終章
何度も騒ぎを巻き起こした芽唯の獣人化はレオナの読み通り一週間で終わりを迎えた。
彼とお揃いの耳と尻尾は八度目の朝を迎えた時にはすっかり消えてなくなっていたらしい。
あるべき姿を取り戻した芽唯は、自分の顔の横にある耳を触りながら「なんだか聞き取りにくいですね」と少しだけ寂しそうな声で呟いた。
木漏れ日が差し込み、午後特融の温かい日差しが降り注ぐ。
芽唯とラギーは二人でいつもの定位置で食事を始めているが、そこにレオナの姿はない。
「つい最近もありましたね。こんなこと」
「今日は元から予定してた寮長会議ッス」
「あれ? そうなんですか?」
「なんであの人メイくんに自分の予定伝えないかな……」
いや、レオナのことだから寮長会議に参加する気なんてなかったのかもしれない。
会議に出席させるべく捕まえたとき露骨に嫌そうな顔をしていた気がするな、とつい先ほど鏡の間に送り出した背中を思い出す。
「ラギー先輩、あの……」
「ん?」
あの日と違い、今日は自分で用意した弁当をつついていた芽唯が眉をハの字に下げて己を見つめる。
また相談事かと思ったが、薄っすらと桃色に染まる頬を見るに違うらしい。
「色々、ありがとうございました」
「オレは別に何もしてないッスよ」
「そんなことないです! 内緒にしてくれるって思ってたのに話しちゃうなんて意地悪だなって思ったけど……そのおかげでレオナ先輩としっかりお話出来たんです」
にっこりと笑いながら頭を下げる芽唯。
その様子を見る限り、もう彼女の声が不安げに揺れることも、小さく萎むように消えていくこともないだろう。明るく、弾むような声が耳に心地いい。
受け慣れない取引抜きの礼の言葉にむず痒さを覚え、照れ隠しをするようにおかずのからあげをフォークで一つ持ち上げ口に運ぶ。レオナと芽唯、二人で食べるには少し多い気がする山がラギーの手で少し崩れた。
今日はたまたまご相伴に与っているが、いつもなら食べることを許されない芽唯の手料理。獅子の居ぬ間に後二、三個くらいなら頂いてしまってもバレないだろうか。
ラギーが自分の手料理を満足そうに頬張っているのを見た芽唯は、口元に手を当て小さく笑う。
「実は今日のお昼ご飯、いつもより多めに作ってあるんです。当分来なさそうですし、いっぱい食べてくださいね」
「本当ッスか⁉ ラッキー!」
「私が先輩に出来るお礼って言ったらお料理くらいしか思い浮かばなくて……。あ、でもこれ材料費はレオナ先輩出しなんですよね……。ってことは先輩からのお礼になっちゃう?」
こてんと首をかしげてはうーんと唸る芽唯。
「メイくんの相談がきっかけだったけど、レオナさんも良い思いしたんだから、それで丁度いいんスよ」
「そう、なんですかね?」
「そうそう、なんで遠慮なく戴くッス!」
次々とラギーの口の中に消えていくおかず。あまりの勢いに芽唯は目を丸くすると笑みを浮かべた。
「そんなにお腹減ってたんですか? レオナ先輩が来る頃にはなくなっちゃいそう」
想定していた何倍もの速さで崩れていく山。芽唯の心配する通り、寮長会議が通常通りの時間行われればレオナが来る頃にはその姿は影も形もなくなっているだろう。
「飯の時間に遅れるからそうなるんスよ。せっかく美味い飯が目の前にあるんだから、食べれる時に食べとかないと」
男子校であるナイトレイブンカレッジで、彼女の手料理なんて本来ならありえない激レア品を毎日食べているレオナへの嫉みのようなものがもちろんあるのだが、それを芽唯にぶつけても仕方がないことだ。
それに、必死に止めないということは例えこの山が崩れ去ってもレオナの分はある程度保証されているということ。恐らく、彼女の後ろにある弁当包みがそうだろうとラギーは検討を付けていた。
「ふふ、じゃあ私もいっぱい食べちゃおうかな」
二人の採掘隊がからあげの山を切り崩し終わるころ、漸く現れたレオナが空っぽになりかけた弁当箱を見て不機嫌になったのは言うまでもないだろう。
◇◆◇
報酬をしっかり受け取りはしたが、レオナと芽唯の関係が進展したのかと問われればラギーにはいまいちわからなかった。
別に自分が介入することで劇的な変化が起きるなどとは思っていなかった。多少距離は以前より縮まったとは思うが、彼女から特別レオナの匂いが濃くなったとか、それこそ誰かがキスしている場面を目撃したなんてことも特になかった。
それでも嬉しそうに芽唯は笑う。
赤く染まった頬、照れたように浮かべる笑み、レオナとの間に起きた何かしらの変化が彼女を喜ばせているのは間違いない。
恋人同士の蜜事だ。自分たちの目が届かない所でひっそりと行われている可能性も十分あったが、それとなくレオナに聞いてみたところ、あの日触れたのは本当に獣の耳と尻尾だけで、それ以上深くは彼女には触れていないという。
今もサバナクロー寮の談話室で肩を並べて滝を眺める二人の影が重なる……なんてことはない。
目の前でいちゃつかれても目の毒以外の何物でもないので遠慮願いたいが、あまり達成感が得られていないのは確かだった。
「あの二人、あんま変わってないですよね」
「ジャックくんもそう思う?」
「はい……。でも、あいつは笑ってることが増えた気がする」
「オレもそう思う」
靴を脱いで片足を水に浸ける芽唯の体を支えるレオナ。そんな二人の様子を少し離れた席に座りながら見ていたラギーとジャックはお互い同じような疑問を抱えているようだ。
水の冷たさにはしゃぐ芽唯を見て、愛おしそうに微笑むレオナの姿はサバナクロー生ならばすっかり見慣れていて、誰も気に留めない。
「二人になっちまう……か」
「は?」
「あぁ、いや。夕焼けの草原にはそういう童話があるんスよ」
そういえばこの後輩は同郷の出身ではなかった。
不思議そうに首をかしげるジャックに、どこから説明しようかとラギーは首を捻る。
「恋をしたら二人になっちまう、ってオレも昔は意味が分からなかったんスけどねぇ」
詳しい歌詞は思い出せない。それでもあの童話は確かに歌っていた。恋をする二人を包む全ては魔法に満ちていて、それこそレオナと芽唯のように談話室ですらも二人きりの世界に変えてしまう。
「あの二人を見ていたら、なんとなく意味が分かってきたというか」
いつも自分達の中心に立って導いてくれていた王様が、唯一無二とも呼べる愛しい人を見つけたことは喜ばしい。だが、そこに生まれるほんの少しの寂しさを、きっとあのイボイノシシとミーアキャットは歌っていたんだろう。
「オレは嫌な感じとは思わないけど」
愛だなんだと歌っていて理解できる日が来るとは思っていなかった歌詞が今は心にストンとハマる。
「……よくわかかんねぇけど、俺もあの二人が並んでて嫌な気分はしねぇ」
いつのまにかフチに腰を掛け、両足を水に浸けた二人。芽唯はレオナの肩に少し遠慮がちに頭を乗せている。
そんな後ろ姿を見つめていると、そこにあるはずがない二つの尻尾がお互いを離すまいと絡み合うのが見えた気がしてラギーは目を細めた。
「ジャックくん、オレはね。メイくんには悪いけど、元の世界への帰り方なんて一生わからなければいいと思ってるッス」
恋を知って変わっていくレオナ。彼女を失ったらどうなってしまうのか、なんて想像もしたくない。
自分の言葉に複雑そうに眉間に皺を寄せたジャックを見て苦笑する。きっと、誰だって想い合う二人を引き離したいとは思わないだろう。それでも、彼女に帰る世界があることは生涯変わることがない事実。
「けど、そのことについて悩んだり考えたりするのはレオナさんの役目なんスよ。オレは指示通り動くだけだし、報酬次第でなんでもするッス」
帰すつもりはないと言い切ったレオナ。引き留めて欲しいであろう芽唯。そこにレオナに協力する自分が加わったら本当に彼女の帰路は断たれてしまうのだろう。
それでも、その先に幸せがあると信じて突き進む。
少し歪で、歪んだ愛だと思わなくもないが、自分達にはそれくらいが丁度いい。なにせ、この世界はツイステッドワンダーランド。捻じれた世界に迷い込んだお姫様には相応しい。
「愛の対価は元の世界、なんて悪役オレ達らしくていいじゃないッスか」
手放すものと同等の……いや、それ以上の愛をきっとレオナが注ぐ。足りないなんて言わせない。
その裏で走り回るハイエナの姿を見て、彼女もきっと笑うだろう。
報酬次第で何でも請け負う、現金なラギー・ブッチより愛を込めて。
願わくば二人の愛が永久に続いて、甘い汁をとことん吸わせてもらえますように!
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