01


 寒い。暑い。人間という生き物は適温でない環境下ではすぐに不満が漏れる。ナイトレイブンカレッジはそういった空調管理を妖精にすべて任せていた。
 ──そう、任せっきりだった。
 機械がパーツ一つダメになっただけで正しく可動しなくなるように、この出来事もたった一つ。小さいけれど、とても大事な歯車が狂ったせいで起きた騒動だった。

「暑い……」

 異様なほどの寝苦しさで目が覚めた。掛け布団は無意識に剥いだのだろう。床に落ちてぐちゃぐちゃになっている。
 パジャマ代わりに着ていたマブお下がりの長袖Tシャツの襟元を引っ張り、仰ぐように服の中へと風を送る。まるで真夏の……いや、それ以上の暑さでどうにかなりそうだ。
 何故こんなに暑いのに自分は長袖で寝たのだろうか。袖をまくりながら芽唯は床に落ちていた掛け布団である毛布を引き上げた。
 心地いい手触りのそれはレオナがオンボロ寮に置いている私物の一つだ。
 昼食作りの他にマジフト大会やオクタヴィネル寮の件など、徐々に親交を深めることになったレオナは気まぐれな猫のようにオンボロ寮へと足を運ぶことが増えた。
 持ってきたものは好きに使えと言う彼は毎度手土産に肉やツナ缶、そしてこの毛布。意図しているかはわからないが、欲しいと思ったものをタイミング良く持ってきてくれるので芽唯の生活を的確に豊かにしてくれている。
 不安の尽きない毎日だが、芽唯が安心して暮らせるのはレオナのおかげと言っていい。昨夜も彼の残り香がする毛布に包まれて、あっという間に眠りへと落ちた。未だ残る冬の寒さすらもレオナがくれた毛布の前では敵ではない。

「……待って、今って冬?」

 だらりと背中には汗が流れる。毛布に長袖。どこからどう見ても間違えようのない完璧な冬の装い。昨日まではそれで心地よく過ごしていたのに、この暑さはどこから来たのか。
 いくら首をひねっても答えは出ないことだけが明白で、諦めた芽唯は当然のように丈の長い下穿きを見て息を漏らす。捲り上げてやり過ごすよりも早く着替えた方がよさそうだ。
 それにしても、この暑さはいったいどこから来たのだろう。冬って夏だったけ?と思考が蕩ける。どう考えても異常事態だ。緊急事態だ。頭の中で遅い警戒音が鳴り響く。
 暑さと眠気でぼーっとした頭を左右に振って思考の枷になっているあらゆるものを吹き飛ばす。

「おやメイ、やーっとお目覚めかい?」
「すごいね、暑い暑いって言いながらずっと寝てるんだから」
「……そう思うなら起こしてくれればいいのに」

 物音で芽唯が起きたのを察したのか、部屋に顔を出したゴースト達は涼し気な顔で汗を滴らせている生者の顔を見て笑う。
 涼し気……というより暑さも寒さも生きているから感じるもので、死者である彼らには今の状況は他人事に過ぎないから笑っていられるのだろう。色んな意味で価値観の違う相手というのはこういう時にすごく不便だ。

「このまま寝てたらわしらの仲間入りするんじゃないか、なんてみんなで話してたんだ」
「それは困る。すごく困る……」

 彼らに悪意がないのがなおのこと困る。
 本当に仲間入りすることになってはかなわないと思った芽唯はふわふわで冷たくて、冗談なんだか本気なんだかわからないゴーストジョークを飛ばす同居人を横目に、暑さに唸りながらも眠り続ける相棒の身体を揺する。

「グリム起きて、起きてってば」
「んぐっ……それはオレ様の熱々ステーキ……」
「熱々なのは部屋の方なの! 起きて!」
「うわっ⁉」

 嫌々と首を振る小さな親分が寝汚いことはよく知っている。素直に起きるのを待っていたら何時になるかわからない。
なので、芽唯は彼がしがみついていたシーツを力いっぱい引っ張った。ぐわりと波打つ白い海から投げだされたグリムは床へと真っ逆さまに落ちていく。

「ってぇー! いきなりなにすんだ……って暑っ⁉」
「やっと起きた? 私すぐ着替えるから、そしたら部屋から……ううん寮から出よう。こんなに暑いんじゃ本当にゴースト達の仲間になっちゃう」

「俺達は大歓迎だけどなあ」と残念そうに無い肩を落とすゴーストに苦笑いを浮かべた芽唯は暑さに項垂れるグリムの背をゆっくり押す。
 それから制服に手を伸ばせば三体と一匹は揃って部屋からゆっくり出ていった。

「こういう時ってやっぱり学園長に会うのが一番……?」

 この異常事態がオンボロ寮だけならいいが、もし学園全体で起きていたのなら……。
 嫌な予感がした芽唯は深くため息をつく。
 安心できる場所なんて、やはりこの世界にはどこにもないのかもしれない。

◇◆◇

 寮を出ると見計らったように現れた学園のゴーストに学園長が呼んでいると告げられた。
 げっと顔を引き攣らせるグリムを逃げないように抱き上げる。意外と……いや、野生の本能なのか。危機回避能力が高い相棒の退路を塞ぐ。当然グリムは暴れて嫌がった。
 水浴びをさせられる猫のように暴れまわる相棒をあらゆる手段で宥めた芽唯は、オンボロ寮と同じく普段と違う過ごしにくい環境になり果てた学園内を彼で暖を取りながら懸命に進む。
 砂漠を行進するような暑さから、吐き出す息が白く、身震いする寒さに空調が変化するなんて聞いてない。
がくがくと噛み合わない歯をならしながらたどり着いた学園長室では渋い顔をしたレオナと、彼とは真逆に満面の笑みを浮かべたカリムを囲うように寮長達が何らかの話し合いの真っ最中だった。
 寮長会議と呼ばれるそれだと察し、恐る恐る音を立てないように入室するが、ちょうど会話の切れ目だったのかすぐさま視線が芽唯に集まった。

「草食動物が見張りかよ……」
 忌々し気に呟くレオナは芽唯の顔を見るなり舌打ちをする。「あらやだ、適任じゃない」とヴィルが揶揄うようにレオナを見れば同じ音がもう一度彼の口の中で弾けた。

「えっと……」

 状況がいまいち飲み込めない芽唯の手をクロウリーは優しく掴むとレオナの前へと彼女を押しやる。
 トンッと背中がレオナへとぶつかるが、これに対してレオナは何の音も鳴らさなかった。

「いいですか、メイくん! 潜入斑のみんながフェアリーガラで問題を起こさないよう見張ってください」
「ふぇありー……?」
「いいですね!」
「は、はい!」

 有無を言わせないクロウリーの圧に思わず首を縦に振る。そんな芽唯の様子に腕の中、そして後ろからため息が漏れた。
「意味もわからないまま頷いてんじゃねぇよ。そんなんじゃ、いつまた厄介な野郎に付け込まれても知らねぇぞ」
 皮手袋に包まれた褐色の手が軽く芽唯の頭を小突く。振り向けば眉間に皺を寄せたレオナが意味ありげにアズールに視線を送る。

「メイさんは良いカモのまま居ていただけた方が……。いえ、確かにきちんと契約内容を確認してから何事にも同意するよう誰かが指導すべきでしょうね」
「ちょっと、それアンタが言える立場なの?」
「契約に関して僕以上に適任な者はいないと思いますが」

「ねえ?」と同意を求める視線に頷けば、再度レオナの拳が芽唯の頭を小突く。

「だから、簡単に頷くなって言ってんだろ」
「ご、ごめんなさい」

 入室するなり訳もわからず頷いて、数度レオナに頭を小突かれてしまった芽唯は瞳をぱちくりと瞬かせながら改めて錚々たる顔ぶれが集まった室内を見渡す。
 右を見ても左を見ても寮長だらけの空間に自分が呼ばれた理由がまったくわからない。フェアリーがどうのと言っていたが、空調がおかしくなった事に関係があるのだろうか。
 腕の中のグリムもきっと同じ気持ちだろう。簡単に頷く芽唯に呆れつつも、自分と同じで状況が呑み込めていないと眉間に皺を寄せている。

「あの、ちゃんと説明してもらっても……いいですか?」
「えぇ、もちろん。ま、説明を聞いて嫌だと思ったところで貴方に拒否権は元々ないのですが」

「なにせ貴方、雑用係なので」当然でしょうと言わんばかりに言い切るクロウリーの姿に契約の大切さが嫌でも身に染みて少し泣きたくなった。
 
◇◆◇

 ”フェアリーガラ”それは春を告げる妖精たちの祝祭。
 毎年開催される祝祭の開催場所は不特定であり、開催地に選ばれた土地では三ヶ月に渡り祭りが行われる。
 そして今年度はナイトレイブンカレッジの植物園が会場に選ばれた。
 非常に名誉であり、誇らしいことだ。しかし開催準備を進めていた妖精たちは何も知らないまま学園の大事な魔法石を鏡の間から持ち出してしまった。
 虹色に輝くその石は学園で働く妖精達に魔力を分け与え、彼らはその対価にいつでも過ごしやすい空間を作り出してくれていた。
 供給が途絶えれば当然妖精達も仕事をやめる。何事にも対価はつきものなのはナイトレイブンカレッジの生徒なら言わずもがなわかることだろう。

 こうして、当たり前のように感受していたものは些細なことで奪われた。

◇◆◇

 暑さを逃がすため、開け放たれた窓から入る風を浴びながら学園長の説明を脳内で反芻する。
 フェアリーガラ、魔法石。そうか昨夜のあの綺麗な石は鏡の間にあったのか。どうりで見たことがあるような、ないような。記憶があいまいな理由に納得出来た。
 現実逃避するかのように繋がってゆく点と点を頭の中でなぞる。
 魔法石を取り戻すため、イミテーションの宝石をはめたティアラと現在進行形で妖精の女王が付けているであろうティアラを交換する要因として呼ばれたラギー。
 彼がつつがなく作戦を実行できるよう、注目を集める為にショーへ参加することになったレオナ、カリム、ジャミル。
 そして彼らが真面目にミッションを行うか監視し、その活動をサポートするために参加を余儀なくされたグリムと芽唯。
 素晴らしい、最高の人選だ。そんな風に褒め称えるメンバーは誰一人目が笑っていなかった。あぁ、今回も厄介事を押し付けられてしまった。
 芽唯はともかくレオナ辺りは星の数よりも多い屁理屈をこねて難を逃れそうなものだが珍しく上手くいかなかったらしい。相手が全員寮長であれば仕方がないことか。もしくは、彼が寮長が故に逃れられなかったのか。
「……仕方がねぇな」と諦めたレオナに「素直じゃない」と野次を飛ばしたのは誰の声だっただろう。
 集結した人員での作戦会議を終え、次の準備に取り掛かることになった一同はそのまま空き教室へと足を運んだ。
『最高の衣装を』と謳うクルーウェルに延々と布を当てられ続けたかと思えば着ては脱ぎ、脱いでは着替え……。採寸から始まった永遠に終わらないのでは、とも思えてしまうほどに長い時間に一人だけ取り残された芽唯は耐えきれずに口を開いた。

「あの、先生?」
「どうした仔犬」
「ショーに出る先輩達は兎も角、私はおまけみたいなものですし、みんなの衣装に合わせて後で適当に……じゃダメなんですか?」

 女である故に一人だけわざわざ部屋を分けて行われる芽唯のフィッティングは余計な手間と言っていい。
 既にレオナ達は装飾まで選び終え、ポムフィオーレ寮でヴィルの特訓に入ってはいるらしいが、おまけである自分に時間を浪費するのは得策ではない。
 困ったように眉をハの字にさせた芽唯にクルーウェルはまるで出来の悪い子供を見るような目をした。

「いいか仔犬。何事も始まりから終わりまで手を抜くことなくやり通すことを”完璧”と言う。お前は確かに監視兼サポートという脇役だ。しかし、脇役とはいえチームの一員であることを忘れるな」

 キラリと瞬く魔法の粒が芽唯に降り注げば大きかったはずの衣装が身体にピタリと合う。

「なにより、このクルーウェル様が自らプロデュースしたというのに『あの仔犬はいまいち』などとケチがつくのは、この俺のプライドが許さない」

 指先だけで行われる何度も見た彼の「ゆっくりまわれ」という指示を受け、久しぶりに穿いた制服以外のスカートを揺らす。
 レオナと揃いだというストールは妖精の羽がモチーフらしく独特な模様が描かれていて、外からの光を浴びたそれは本物のように煌めいている。
 白と金、二色をメインに作られた通称ガラ・クチュールはどの角度から見ても完璧だ。これほどの絢爛な衣装を用意されてしまえば逃げ場なんてもうどこにもない。
 元から逃げる気なんて毛頭ないが、退路を塞がれていく感覚は決して気持ちがいいものじゃない。こぼれそうになるため息をなんとか飲み込んで鏡越しにクルーウェルを盗み見る。芽唯の姿を確認し終えたクルーウェルは満足のいく出来だったのか、数度頷いて今度は装飾品へと手を伸ばした。

「恐らく、ショーはキングスカラーが主体となるだろう。アイツを脇に置いたところでメインを喰ってしまうからな」
「レオナ先輩の存在感凄いですもんね……」

 まだ衣装に身を包んだレオナを見ていないが、自分ですら普段とは見違えるように華やかになっている。あの美丈夫なら想像を絶する出来になっているに違いない。
 揃いの衣装をまとったレオナの姿を想像してしまえば、まだチークも塗っていないというのにほんのり頬が赤らむ。
 そんな芽唯の様子にクルーウェルは彼女の髪を梳きながら何気ない世間話のような調子で口を開いた。

「これは教師としての忠告だが、妖精というのは勘違いしやすい種族だ」
「勘違い、ですか?」
「言い換えるならば極限なまでに純粋。……思い込みが激しい」

 編み込まれていく髪が金細工や花の飾りで彩られる。バランスを見ながら整えていくクルーウェルの眼差しは真剣だ。

「学園の生徒ならばお前とキングスカラーの距離がいくら近かろうと『いつものことだ』と気に留めることはない。──だが、妖精は違う」

 仕上げと言わんばかりに毛先に大輪の白い花が添えられる。三つ編みの先端でゆらゆらとゆれる純白は衣装から少し浮いていた芽唯の栗色の髪を馴染ませる。
 毛先を揺らし、満足そうに口角をあげたクルーウェルは次に化粧箱へと手を伸ばす。
 メイク道具と共に既に決まっているのか、迷いのない手付きでいくつかの小瓶を取り出した。

「目を閉じろ」

 言われた通りに瞼の裏を見つめれば、自然と話題のレオナの姿が浮かび上がる。
 退屈そうに過ごしている癖に、時には不敵な笑みを浮かべ、こちらを見たかと思えば瞳で柔らかな弧を描く。

「お前たちがいくら違うと主張しようと、妖精は自分達が見たものをそのまま認識するということだ」
「そのまま……」
「客観的に見ても寄り添うように立つ仲睦まじい男女。普段は仏頂面の男が唯一優しく笑いかける相手が特別な女性でないと誰が思う?」
「うっ……」

 今まさに想像したレオナの笑みの話だろう。特別という言葉に胸が苦しくなる。
 自分とレオナが傍目からどんな風に見えているのか、『相談』という名目でお茶会を開く度にヴィルに懇切丁寧に聞かされていた芽唯はクルーウェルの言葉に肩を竦める。
 彼相手に否定したところで意味がない。なにせクルーウェルも『相談』相手の一人なのだから。

「先生の言いたいことはなんとなくわかりました」

 要は自分たちがいくら関係をうやむやにしていようと、妖精達は二人の仲を「そういうもの」と決めつけてしまうということだろう。

「妖精の中には恋心を好むものも存在する。大昔にはそんな妖精のいたずらか、二人の関係を証明するためのマジックフラワーが流行ったらしいぞ」
「本当に妖精ってそういうのが好きなんですね」
「心というものに敏感な種族だからな。人が信じるのをやめれば、やがて力を失い消えてしまうことすらあるという」

「だから、というわけではないが」と付け足したクルーウェルは静かな声で「今回ばかりは自分に素直に生きてみろ」と芽唯の肩を叩く。

「もういいぞ」

 触れた手は合図だったのだろう。ゆっくりと瞼を開けば正面に置かれた鏡の中に衣装に負けない化粧を施された自分が映し出されている。
 この姿でレオナの傍に立つのか。自分の姿をくるくると見下ろした芽唯は不安と期待が入り混じった、複雑な息を漏らす。
 周囲にどう思われようと彼に秘めた想いを伝えるつもりはない。
 今の関係が心地よい。きっと、彼も同じように思っているに違いない。
 クルーウェルの言葉が名前を付けないと誓った感情の上に降り注ぐが、そっと優しく払い落とそうと心の奥深くに手を伸ばす。
 もっともっと、心の奥に押し込めなければ。陶器のように優しく包み込んで心という箱の奥底に。
 けれど、この学園の人々は何故かそれを許してくれない。ほら、今だって。

「いいか仔犬。もう一度言うぞ。素直になるんだ」

 ダメ押しのようにもう一度。メイク道具を片付けながら、こちらを見もせず、だがハッキリとクルーウェルは先ほどと同じ言葉を繰り返す。
 鍵をかけても、見えないところへしまっても。この学園の魔法使いたちは不思議な力で芽唯の秘密の心を何度だって見つけてしまう。

「素直に……」

 なってもいいのだろうか。そんな自分に。
 いつか、この世界を捨てて帰るというのに。
 ぐらぐらと不安になる心とは裏腹に鏡の中の自分が微笑んでいるように見えた気がした。

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