。
 ふとした瞬間、気が付いた時にはどこかに消えてしまってるのではないかという儚さが彼にはあった。

「あの、レオナさんにあの時の……入れ替わってた時の記憶があるってことは、私と過ごした時間をどう思ったかとか聞いてもいい?」
「…………」

 隣に座っているレオナを見上げながら問えば、傍らにグリムを降ろしながらこちらを見たレオナがじっと見つめてくる。
 数度左右に泳いだ視線がまた芽唯に戻ってくるとレオナがようやく口を開く。

「ここに居ても良い事なんて何もないという焦燥があった。お前が語った学園での思い出が特にそれを掻き立てた」
「でもこっちにいればずっと子分といられるのに、好きになってたなら乗っ取っちまおうとか思わなかったのか?」
「ハッ、んなことちっとも思わねぇよ。結局、こいつが好きなのは二十五歳の俺で、過去から来た俺じゃないって考えは最後まで変わらなかったからな」
「そうなの? てっきりレオナさんと話して考え方が変わったんだとばかり……」
「ありえねぇ。むしろ、俺にない十年分の記憶を自慢げに語る俺自身が憎くて憎くてたまらなかったぜ」
「あはは……」

 結局のところ、やっぱりレオナはレオナだ。芽唯に纏わる記憶に欠けがあることをどちらのレオナも快く思っていなかったらしい。

「だが、契約してこちらで過ごした時間を自分自身に明け渡すのは惜しくもあり、名案だとも思った。一時的に失うことにはなるが、長い目で見れば最後には俺自身にすべての記憶が集約されるんだからな」
「じゃあレオナくんにとって、あの契約はちゃんと帰れる以上のメリットがあったってことなんだ……」

 十五歳のレオナと二十五歳のレオナは互いを別の存在と思っている一方で、同一人物であるという認識も持っていた。
 二十五歳のレオナが事前準備をしたことで歴史はまた正しく巡り、十五歳のレオナは十年後の自分が目の前の自分とまったく同じ存在になることを理解し、未来にメリットがある選択をしたのだろう。

「いつも言ってるだろ。狩りってのはじわじわと長い時間をかけて獲物を追い詰めて行うべきだ」

 十年後、自身の記憶という獲物を狩る為二人のレオナは長い長い狩りをした。
 騒動がすべて終わり、元に戻った時に笑みを浮かべるその日のために。
 欠けていた記憶がすべて埋まったレオナは満足そうに芽唯を見つめて唇で美しいな弧を描くと、三日月のようなそれはグリムが隣にいるにもかかわらずゆっくりと芽唯の唇に降り注ぐ。
 あの日、星空を見ていた時と同じくらい眩しい輝きを宿したサマーグリーンが太陽の光を反射してきらりと輝く。
 夕焼けの草原という国に生まれた王子に相応しく、レオナには太陽の輝きが良く似合う。
 その眩しさに目を細めた芽唯にとっても、今回の入れ替わりが夢まぼろしのように消えてしまわなかったことは喜ばしい。

「またこの子が産まれた時に話せることが増えちゃいましたね」
「突拍子もなくて信じるかは疑わしいがな」

 自分の父親の意識が一時的に過去と入れ替わっていたなんて話、どれだけ歳を重ねれば我が子は信じてくれるだろうか。

「……入れ替わってお前が目の前に現れた時、すぐに胎に子がいると気づいて何故だと思った。俺の子なんて、碌な目に合わないに違いないと思ったからな」

 芽唯を抱き寄せ膝に乗せたレオナはその肩に顎を置き、後ろから体全身を包み込むようにそっとお腹に手を添える。

「チェカが産まれたばかりだった俺にとって自分にもガキが出来てるなんて悪夢のようだった。何の冗談だってな。けど、お前と過ごして、話して、自分とも向き合って、そこに希望が見えた気がした。未来の俺は我が子を愛していて、どうしたら俺がそうなるのかと興味が湧いた」
「じゃあレオナくんが満たされたのって……」
「早く自分自身でお前に会いたいと……お前に愛されている俺になりたいと強く願った。この環境や記憶を失うことへの不満より、早くお前に出会った俺になるための時間を過ごしたかった。なにせ最低でも後五年はかかるからな」

 レオナの腕の力が強くなる。ぎゅっと抱きしめられるが痛みはない。優しく撫でられるお腹が少しくすぐったい。

「……お前とこいつが、十五の俺に夢を見させたんだ。責任取れよ」
「ふふ、そうですね。ちゃんと幸せにしてあげますね」

 身体の力を抜いてレオナにもたれかかれば優しく体を受け止められる。いつのまにか芽唯の膝の上に移動してきたグリムはアーモンド型の瞳を細めてにやりと笑った。

「本当にレオナはしょうがねぇ奴なんだゾ」
「ねー。やっぱりレオナさんって可愛くて困っちゃう」

 くすくすと笑いだした一人と一匹にレオナの耳が聞こえてないと言いたげにぱたりと畳まれる。
 少しだけ強くなり始めた風から守るようにレオナは魔法でブランケットを手繰り寄せると芽唯の身体を包み込む。
 十年前のレオナには最初悪夢の象徴に思えた芽唯の孕んだ命は、やがて夢の象徴に変わっていった。
 芽唯と過ごした記憶を夢のように彼方へ手放してしまわなかったように、この宝物も持てる力すべてでレオナは守り抜くだろう。

「あのね、きっとこの子もレオナさんと同じ色の瞳をしてると思うんです」
「は? なんでだよ」
「勘かなぁ? でも絶対そうですよ」

 一緒に星を見上げたあの夜も、太陽を浴びて輝く今も、レオナの瞳はこの世のどんなものよりも美しい。きっと我が子も同じ色の瞳を携えていると何故か直感的にそう思った。
 芽唯が孕むサマーグリーンは夢まぼろしのように思いながらもこの未来を追い求めた十五歳のレオナと、実際にその未来を掴んだ今を共に生きるレオナのように、やがてきらりと輝きを放ちながらこの世界を見に来るのだろう。願わくはその瞳が曇ることがないように。
 レオナと芽唯、見つめ合った二人はやがて生まれてくる我が子の幸せを願いながら微笑んだ。

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