01


○月×日
 不思議な世界に迷い込んでしまった。『ツイステッドワンダーランド』と言うらしい。
 私がいつまでこの世界に居ることになるかはわからないけれど、知らないことが多すぎるので目まぐるしい日々の中、感じたことを忘れてしまわないように今日から日記をつけることにした。
 
◇◆◇

 月明かりが差し込む室内、デスクライトの小さな明かりで手元を照らし、今日の出来事を文字として連ねる。この世界に放り出されてから習慣になった夜のひとときを芽唯は割と気にいっていた。
 サムの店で安価で売っていた可愛らしい日記帳は女性向けデザインをあしらった鍵付きのもので、グリムが悪さをしたことやエースとデュースが教師に二人そろって叱られたこと、オーバーブロットした生徒を鎮めたあの日のこと……。監督生として過ごし始めてから芽唯が感じたことの全てが記されている。
 知らない言葉で溢れた世界を覚えるのに文字として残して置くことが芽唯にとっては一番わかりやすかった。体験したどの出来事も衝撃すぎて忘れることなど無いに等しいが、たまにしか聞くことがない単語は時折思い出せなくなることもあるのでメモ帳としての役割も担っている。
 今日の日記が途中で行き詰まってしまった芽唯はふと過去の自分と向き合いたくなり、だいぶ分厚くなったそれを最初の方から読み返し始めた。
 グリムの寝息をBGMに一枚、また一枚と捲る日記には途中からある人物の名前が多く出てくる。それはサバナクロー寮長、レオナ・キングスカラー。夕焼けの草原の第二王子でもあるその人は、何を思ったのか芽唯をやたらと傍に置いた。
 記された古い日付を指先でなぞりながら、芽唯は彼と初めて出会ったあの日の出来事を思い返す。
 グリム達と栗を拾う為、植物園を訪れた芽唯が気持ちよく寝ていたレオナの尻尾を思いっきり踏みつけてしまったのがすべての始まりだった。 
 当然彼は激怒し威嚇してきたが、そんな彼の圧とは裏腹にふさふさと可愛いらしいそれを見て、猫の尻尾を踏んでしまったような罪悪感から「なんでもします」と口に出してしまったのが運の尽きだった。
 その翌日にはラギーの代わりに昼食を用意する羽目になり、今では時折夕飯までふるまうことになってしまった。
 苦痛かと言われればノーだし、最悪な出会いだったとはいえ、咄嗟にあんなことを言わなければここまで彼と親密になることはなかっただろうから今では自分の軽率な発言に感謝すらしている。だが、間違いなく悪印象だったと言えるだろう。

 懐かしい日々を捲りながら、初めの頃は隣に座ることすら躊躇していたという過去の自分に思わず笑みがこぼれる。
 レオナの名前が文章内に増えるほど彼との距離が縮んでいく。

 彼が料理を褒めてくれた。
 彼が笑った。

 芽唯の日記はどこまでもレオナで溢れている。

 ───そう、芽唯はレオナのことが好きだった。
 
◇◆◇

□月○○日
 何を書こうかとても悩む。いつのまにか驚きばかりだった毎日が当たり前になってしまって、特筆すべきことが特に思い浮かばない。
 せっかく平和に一日を終えられたのに「日記のネタに困っちゃうな」と感じたのはこの世界での暮らしに慣れてきた証拠かもしれない。

 ……久しぶりに日記を読み返してみた。みんなと友達になった日のことは目を閉じれば簡単に思い出せると思っていたけれど、こうして読み返してみると忘れていたこともあった。やっぱり日記をつけるのって大事。
 それにしても私の日記、途中からレオナ先輩の名前が出てくる頻度が凄い。
 先輩には絶対に見せられないな……。

◇◆◇

「遅くなりました!」

 昼食の入ったバスケットを片手に植物園へ飛び込むように入室すると彼の縄張りに慌てて駆けよる。木にもたれかかって眠っていたレオナはゆっくりと体を起こすと特にお咎めもなく、片眉を上げてこちらを見ると小さく欠伸をしながら芽唯に声をかけた。

「なんかあったのか」
「グリムが授業中に鍋をひっくり返しちゃって……」

 大惨事、なんてものじゃなかった。
 完成直前だった薬物が沸騰したまま床にぶちまけられ、周囲の生徒は蜘蛛の子を散らすかのように芽唯とグリムから離れていくし、カンカンに怒ったクルーウェルから清掃はもちろん、次回の授業で使う薬草の採取まで言いつけられてしまった。

「なので私はお昼食べ終わったらお暇しますね」
「あ? なんでだよ」
「なんでって、だから……」

 道中、急いで借りてきた薬草図鑑を鞄から取りだそうとするが、レオナの手によって顔を出すことなくそれは鞄に戻された。

「一緒に探してやる。そうすりゃすぐ終わるだろ」

 だからんなもん必要ねぇ。そう付け足すとレオナは早く飯食うぞ、と急かしてくるものだから芽唯は慌てて腰を下ろすとバスケットの中身を広げ始める。
 今日は良いお肉が入ったからとサムに勧められたので肉を贅沢に使ったレオナが喜びそうなメニューだ。それなりのお値段だったが、こうしてレオナに振舞う食費はすべて彼持ちで、値段は気にするなと言われていることもあり甘えてしまったが、既に満足げに食べているし許されるだろう。

「怪我は」
「え?」
「ぶちまけたんだろ、かかったりしなかったのか」

 バスケットから次々にサンドイッチを取り出し、挟まれた肉の多さに満足そうに舌鼓を打っていたはずのレオナが芽唯をてっぺんからつま先まで穴が開くほど見つめている。
 本当に心配してのことなのだろうが、好きな人にそんなじっくり見つめられるのに耐えられず、芽唯はぱたぱたと顔の前で手を動かして恥ずかしさを誤魔化すように笑みを浮かべた。

「だ、大丈夫です! 隣にいたジャックが咄嗟に引っ張ってくれて」

 でなければ頭からかぶっていたかもしれないが、機転の利く友人には感謝しかない。芽唯の言葉にレオナはふぅんと目を細めると、彼女のスカートの端を指さした。

「しっかり洗濯しとけよ」
「あ……。ごめんなさい。薬品臭いですか?」
「別に」

 わずかにだが付着していたそれを一瞥すると、レオナはいつのまに食べ終えたのか次のサンドイッチへと手を伸ばす。

「早く食っちまえよ。探すんだろ、薬草」
「は、はい!」

 促されて手を伸ばせばバスケットの中身は既に三分の二は消えていて、食卓は戦場なのだと芽唯は息を飲んだ。



 レオナは大層気に入ったのか、サンドイッチ達は僅か二切れを残してすべて彼の胃の中に消えていった。
だが肉のボリュームからか、その二切れで芽唯のお腹はすっかり膨れ上がって満腹感を得ることが出来た。あまりにもちょうどいい量に、まさか計算していたのでは?とも思ったが、芽唯の胃の許容量など彼が知るはずもないので恐らく偶然だろう。
 芽唯が片付けを終えるとレオナは立ち上がり、スッとこちらに向かって手を伸ばしてくる。すっかり見慣れたしぐさに黙って手を乗せれば優しく引き起こされる。別に手を付けば自力で立ち上がることも出来るというのに、女にそんなことはさせられないと否定されたのはいつのことだったか。

「それで、何を探すんだ」
「メモを貰ってます。次は難しい授業らしくて、真実薬を作るとか」
「あァ、それならメモはいらねぇ。レシピなら頭に入ってる」

 メモを渡そうとするが、やんわりと断られたのでポケットに戻してレオナの後に続いて歩き出す。
 先輩だし、既に受けたことのある授業だとは思ったが、まさかレシピまで記憶しているとは思わなかった芽唯はやっぱりすごい人なんだと改めて思いながらその横顔に問いかける。

「どんな薬なんですか、真実薬って」
「名前の通りだよ。ようするに自白剤ってところか」
「あぁ……なるほど」

 そんなもの学校で作ってしまって良いんだろうか……。割と恐ろしい響きに芽唯は視線を彷徨わせる。
 そんな芽唯の様子に気付いたレオナはクッと笑うと、いまだ握ったままだった彼女の手を引き寄せた。途端に縮まった距離に軽く心臓が跳ねた芽唯だったが、ニンマリと笑うレオナに別の意味で心臓の鼓動が激しさを増す。

「怯えるほどのもんでもねぇよ。学生の作れる薬のレベルなんてたかが知れてるし、効力の強いもんは授業で揃えるような安価な材料じゃ作れねぇ」
「そう、なんですか……。でも、誰にでもあるじゃないですか。隠しておきたいことの一つや二つ。そういうのを強制的に吐き出させるのってやっぱ怖いなって」

 例えば今の自分の気持ちみたいに。

 なんて言葉は流石に言えずに飲み込んだがレオナの反応がない。

「………」
「レオナ先輩……?」

 黙ったままレオナが急に立ち止まるので芽唯も自然と足を止めた。目的の薬草が近くにあるのだろうか。見渡してみても見当が付かず、彼の顔を覗き込むがレオナにそれ以上動く気配はなく、不思議に思い掴まれたままだった手を握り返した。
 するとゆっくりと首を動かし、自分を見下ろすサマーグリーンの瞳と目が合った。深い緑に自分の心の奥まで見透かされそうで、思わず目を逸らしてしまう。

「お前にもあるのか、知られたくないこと」
「……人並みには」

 貴方のことです。
 ──素直にそんなこと言えるわけもない。

 なんだか居心地が悪くて手をほどこうとするが許してもらえず。それどころか、強く握り返してきて芽唯は眉尻を下げた。
 深く追求されるかとも思ったのだが、意外なことにレオナはそれ以上は何も言わず「そうか」と呟くとまた歩を進めたので、芽唯も引かれるまま彼についていった。

◇◆◇

□月○×日
 グリムのせいで酷い目にあった。
 私の監督不行き届きが原因と言われればそれまでだけど、突然思い付きで材料を追加しようとする彼を止められるなら是非その人にコツを教わりたい。

 授業でもひやっとしたが、植物園ではもっと肝が冷えた。

 まさかとは思うけれど、レオナ先輩は私の気持ちに気付いているんだろうか。
 それは困る。絶対に言えないからこうして毎日日記に書き綴っているのに。

 お願い、レオナ先輩。どうか気づかないで。

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