02
「こちらを」
オクタヴィネル寮のシャワーを借りてモストロ・ラウンジのVIPルームに戻ってきた私と使用中に他の人が入らないよう見張ってくれていたレオナ先輩がソファに腰を下ろすとスッとアズール先輩の長い指が開かれた雑誌を指差す。
インタビュー記事と共に掲載されているのは今日も一度顔を合わせた男性の写真。
「ハーネス・マッケン。メイさんがおっしゃる通り資産家です。彼は僕らと同じように若いころに国の支援を受けて陸に上がり、その商才を活かして今では自分の力ですべてを思うがままにしています」
レオナ先輩はその姿を焼き付けるためか雑誌を食い入るように覗き込み、その隣に座る私は当然のように彼のことを語りだすアズール先輩に疑問を投げかけた。
「どうして私が会ったのがこの人だって知ってるんですか?」
「成功者の体験というのはとても参考になるんです。学園内で彼を見かけたという噂を聞いて僕は直接会おうと探していました」
「ハッ、参考にしたかったんじゃなくてコネを作りたかっただけだろ。ざっと目を通しただけでも随分な大物だ」
鼻で笑って踏ん反り返ったレオナ先輩が背もたれに思いっきり身をゆだねるので釣られて私の身体もソファに沈む。
良質なソファに座り慣れない私と違ってレオナ先輩は居心地がよさそうだ。アズール先輩が拘って選んでいるだけあってきっと値の張るものに違いない。
私がソファに弄ばれている間にアズール先輩はレオナ先輩の言葉に首を横に振る。
「偉大な先人に敬意を持っていると言って欲しいですね。と、言っても彼には逃げられてしまったのですが」
「そうなんですか?」
アズール先輩にしては珍しい。何がなんでも接触を図りそうなのに。
「あなたと話し終えると彼はもう用はないと言わんばかりに早急に帰っていったんですよ。呼び止める暇もありませんでした。彼のビジネスパートナーは他種族に渡るので是非ご教授願いたかったのですが……」
残念そうに肩を落とすアズール先輩は本当に悔しそうだ。
「そのビジネスというのは具体的には何をしているのですか?」
「輸入取引が主だとか。ああ、ほら……ここにも自分の船を何隻も持っていると書いてある。確か、豪華客船も所有していて船上パーティーを定期的に開催しているらしいですよ」
ジェイド先輩の疑問に答えながらアズール先輩は雑誌を何ページか捲るとインタビューの注釈を指差す。
小さな文字の隣にはその船の内装なのか煌びやかなホールの写真が添えられている。
「そこまでのやり手ならば夕焼けの草原の王室との交流もありそうですね」
ちらりとジェイド先輩がレオナ先輩を見ればため息が返される。
「生憎、第二王子はそういったこととは縁遠い。兄貴なら何か知ってるかもしれねぇが、わざわざ口を挟まない限り俺にそういった話はまわってこねぇよ」
片眉を上げて目を眇めたレオナ先輩は口角を上げながら背もたれに寄りかかると「だが」と付け足す。
「キファジからなら何か聞きだせるかもしれねぇな」
タマーシュナ・ムイナでお世話になった老紳士の姿が脳裏をよぎる。夕焼けの草原の王族に仕える侍従長でレオナ先輩のことを幼少から知っている人だ。
ポケットからスマホを取り出したレオナ先輩は暗いままの画面を見つめてため息をつく。
「だが簡単に情報を吐く野郎じゃねえ」
「そうですよね……。今のところやけに私に匂いが移ってるってだけですし……」
そんなことで情報を求めてもキファジさんは何も教えてくれないだろう。
「ってか、こいつがなんであれ話が本当なら小エビちゃんに匂いが移ってるのおかしくね? よっぽど密着でもしない限りあんなに移るわけないしさ」
確かに。ハーネスさんの近くにはいたけれど握手以上の接触は一切していない。なのにどうしてシャワーを浴びなければ落とせないほど彼の匂いが私にうつってしまったんだろう。
フロイド先輩の疑問に全員が口を閉ざすとアズール先輩が沈黙を破るように首を横に振る。銀色の髪を揺らしながら眼鏡の奥でスカイブルーの瞳が煌めく。
「それも含め今後の調査課題と言ったところですね」
「調査……ってただお話をお断りすればいいだけなんじゃ……」
「それで終わる相手ならばいいですが人魚はとても執念深い生き物なんです」
クスクス笑いながらジェイド先輩が目を細める。
「マジで小エビちゃんを狙ってるならあの手この手で言いくるめようとしてくるかも。やばい奴なら力づくってのもありえるし」
「そんな……」
「人身売買……なんて線もありえますからね。あなたのような身寄りのない女性なら足が付きにくい」
「わ、私売られちゃうんですか……⁉」
「例え話ですよ。商売というのは綺麗なものばかりではない。あくまで妄想の範囲を出ませんが空想なら資産家の裏の顔としてはよくある話じゃないですか?」
「レオナ先輩……」
思いもよらない言葉にプレイフルランドでの出来事が頭を過り自分だけではどうしたらいいか判断がつかない。震えながら隣で黙ったままのレオナ先輩にしがみつけば、何か考え事をしているようで片手で顔を覆ったまま動かない。
「……先輩?」
注意を引くために裾をくい、くい、と何度か引くとようやくレオナ先輩の瞳が私を映す。
「……面倒だが、人魚に関することだ。俺よりもコイツらの方が手に入れやすい情報もあるだろう」
「流石レオナさん、あなたならそうおっしゃってくれると思っていましたよ!」
渋々といった様子でレオナ先輩が零すと途端にアズール先輩が勢いよく頷いた。
「ただし対価は払わねぇからな。テメェらが勝手に首を突っ込んできてるだけだ」
「対価だなんて、そんなもの頂くわけがないじゃないですか! 僕たちはただレオナさんの大切な恋人であり、可愛い後輩のメイさんが悪い大人の歯牙にかからないよう慈悲深い心で手を差し伸べているだけ……!」
堰き止められていた水が一気にあふれ出すようにアズール先輩の開いた口はすらすらと止まることを知らないように言葉を紡ぎ、レオナ先輩の頭の上では音を拾うたびに可愛らしい耳がぱたぱた動くがぐっと何かをこらえるように先輩が目を閉じるとやがてぺたりと倒れてしまう。
「胡散臭い御託を並べるな。テメェがなんの利益の見込みもないまま面倒ごとに首を突っ込むはずがないってのはわかってンだよ」
苛立ちを隠そうとしない声にアズール先輩はわかりやすく肩を竦める。
「信頼していただいていると受け取っておきましょう。もちろん。僕にも得があると見込んでの申し出です。その方が信頼していただけるのでは?」
「……まァな」
「なら契約成立ということで。何か情報が入り次第我々にも共有願います。もちろん、フロイドとジェイドにはメイさんの周囲でおかしなことが起きないよう警戒させます」
よろしいですね、と私に向かって問うアズール先輩に頷きで答えれば彼は笑顔を浮かべる。その一方でレオナ先輩が隣でため息をついたが味方は多い方が心強い。レオナ先輩もそれがわかっていて止めないんだろう。
「なんだか楽しいことになってきましたね、フロイド」
「退屈はしなさそうかも」
満足そうに笑みを浮かべるアズール先輩の後ろで相変わらず双子の瞳がギラギラと輝いていた。
◇◆◇
「……ってことがあって」
翌日、オンボロ寮に泊まりに来たエースとデュースにモストロ・ラウンジで言われたことを説明する。
もちろんグリムには昨日既に話しているので彼は大人しく私の膝の上で驚く二人を見つめていた。
「いや、ってことがあって〜なんて軽いノリの話じゃなくね⁉ アズール先輩たちまで警戒するってマジでヤバイやつじゃん!」
「そのハーネスって人がメイを売るために狙ってる……ってことでいいんだよな⁉」
「二人とも落ち着いて……! あくまで予想だから! ……先輩たちはそう思ってないみたいだし、私も……本当はちょっと怖いけど」
現状はただ私から濃い彼の匂いがした。それだけ。……それだけの話でしかない。
それでも、彼らは『それだけ』で信用してしまえる程の実力者であることも事実。
私もレオナ先輩たちがあまりにも警戒するのでハーネスさんのことを考えると怖いと思ってしまうようになっていた。
元々話自体は断るつもりだったので問題ないが、正直次に会う時怪しまれてしまいそうなほど彼のことが怖い。
「匂いって言われてもピンと来ないけど……いきなり養父になりたいって話は確かに胡散臭い。普通にありえないっしょ」
「そもそもメイはどうしてその人と知り合ったんだ?」
「麓の街で迷ってたの。ほら、少し入り組んだ路地のところがあるでしょう? 裏道って言うか……」
「あー、雑貨屋とかある場所?」
「そうそう」
初めて会った時ハーネスさんはきょろきょろと周りを見渡してとても困っている様子だった。商談のために行かなければならない場所があるのに目印になる建物を見失って、地図を書いた紙も失くしてしまったと言っていた。
「そういえばあの日はハーネスさんに会った後ジャックにも偶然出会ったけど何も言われなかったな……。それにグリムも一緒に居たし」
「ハーネスって奴からは甘い香りがしたけど、子分から変な匂いはしなかったんだゾ」
アーモンド形の大きな瞳で私を見上げるグリムは鼻で大きく息を吸い込むと首を振る。
ジャックとグリム、二人の鼻が利く人物と接触したのになんの指摘もされなかったのだからあの日は私からレオナ先輩たちの言っている匂いはしていなかったと思っていい。なら、何故昨日だけ特殊な匂いが私に移ってしまったのだろう。
「とにかく、しばらくは注意しなきゃだな。安心してくれメイ。僕のマブには絶対手を出させないから」
「ありがとうデュース。あ、でも本当に偶然かもしれないから他の人には秘密にしてね」
「秘密……? でも、前の騒動みたいにいろんな寮で協力してメイを一人にしないようにした方が良いんじゃないか?」
前の騒動……学園に不審者が入り込んだ時のことを言っているんだろう。
確かにあの時はレオナ先輩やサバナクロー寮生を中心にクラスメイト、ハーツラビュルの先輩たち……とにかくいろんな人が私のことを心配して守ってくれた。
「ううん。もしかしたら私たちの勘違いって可能性もあるし、もう一度しっかりお断りすれば自然と終わることかもしれないじゃない? だから、そこまで大事にしたくないの」
ハーネスさんが何故私に興味を示したのかはわからない。本当にただの同情なのかもしれないし。裏があるのかもしれない。怪しむきっかけが匂いという漠然的なものしかない以上慎重になるべきだとレオナ先輩も言っていた。
レオナ先輩は可能性の話というより、相手を下手に刺激するべきではないと考えているようだったけれどそれに関して私も同意見。藪を突いて蛇を出したくはない。
「あ、そうだ。今日は後からレオナ先輩も来るんだけど本当にいいんだよね?」
「事情が事情だしなー。その人がまたやってきたーとかなったらオレらだけで上手く対処できるとは思えないからレオナおじたんが居てくれた方がオレらも安心っていうか」
「キングスカラー先輩は何時ごろ来るんだ?」
「部活が終わったら来るって。本当はサボろうとしてたみたいだけどラギー先輩に見つかっちゃったってさっき連絡が来てたの」
「ホントだ。ってかレオナ先輩ってスタンプ使うんだ……」
二人にマジカメに来たレオナ先輩からの連絡を見せる。
いじけたライオンのスタンプは私が可愛いんですよ、と見せたらその場で迷わず購入してくれたものだ。
「ふふ、可愛いでしょ」
「メイを通すとレオナ先輩のイメージが微妙に崩れていくんだよなぁ」
「それどういう意味?」
肩を竦めたエースは黙って首を横に振る。褒められている気はしないけど、私しか知らないレオナ先輩がいるんだと思うと少し気分が良かった。
「もっと教えてあげようか!」
「遠慮しとくー。それよりゲームしようぜ」
「よしこの間のリベンジさせてもらうぞ……!」
「はいはい、オレがまた圧勝してやるから精々頑張って」
「なんだと……!」
「二人まとめてボコボコにしてやるんだゾ!」
いつもテレビにつないだままのゲーム機の前に三人は一斉に移動した。
それぞれがコントローラーを握りしめ、ああでもない、こうでもないと遊ぶゲームを選ぶ姿を後ろから見つめながら肩を竦めた私はそこに参加する前に飲み物とお菓子の準備をするべくキッチンへと向かった。
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