01


「小エビちゃん臭すぎ」
「えっ」

 臨時バイトとして呼ばれたモストロ・ラウンジに入店した途端、眉根を寄せたフロイド先輩の罵りに身体が硬直する。

「……と、その、あの……匂い、ますか」

 スンッと鼻を鳴らしてみても自分ではさっぱりわからない。
 このやりとり自体は珍しいものじゃない。獣人属、妖精、そして人魚。多くの種族が存在するツイステッドワンダーランドでは嗅覚の鋭い種族に度々匂いに関する指摘を受けてきたからだ。
 主にその原因はレオナ先輩なのだけれど、いつもならフロイド先輩は「ま〜たトド先輩の匂いしてんねぇ」くらいの指摘で、どちらかといえばレオナ先輩への呆れの方がメインだったので自分自身に対して非難の目を向けられるのは初めて。
あまりの居心地の悪さに心臓も嫌な音の立て方をして冷や汗も流れてきそう。

「今すぐトド先輩呼んで」
「えっ、でも」

 レオナ先輩はモストロ・ラウンジがあまり好きじゃない。磯臭くなるから、と私もあまり近寄らないように言われている。
 なのに匂いがするからとレオナ先輩を呼びだすのはどうなんだろう。そんなことを言われたら誰だって不快な思いをするに決まっている。

「あの、私が臭いだけなら急いでシャワーを浴びてくるので……」
「そういうんじゃないから。……トド先輩、縄張り意識強いくせに気付いてないとかありえねぇよなぁ。小エビちゃん、最後に会ったのいつ?」
「一昨日です。ちょっと忙しくて会えてなくて」
「ああ、そういう……」

 ふぅん、と目を細めたフロイド先輩は「早く呼んで」と話が元に戻ってしまった。
 言われるがまま呼んでもいいのかな……。確か、今夜は会えるって言ってて、バイトが終わり次第サバナクロー寮に向かう予定だったから今なら連絡は取れるかもしれない。
 けれど『フロイド先輩が臭いって言うからモストロ・ラウンジに来てください』なんて呼び出しに応じてくれるだろうか?
 疑問ばかりが膨らむ状況で、入り口で立ち往生していると誰かがゆっくりと近づいてくる。

「フロイド、そんな説明ではメイさんが困ってしまいますよ」
「えー、だってさぁ。ありえなくない?」
「まあ……、そうですね」

 物腰柔らかに会話に入ってきたのはジェイド先輩。やりとりからするに、彼も私を『臭い』と感じているのだろう。
 背の高い双子に囲まれた私はあまりの圧に委縮しながら、早くこの場から逃げ出したい一心で鞄に手を入れてスマホを探す。レオナ先輩にすぐに連絡を取る唯一の方法。いつもなら簡単に見つかるのに、焦りからか薄いそれが中々見つからない。

「こういうのはハッキリ言ってさしあげないと」
「あの……ジェイド先輩、臭いってレオナ先輩の匂いがするとかそういうのじゃないんですか?」

 なんとなくだけど、違うんだろうな……とは思う。レオナ先輩に対するクレームというよりは、彼に早急に知らせなければいけない何かがあるのかもしれない。

「ええ、急いでレオナさんにご連絡をとっていただけますか?」
「あっ!」

 指先が薄い板状の物に触れる。見つけた喜びで私が声を上げたのとジェイド先輩がくすりと笑ったのはほぼ同時だった。

「このままではあなたの大事な女性が深海に引きずり込まれてしまいますよ、と」
「えっ」

 ぽと、と私の手から滑り落ちたスマホを難なく空中で掴んだジェイド先輩の左右色の違う瞳が怪しく光り、隣に立つ鏡合わせのように瓜二つの顔を持つフロイド先輩が細めた瞳も同じ光を放ちながら私を見つめる。
 背筋を流れる冷や汗が、いったい何に恐怖を覚えて流れたのかわからなかった。

◇◆◇

 予想通りすぐに電話は繋がった。
 久しぶり……と言ってもたった数日しか経っていないけれど、それでもレオナ先輩の声が聞けてとても嬉しい。それはお互い様なのかレオナ先輩の声もどこか柔らかくて、同じ気持ちであることが伝わってくる。
 けれど、私が今いる場所と急に電話した事情を説明すると瞬時に声が尖ったものに変わり『すぐに行く』という言葉を最後に通話は切れてしまった。
 宣言通りにモストロ・ラウンジに顔を出してくれたレオナ先輩は私を見るなり顔をしかめて呟くように零す。

「……臭ぇ」

 スンスンと数度鼻を鳴らしたレオナ先輩は私の腕を掴むと仕舞いこむようにより近くに引き寄せてフロイド先輩とジェイド先輩を睨みつける。

「どういうことだ?」
「さあ? オレらだって小エビちゃんがくっせーってこと以外なーんもわかんない」
「メイさんにはレオナさんが来るまで事情を話すのは待ってもらっていたんです。二度も同じ話をするのも聞くのも非効率的でしょう?」

 他の生徒たちと開店準備をしながら待っていた二人は作業を一旦中断すると近くの四人席に座るよう促してくる。
 結局、臭いと言われた私自身は訳もわからないままシフトから外されてしまっていたので大人しくレオナ先輩の隣に腰を下ろす。

「あの……そろそろ理由を教えてもらっても良いですか……?」

 臭い臭いと連呼され、最後は脅しのような言葉を言われた理由もレオナ先輩を呼べと言われた理由も明かされないまま。
 目の前に着席した二つのそっくりな顔を見ればジェイド先輩は笑みを崩さず、フロイド先輩は呆れたように顔をしかめた。

「陸の人間ってマジで鈍い……。トド先輩苦労すんね」
「テメェに同情される謂れはない。……と言いたいところだが、これに関してはこいつにもうちょっと危機感を持って欲しいところだからもっと言ってやれ」
「アハッ、だってさ小エビちゃん」
「は、はぁ……」

 珍しく意見が一致した二人の視線が自分に向けられたことに委縮して肩をすぼめればレオナ先輩がため息をつく。

「二人とも、それではメイさんは理解できないのでは? 彼女にもわかるように順を追って説明しないと」

 相変わらず笑みを絶やさないジェイド先輩がそう言うと「それもそうか」と呟いたフロイド先輩がレオナ先輩に視線を送った。
 それを受けたレオナ先輩は少し身体を斜めにずらして私をまっすぐ見る。
そのまま優しく手首を掴んでわざと見せつけるような動作で顔の近くに持ち上げたかと思えばスンッと匂いを嗅ぐ仕草をする。

「これだけ言われてりゃ気づくだろうがお前から知らない匂いがする」
「知らないって言うのは学園の生徒じゃないっていう……?」
「それもあるが、ただそれだけのことならお前を囲んで問いつめたりしねぇよ」

 何度かスンスンと匂いを嗅いだレオナ先輩は不快そうに眉を顰めるとジェイド先輩とフロイド先輩を見る。

「そんなに見つめられても、僕たちもそんな外来種の捕食者が誰なのかなんて知りませんよ」
「捕食者……?」

 笑みを浮かべたジェイド先輩は目を細め私をじっと見つめる。反対にフロイド先輩はレオナ先輩と同じように不快そうに顔をしかめて私を見つめた。

「小エビちゃんさ、やばい男と知り合ったとかないの?」
「やばい……ですか……」

 抽象的な問いかけに首を傾げるが、三人の発言を鑑みるに自分がその「やばい男」のせいで囲まれているのはわかる。

「誰かに想いを寄せられているのでは?」

 微笑むジェイド先輩は楽しそうにいうが、生憎そんな記憶はない。

「えっと……学園外の人って言うならさっきまで学園長の知り合いの男性を紹介されてました」
「……何故」

 レオナ先輩の手に少しだけ力がこもるがすぐに緩まり、ようやく持ち上げられていた手首が下ろされる。

「養父になってくれる……って言われて」
「は? 養父……?」

 私の言葉が意外だったのか、目を見開いたレオナ先輩は何度か瞬きを繰り返すので私は補足するようにそのまま口を開く。

「先日たまたま麓の街で知り合った方が学園長のお知り合いだったみたいで二人で校内をまわってるところにばったり出会って、学園長が私の在校理由を説明したら良ければ養子縁組をしないかって……」

 諸事情、という都合のいい言葉をふんだんに使って説明された私の身の上話にその人は特に疑問は持たなかった。
 ただ足元から頭のてっぺんまで値踏みするようにずっと見られて、帰る宛がないという学園長の言葉に一言「ほう」と呟いた。

「あ、そうか。その人の香水の匂いですか……? なんだか独特の香りがして、私はちょっと苦手だなって思ったんですけど……一緒にいたからうつっちゃったのかな」

 何度目かわからないが自分で自分の匂いを嗅ぐ。
 やっぱりわからなくて首を傾げた私がレオナ先輩を見れば先輩は黙って首を左右に振った。

「ただそれだけなら俺たちが雁首揃えてお前を囲んだりするはずないだろ」

 頭を抱えるように前髪をかき上げたレオナ先輩の頭上で可愛い耳がぴくぴく動く。それを見つめていると正面の席からジェイド先輩のクスクスという笑い声が聞こえてきた。

「メイさん、先ほども僕は言ったはずですよ」
「さっき……?」
「このままじゃ小エビちゃんそいつに良いように喰われるってオレたちは言ってんの」
「喰われる……? あの、でも私その話は断ろうと思ってて……」
「そんだけ臭い付けられて何言ってんの? 俺らみたいのが本気出したら小エビちゃんの意思とか関係ねーの」

 なぜわからない。そんな視線を向けられて何度か瞬きを繰り返した私は困り果ててレオナ先輩に視線を戻す。
 匂いという情報でレオナ先輩たちはいったいどんなことを理解したんだろう。
 私にはやっぱりわからなくて首を傾げることしかできない。
 ただわかるのは、養父候補として名乗り出てくれた人が良く思われていないということ。
 少しの沈黙の後、レオナ先輩がようやく私を見てくれた。まっすぐ私を見つめるサマーグリーンが何度か揺らめいてから伏せられて、またその姿を見せる。

「確かに俺たちの言う『匂い』は香水のことも含まれている。だが、問題なのはそれ以上にお前に染みついてる男の匂いだ」
「男の……?」
「普通ただ一緒に居ただけでそんなに匂いは移らねぇ。それが普通なら常にいろんな野郎と行動してるお前の傍を俺は心配で心配でおちおち離れられなくなっちまうだろ」

 わざとらしくにやりと笑ったレオナ先輩は私の不安を紛れさせようとしてくれてるのかもしれない。

「…そう、ですね」

 苦笑で返せばレオナ先輩の大きな手が私の頭を一撫でして、私たちのやりとりを黙って見つめたジェイド先輩が口を開く。

「例えばそうですね……。やけに距離が近かったとか、挨拶と称して抱きしめてきたとか、そういった接触はありませんでしたか?」
「いいえ。紳士的なおじさまで握手をしたくらいです」
「マジで? 絶対おかしいって、小エビちゃんを狩ろうとしてんのバレバレってくらい匂いついてんのに」

 じっと私を見つめるフロイド先輩は首を傾げるけど私には本当に身に覚えのないことだ。

「あっ、でも……」

 一つだけ思い出したことがある。

「学園長がやたら繰り返し言うんです。『よく彼のことを見るように』『しっかりと見定めてくださいね』って」

 もちろん学園長にも流石に唐突すぎるお話だからお断りするつもりと言った。
 でも彼はただ笑いながら何度も念押しするように繰り返すだけでそれ以上のことは言ってくれなかった。

「見定めろ? お前は断るってハッキリ言ったんだろ。なら何を見定めろって言うんだ」
「さあ……」

 答えの出ない問いに頭の中を支配された私たちは揃って首を傾げることしかできない。

「その話、続きはVIPルームで僕も交えてさせていただいてもよろしいですか?」
「アズール先輩……!」

 突如頭上から声が降り注ぐ。顔を上げれば私たちが囲んでいた四人席を見下ろすアズール先輩と目が合った。

「メイさんに話を持ち掛けた男のことを僕は知っています」
「何?」
「と言っても、長者番付などで一方的に知っているだけですが」

 すぐに喰いついたレオナ先輩を遮るように続けたアズール先輩は肩を竦める。

「長者……そういえばかなりの資産家だって学園長が」
「ええ、世界でも指折りに入るはずです。陸を制した人魚として界隈ではとても有名な方ですよ」
「あの人、人魚なんですか……?」

 人魚が陸にいることに疑問はない。けれど、そんなことは一言も教えてくれなかった。

「なんで養父になるって持ち掛けて来たくせにンなことも聞かせられてないんだよ……」
「だ、だって……」

 教えてくれなかった、は流石に言い訳が過ぎるだろうか。
 顔をしかめたレオナ先輩はため息をつくと立ち上がるように促しているのか私の背に手を添える。

「お前に聞くよりタコ野郎に聞いた方が早そうだ」
「判断が早くて助かります。もうそろそろ営業開始時間ですので、あの部屋の方がなにかと都合がいいでしょう? それにメイさんには一度シャワーを浴びてきてもらった方が良い。服もお貸ししますのでまずはVIPルームへ移動しましょう」
「あ、はい……」

 私が立てば続けてレオナ先輩、そしてフロイド先輩とジェイド先輩も席を離れてアズール先輩に続いてVIPルームに向かって歩き出す。
 その途中、逞しい腕が伸びてきて私の肩を抱き寄せる。レオナ先輩は真剣な眼差しでアズール先輩の背を見つめ、時折喉がぐるぐると鳴る。

 ただ断ればいいと思っていた話がどんどん大きくなって、完全に自分の手に負えなくなることをこの時の私はまだ知らなかった──。

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