09
陽が昇り、カーテンの隙間から朝日が差し込む。
「ん……」
もぞもぞとレオナの腕の中で動いた芽唯は、顔に当たる陽射しから逃げるようにレオナの身体にしがみ付く。
「起きなくていいのか?」
珍しく自分より先に起きていたのか、レオナの声が頭上から響くが昨晩遅くまで話してしまったので目が思うように開かない。
「もうちょっとだけ……。レオナくんお腹すいちゃった……?」
「くく、レオナくんねぇ?」
名を呼ぶと何故かレオナは肩を震わし笑う。何も変なことなど言っていないのにどうしたのだろう。
頑張って目を開ければ同じく寝起き姿のレオナが自分を見下ろしている。目が合うと伸びてきた手が芽唯の髪を梳き、寝癖を整え終えたのと同時に額にキスが落された。
「えっ⁉」
突然の出来事に思わず身を引くが、レオナに抱きしめられたままの身体はびくりともしない。それどころか「落ちたら危ないだろ」とたしなめられる。
「れっ、レオナくん?」
顔を赤らめ慌てる芽唯とは裏腹にくつくつと笑い続けるレオナはなんだかおかしい。多少のスキンシップはあったがキスなんて初めてだ。
「こんなことは流石にしなかったからわかるだろ。あの時は流石に俺自身に遠慮があったから我慢してやったってのに」
「あの時……?」
「……まだ気づかないのか?」
本気か、と声を低くするレオナの眉間に皴が寄る。
それを見つめたまま首をかしげた芽唯は強まる腕の力よりも当然のように足に絡み始めた尻尾の方が気になった。
「も、しかして……レオナさん?」
逃がさないと言わんばかりに回された手が慣れた手つきで芽唯の腰をなぞる。放っておけばそのまま服の中に入ってきそうなその動きは十五歳のレオナなら絶対にしなかったものだ。
ぱちぱちと瞬きを何度も繰り返しながらレオナの顔をじっと見つめれば、もう一度と言わずに何度もあちこちにキスが落される。
額に、瞼に、目尻に、頬に、そして唇に。
まるで正解なのだと告げるそれは深く。久しぶりの行為に驚き、息の仕方を忘れた芽唯が胸を叩けばようやく唇が離れていく。
「れ、レオナさんだ……」
はふ、と息を吸い込みながら目の前にある夫の顔をじっと見つめる。
この数日間、ずっと傍にいたレオナは精神が十五歳の時の彼だっただけで見た目に変化はないのだが、不敵な笑みも、こうするのが当然だと言わんばかりの強引さも夫特有のもので、過去から来ていた彼にはなかったもの。
まるで酸素をレオナに奪われたように荒い呼吸を繰り返す芽唯をよそに、余裕のレオナは芽唯の頬を大きな掌で包んでは優しく撫でる。
「ただいま」
「っ……おかえりなさい!」
額同士がこつりと合わさり、視界すべてがレオナで満たされる。
本当に元に戻ったのだと安堵したからか目尻から一筋涙がこぼれ落ちたが、当然のように大きな親指がすぐに拭って少し赤みを帯びたそこにまたキスを落とす。
「レオナくん……戻っちゃったんですね。ちゃんと挨拶したかったな」
ユニーク魔法が解けたのはとても喜ばしい。けれど昨日まで共に居た彼にお別れが言えなかった。忘れてしまうとしてもきちんとしたかった。
寂しさに締め付けられる胸が少し痛くて胸元できゅっと手を握りしめるとレオナが笑う。
「寝る前の挨拶ならちゃんとしただろ」
「それはそうですけど、ばいばいって……」
おかしなタイミングでなくてよかったのかもしれないが、寝る前に今日話そうと思ったことは宙ぶらりんで行先を無くしてしまった。
「まだいっぱい話したいことあったのになぁ」
「なら昨日の続きといくか? ほら、まずは俺に言うことがあるだろ?」
「続き……? 言うことってなに……?」
首をかしげて問えばレオナの瞳がゆるく弧を描く。
「『出会った時から私のこと好きだったの』って聞けって言ったろ」
「へっ……」
昨夜のレオナの声が脳内に蘇る。一言一句違わない。十五歳のレオナが二十五歳のレオナに聞けと、そう言った。
「なんで……?」
一目惚れだったのかと問えば夫のレオナが驚くだろうと笑う彼は実に楽しそうだった。
けれど何故元に戻ったレオナがその会話を知っているのだろう。
寝起きの頭では単純な問いかけしか出てこない。えっえっ、と声を漏らし続ける芽唯を見て笑うレオナはどこか満足そうだ。
「俺はお前にそりゃあご執心だからなァ?」
ご執心。あぁ、それも昨日聞いた言葉だ。
何故、と単純な言葉しか出てこない口を押え、なんとか思考を巡らせた芽唯はレオナの両頬に手を添え彼の瞳を覗き込む。
「覚えてるの……?」
サマーグリーンが朝日を吸い込みきらりと光る。
星を孕んでいた時と違う色をしてるのに、あの夜を彷彿とさせる瞳は芽唯を見つめて離さない。
「覚えてて欲しかったんだろ?」
「……っう、ん! だって、十五歳のレオナくんと過ごした時間も凄く大切で! レオナさんのこともいっぱい知れたの!」
彼との邂逅がなければ知らないことがたくさんあった。
「なのにその時間が私の記憶にしか残らないなんて夢とかまぼろしみたいでずっと寂しかった……!」
十五歳のレオナが居たことを知っている人は自分以外にもいる。けれど、芽唯とレオナの会話は二人だけのもの。
「ほんとの、ほんとに覚えてる……?」
「何を語れば信じてくれるんだよ。お前と出会うまでの五年間はやっぱり最悪だったってことか? もう一度手ずから食わせてくれるなら今朝も草を食ってやってもいいぜ」
あー、とわざとらしく大きく口を広げたレオナは芽唯の手を掴むと齧るような仕草をする。
「それはちゃんと自分で食べて欲しい……」
「おい……そこは是非って言うところだろ」
不服そうに眉間に皴を寄せたレオナは抗議のように芽唯をぎゅうぎゅう抱きしめる。
「ふふふっ……お野菜本当に食べてくれるの?」
「俺がお前に嘘をついたことがあったか?」
「うーん、ないって言ってあげますね」
本当はいっぱいあるけど。
言外にそう示せばレオナの口角が上がる。レオナなりの冗談だったのかもしれない。
「でも、どうして覚えてるの? 入れ替わることは前から知ってたみたいだけど、詳しいことはわからないって」
芽唯の言葉に頷いたレオナはベッドサイドの魔法石に手を伸ばすと魔法で何かを手繰り寄せる。
ひらりと舞うように彼の手元に飛んできたのは一枚の紙きれだ。
「ほらよ、お前が知りたがってることが書いてる」
「私の……?」
見やすいように体の位置を調整するとレオナの腕を枕にするよう寄り添いながら目を通した芽唯は首をかしげる。
「何も書いてないけど……」
どこから見ても真っ白なそれはインクの染みすら見当たらない。
「認識阻害魔法がかけてあるからな」
「えぇ……」
レオナには本当に文字が見えているのだろう。紙の表面をなぞる彼の瞳は左から右へゆっくり動いて少しずつ下に降りていく。
「ねえ、なんて書いてあるの?」
「このメモは俺自身が書いたから絶対に捨てるなってこととそれを証明するサイン。入れ替わりが起きること、理由、襲われる大体の日付に時間。事前にやっておくべきことなんかだな」
「それは前に全部教えてもらったけど……」
「文字として残されてンのはそれくらいなんだよ」
「文字として……?」
指先が何度かメモを叩くと確かにレオナが言っていたのと同じ内容が浮かび上がる。
「あれ……こっちのサインは?」
メモは二枚重なっていて、下の一枚……黄金に輝くそれには古代呪文語で書かれた文章と共にレオナのサインが添えられている。
芽唯が指さした自分のサインを一瞥するとレオナは自分の頭を指先トンと叩く。
「記憶の譲渡を了承させるサインだ」
「きお……え?」
意味がわからない。首をひねった芽唯がレオナをじっと見つめればレオナの指先が今度は古代呪文語をなぞる。
「この時代にいた期間の記憶をすべて渡すことに同意するためのサインだ。でなけりゃ、一枚目のメモに書かれてる以上のことを知らなかった俺が昨日の夜のお前と俺の会話を知るわけないだろ」
「レオナくんがレオナさんへの記憶の譲渡に了承した……?」
「そうなるな。辻褄合わせも兼ねてる。お前とのこの暮らしを覚えたまま帰ったら歴史が変わっちまうだろ」
「確かにそうだけど……」
「正しい歴史にするためには十五の俺の記憶は消さなきゃならねえ。けど、今の俺ならこの暮らしを知ったところでなんの問題もねぇ。なら俺が奪ってもいいってわけだ」
さも当然のように言うが記憶の譲渡などそんな簡単にできるのだろうか。
いや、古代呪文語が使われているということは学園でも聞いたことすらない魔法が使われているのかもしれない。じっとメモを見ても芽唯には難しくて読むことすらできないが、十五歳のレオナは読んだ上でサインしたに違いない。
「なんだかアズール先輩の契約書みたい」
「似たようなもんだな。記憶を譲る代わりに俺も対価を与えてる」
「何をしてあげたんですか?」
「滞在期間を延ばしてやった」
「えっ。じゃあなかなか元に戻らなかったのって……」
口角を上げたレオナの後ろでいつのまにか芽唯の体から離れていた尻尾が揺れる。
「あんなガキの使いこなせてもいないユニーク魔法の効力が長続きするわけないだろ。俺が補助してやったからあいつは満足するまでこっちの世界にいれたんだ」
鼻で笑ったレオナは起き上がって大きな欠伸をしたと思えば、前髪をかきあげてから身体をほぐすように大きく動かす。
「いくら入替先が自分だろうと正しい体の方がしっくりくるな」
そう言いながらレオナは窓辺に視線を移すので芽唯も同じ方を見れば、視界に入った花が二人に答えるように風もないのに揺れ動く。
「ふふ、あの子もお帰りなさいって」
「またぎゃーぎゃーと文句を言われなきゃいいがな」
幸いなことに花に住んでいる妖精は今のところ噛みついてくる様子はないが、静かな朝食を希望なら早々に寝室を離れた方が良いだろう。レオナが魔法で芽唯が連日愛用しているブランケットを手繰り寄せるのを見ながら起き上がるとすぐにブランケットを羽織らせられてベッドから降りるよう促される。
「今日の体調は?」
「大丈夫ですよ。誰かさんの言いつけでグリムが口うるさかったから」
「あァ、ちゃんと見合った報酬をやらねぇとな」
部屋を出ながら会話を続ける二人はぴたりと寄り添い、レオナが芽唯の腰に手を回す姿に近くを通った使用人達がおやおやと事態を察して騒めき始め、真っ先に動き出したのはキファジとラギーを呼んでくると走り出したベテランの兵士で彼に続けと屋敷内全体が騒がしくなる。
「グリムがどこに行くにもちゃんと持ち歩けってうるさいから、このブランケットすっかり手離せなくなっちゃいました」
「ゴーストに贈り物をされるプリンセスなんてお前くらいだぜ」
「そうだ、ゴーストと言えばゴーストのお姫様にオンボロ寮を乗っ取られたことがあったじゃないですか。成仏させようと挑んだみんなが食堂に転がされた」
「やめろ、思い出させるな。あんな最悪な事件」
ゴーストによる騒動は多々あったが、レオナの頬に大きな紅葉を刻んだのは彼女だけだ。相当苦い記憶に違いない。首を何度も横に振って拒絶を示したレオナは聞きたくないとぺたりと耳を畳む。
「ふふ、あの時のお姫様も赤ちゃんがもうすぐ生まれるらしいです。グリムがゴースト達から聞いたって」
「待て、ゴーストがどうやって子作りするんだ」
「愛の力なんだって。前に同じような話を聞いた時に学園長が言ってました。それでね……」
くすくすと笑いながら話を続ける芽唯に相槌を打つ優しいレオナの声が屋敷に響く。並んで歩く二人の会話に耳を傾けながら使用人達は笑顔で自分の業務に戻る。
太陽の光に照らし出される二人の姿はまるで幸せを絵に描いたようだった。
←前へ 次へ→