序
窓の外で星のように何かが光った。
ほんの一瞬の出来事だったが、まるで導かれるようなタイミングで顔を上げた芽唯の瞳にそれは流星のように飛び込んだ。
気が付いたときには握っていたはずのペンがコロコロと手元から転がり落ち、自由になった右手がパタリと日記を閉じる。
急いで窓に駆け寄って背伸びまでして外を覗き見るが、光の正体は掴めそうにない。だが光が灯ったのは恐らく植物園の方だろうと目星は付いた。
夜も更け、ゴースト達が活き活きとする。そんな時間。出歩くのは憚られる。
けれど困った。とっても気になる。こんな夜中に浮き足立った心を止める権利を握っているのは眠気かベッドへと手を引く恋人くらいだろう。
前者は先程流星の如く吹き飛んでしまったし、残念ながら後者を作る予定もない。
あぁ、どうしようと悩むように数回時計と見つめ合ったが好奇心を抑えることに失敗し、伸ばした右手で掴んだ上着だけを抱えてオンボロ寮を飛び出した。
どうせ今大人しく布団の間に身を挟んでも気になって眠れないのは明白だ。だったら気になるものを見に行った方がよっぽど有意義に違いない。
そんな風に自分に言い訳を繰り返しては階段を駆け降り、玄関を出る。
故郷であれば草木も眠る丑三つ時と呼ばれる時間。急に扉が勢いよく開けば寝静まっていたゴーストだって飛び上がる。駆ける四肢に合わせて息を弾ませていると後ろから真っ白な家族たちが慌てて追いかけてきた。
「どこに行くんだい?」
「感心しないなぁ。悪いゴーストに出会ったらどうするんだ?」
「ちょっと植物園に行くだけだから」
ちょっとだけなの、何度もちょっとちょっとと繰り返せば「これは困った」と一体のゴーストがない肩を落とす。
「風邪をひいたらどうするんだ」と指摘されるのと同時に冷たい風が肌を突き刺し身体が震える。
ゴーストの言う通り、もうすぐ春とはいえ少し肌寒い。早足で植物園へ向かいながら上着に袖を通していると足を止めない芽唯に呆れたのか、一番ふっくらとしたゴーストがため息混じりに口を開いた。
「獅子の王子様に怒られても知らないよ」
「わしらは問われたら隠さず話してしまうからね」
「レッ……レオナ先輩は……関係ないもん……」
ドキっと跳ねた鼓動が邪魔をして言葉に詰まった。むむっと唇を尖らせ誤魔化してみるものの年齢が一回りどころか人生一回分くらい違うかもしれないゴーストには効かないだろう。
本当にレオナは関係ない。けれど良くしてくれて、普段から気にかけてくれているのはわかってる。出来ることなら彼に要らぬ心配はかけたくない。
とっさに口先では否定したがレオナの存在はとても大きい。どんな好奇心だって彼の名前を出されれば萎んでしまう。
ひた隠しにしている気持ちをつい先ほど赤裸々に日記に綴ったばかりなのも味方して、少しの葛藤の末、素直な両足は動くのをやめてしまった。
「だけど……すごい……気になる……」
悪あがきに子供のように近くの石を蹴飛ばしてみる。ころころと転がった石は迷い子のようにポツンと道の隅で動きを止めた。まるで今の自分のようだと、その石を見つめながらどうしようかと考え直す。
一度迷いが生じれば、足元でじゃりじゃりと舗装された道に飛び出していた石ころ達が音色を奏でるのに耳を傾けながら帰るべきかと悩んでしまう。それでも諦めきれずに足先は植物園へと向いたままだし、少し背伸びをして何も見えやしないが首を傾けては目を凝らす悪あがきだけは続けてみる。
ゴースト達がそんな芽唯の様子に安堵したのも束の間、ゆっくりと彼女の傍に影が近づく。
最初に気づいたゴーストが声をあげようと大きく口を開いたが、近づいてくる人物がライムグリーンの切れ長の瞳を向ければ彼は慌てて己の声を飲み込んだ。
「こんな夜更けに出歩いてるとは珍しいな」
「わっ⁉」
音もなければ気配もなかった。突然声をかけられた芽唯は逃げるように声とは逆の方に飛びのいた。
「クッ……ハハッ! そんなに驚くほどのことか?」
「な、なんだ。ツノ太郎か……」
一瞬青ざめた芽唯だったが、見知った顔にすぐに警戒心を解く。思わず両腕で自分を抱きしめてしまったのが恥ずかしい。きゅっと身体を丸めた芽唯に肩を震わせながら笑うツノ太郎──もといマレウス──はフッと息を吐いて呼吸を整えると先ほどまでのゴースト達のように眉を顰めた。
「僕だったからよかったものの、散歩なら陽の高いうちにしたらどうだ。それともお前も夜の散歩が趣味だったのか?」
「そうじゃないんだけど……。ねぇ、こっちの方で何か光らなかった?」
「光……? そういえば、確か先ほどあまり見かけない妖精達が……」
顎に手を宛て、記憶を辿るマレウスが「あぁ、ほら」と芽唯の肩越しに後ろを指さす。
「きっとアレのことだろう」
複数の妖精がいそいそと協力して虹色に輝く大きな宝石を運んでいる。
「すごい大きな宝石……。どこから持ってきたんだろう」
遠目から光ってみえたのも納得なほどの眩さを放つ宝石に芽唯の関心は違う方向へと移りだす。
「食堂のシャンデリアの魔法石……とはまた違うよね。あと他に魔法石が使われてるって言ったら鏡舎とか?」
魔法が当たり前のように存在する学園内で使われてない場所を探す方が難しい。けれど好奇心が躍り出してしまった思考は止まらない。
「あの子達、あんな宝石どうするんだろう」
盗んだのか、元から彼らの所有物なのか。
実態のわからないものほど人の好奇心を刺激するものはない。
ぐるぐると、ああでもないこうでもないと考えだす芽唯の横でマレウスが目を細める。
「ヒトの子」
「なにツノ太郎」
呼ばれた芽唯は妖精達が消えた方からマレウスへと視線を戻す。先ほどと違いどこか真剣な眼差しで自分を見るその姿に自然と姿勢を正してしまう。
「妖精、というものにあまり強く興味を抱かない方がいい」
「それは……どうして?」
「僕たち妖精族と人間は大きく価値観が異なる場合がある。妖精が祝福を贈っても、お前たちにとっては呪いとなることもある」
「呪い……?」
どうして祝福が呪いになるのか。そんなことを問いかけることすら許されないままマレウスは続ける。
「あの妖精達が何をもたらすか、僕の知るところではないが深く関わるべきではない……ということだ」
「そうだ! そうだぞメイ! だからもう寮に帰ろう!」
待ってましたと言わんばかりに会話に割り込んできたゴースト達が芽唯とマレウスの前に飛び出す。
透ける身体を大きく膨らませ、視界を埋めようとする姿は可愛くもあるがどこか滑稽だ。
「それに二人とも明日も授業があるだろう。あまり遅くなるのはお互い辛いんじゃないか?」
「うーん……。それもそうだね……」
オンボロ寮を飛び出してきてからどれだけ過ぎただろうと首をひねる。元々遅い時間だった。時計の針は相当いい数字を指しているに違いない。
光の正体も知れたし、妖精に深くかかわるべきではないと忠告も受けてしまった。後ろ髪を引かれないかといえば嘘にはなるが、親しい人達の心配を無下にするような人生観はあいにく持っていなかった。
渋々帰宅を促すゴーストに頷けば、マレウスもまた首を縦に振る。
「……寮まで送ろう」
「いいの?」
「なに、僕にしてみればこんな時間も瞬きのように一瞬のものだ」
「ふふ、なにそれ」
芽唯の背中に手を添えたマレウスは自然な仕草で彼女を寮への帰路へと歩ませる。
背を向け歩き出した二人と三体を興味深そうに見つめる小さな視線に気づいたのはマレウス一人だけだった。
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