01
ガリッガリと扉が音を立てる。どうせ誰かの使い魔が爪でも研いでいるのだろう。
まったく、と重い腰を上げたレオナはドアノブに手を伸ばす。よもや寮長部屋の扉で爪とぎをするなどどこのバカだ。
この場に己の恋人がいれば「幸せが逃げちゃう」と間違いなく指摘されるであろう大きな嘆息を漏らしたレオナは躾け直しが必要なのかと可愛い寮生たちの顔を思い浮かべた。
実直、といえばまだ聞こえはいい。どちらかと言えば愚直で筋肉だけが自慢の手駒たちは十分可愛がってやったと思っていたがまだ足りなかったか。
「おい、どこのどいつの……」
苛立ちを隠す必要なんてない。出来うる限りの低い声で不機嫌さをアピールしながら扉を開いたレオナだったが、音の正体に珍しく切れ長の目を丸くした。
「やっと出てきた! 遅せぇんだゾ!」
「……なんでてめぇがここに居やがる」
ちりちりと蒼い炎を揺らめかせながら見慣れた小動物が足元で満面の笑みを浮かべている。
無意識に彼女を探して大きく空気を吸い込むが、愛しい番の香りは不思議なことに一切しない。
まさかこの青狸、一人で会いに来たのか。……いったいなんの為に。
「お前、一人でなに百面相してんだ?」
「……前も言っただろ。うちは毛が落ちるからペットはお断りだってな」
考えるだけ時間の無駄だ。芽唯が不在ならばら毛玉になぞ用はない。軽く足で払ってドアを閉めようとしたが慌てたグリムが「待て待て!」と騒ぎたてる。
「子分からの手紙を届けにきてやったのにグリム様への態度がなってねぇんだゾ!」
「手紙、だと……?」
炎を軽く吹き出しながら怒るグリムはどこに隠していたのか、山吹色の封筒を取り出しちらつかせる。奪おうと手を伸ばせば扉の影へと逃げ、レオナの手をぎりぎり掠めては擦り抜けた。
「チッ、俺宛の手紙なんだろ。寄越せ」
「レオナが会いたがらなかったって寮に持って帰ってやる! オレ様をナイガシロにするからこうなるんだゾ!」
どこで覚えたのか、意味も分かってなさそうな言葉を使うグリムが廊下を駆ければ、支えのロープがギシギシと揺れ足場も踊る。なんだなんだと寮生の視線が集まってくるのを感じたレオナは追いかけるのも憚られ、仕方なしにマジカルペンを一振りした。
「おい」
狩りなんてものはレオナにとってはチェスで相手を転がすのと変わりない。
相手が自ら動きたくなるような極上の餌を用意してやって、油断したところをチェックメイト。
駆け回る毛玉を手中に収めるなんて簡単すぎてあくびが出てくる。
「ふなっ」
レオナの手の中で鈍色の缶が照明の光を反射し輝く。
まるでその光を吸収したかのようにグリムの瞳も瞬いた。
「欲しけりゃとっとと戻ってこい」
「つ、ツナ缶―!」
獅子の尻尾が扉の奥へと消えていく。怠そうに前髪をかき上げたレオナだったがゆらゆらと揺れる尻尾は彼の機嫌の良さを物語っている。
少し伸びた爪を引っ掛けながら床を駆けるグリムがレオナの部屋へ飛び込むとカチャリと音を立てながら扉は静かに境界線を作り上げた。
◇◆◇
『お寝坊なライオンさんへ
突然グリムが訪ねてびっくりしましたか? 私も急遽お手紙を書くことになってびっくりしています。
きっと今頃先輩は目を丸くして、なんだこれはって顔をしてると思います。後、わざわざ面倒なことしてるなーとか、話があるなら直接来い。とか?』
わかってるなら何故こんなことを……。己の傍らでふなふなと歓喜の声をあげながらツナ缶に食いつく魔獣を横目にレオナはため息を零す。
またどうせろくでもないことだ。彼女の性格を表したかのような丸くて柔らかそうな字が並ぶ手紙を見つめては視線を泳がせる。
続きを読んで、彼女が一体何を訴えかけてくるかはわからない。
いっそのこと、これが芽唯の意志ではなく、なんらかの強制的な呪いにより無理やり書かされたものであった方が事は単純だっただろう。
『……今、絶対途中で読むのやめましたよね?』
次の行に視線を戻せば開幕これだ。
さほど長いとも言えない期間を共にしただけだというのに彼女にはレオナの行動が手に取るようにわかるらしい。
芽唯本人相手なら露知らず、手紙相手なら数度の舌打ちも許されるだろうか。
「チッチッチッうるせぇんだゾ。早く読んで、書き始めた方がいいんじゃねーか?」
「書き始めるだと?」
一体なにを。問いかけそうになったレオナだったがかぶりを振って、片手でグリムを静止すると観念して続きを読む。
どうせ惚れた手前、彼女の掌で転がされる運命だ。だったら毛玉から聞くよりも直々に芽唯から伝えてもらった方がまだ気分はいい。
『面倒だな、って思っててもいいですから。ちゃんと最後まで読んでくださいね。
もうすぐ先輩の誕生日でしょう? 何を渡そうか、どう祝おうか。ずっと悩んで一番最初に思い浮かんだのが手紙でした。レオナ先輩の部屋の片隅、ベッドの隣。小さな箱の中にあのときの手紙が大事にしまわれてるの、知ってるんですからね』
サイドテーブルには確かに彼女からの──正確にはモストロラウンジでの配布カードなども入っているが──芽唯に纏わる物をしまっている。
砂にしてしまった日記はないが、宛名のない手紙の束やその後にもらったそれらは内容は記憶しているとはいえ、たまに彼女の文字に触れたくなって何度も読んでしまったのでだいぶくたくたになっている。
好きでした、などと過去のように語るのと同じ筆跡で再び熱烈な言葉を紡ぐようになった手紙は有体にいえば愛おしい。願わくば、二度と前者のような手紙は貰いたくはないが。
『恥ずかしいから返してください、って言っても無駄なことはわかってますし。先輩が、その……大事にしてくれているのは嬉しくもあります。
だから、先輩がそこまで大事にしてくれるなら、またお手紙を書くのがいいんじゃないかなって思ったんです』
なるほど、と真新しい便箋を捲りながら目を細める。以前送られてきた物とは違い、サバナクローを思わせるそれらにはよく見れば片隅にライオンのイラストまで描かれていて、自分を想って購入したのがわかる。
芽唯の財布事情をさほど心配するような額でもなく、それでいて愛情とやらは存分に詰まったレオナを楽しませるに十分に値するプレゼントだ。
──しかし。
『まだ、少し早い。先輩の誕生日は一週間先。不思議に思いますよね』
カレンダーを確認するまでもない。そわそわと浮足立つ寮生達は己の誕生日に向けて何かと騒ぎ立てるので否が応でも当日までの残り日数を把握している。
『多分、もっと面倒だなって思われるんでしょうけど。ここから先はグリムの発案でして、文通──というのをやってみませんか?』
文字をなぞっていた瞳が動きを止める。数度瞬いたレオナは一瞬何が書かれているのか理解出来なかった。けれど、先ほどのグリムの言葉を思い出し、なんとか意味を繋ぎ合わせる。
「それで書き始めろって言ったのか」
零すように手紙から視線をそらさず呟けば、満足そうにグリムが視界の傍らで頷いている。
あぁ、本当に面倒なことになってきた。けれど、不思議と不快感はない。それどころか、尻尾はゆらゆらと揺れ動き、口角すら上がっている。
惚れた弱みとやらは末恐ろしい。
『もちろん、先輩が嫌だとおっしゃるなら無理強いはしませんし別のプレゼントを考えます。けれど、ほんの少しでも私のワガママに付き合ってくれるなら、数日だけでもいいからお手紙のやりとりをしてみたいんです』
「誰へのプレゼントなんだよ、まったく……」
まるで彼女自身の誕生日祝いとして付き合うみたいだ。
グリムがいる手前、あまりだらしのない顔をするわけにもいかないが、あの毛玉が居なければレオナの顔は緩みきっていただろう。
つまるところ、彼女の望む文通とやらをすれば己には手紙のコレクションが増えるという利点があり、彼女自身もレオナ直筆の手紙を得ることが出来る。
部屋に訪ねてはちらちらと箱を見つめていたのは返せという恥ずかしさと、手紙自体への羨ましさ、二つの感情が合わさっていたのだろう。
『ダメならグリムにそう言って帰してください。もし了承してもらえるならお返事を持たせてあげてください。実はグリムから手紙の受け渡し役を引き受けたいって言ってきたんですよ。びっくりですよね』
母親か、もしくは姉のように小さな子供を見守るような、そんな笑みを浮かべながらグリムのことを綴る芽唯の姿が容易に想像出来る。
最後にはありきたりな『お返事お待ちしています』と記された手紙を封筒に戻したレオナは彼女のお望み通りベッドの傍らに置かれている箱の中へと大事にそれを滑り込ませる。
確かにコレクションが増えることは喜ばしい。あの時ほど熱烈な内容ではないが、間違いなく『レオナの為だけに用意された唯一の品』だ。
実家から送られてくるラグや高価な物に比べれば一切値のつかない代物だが、レオナの前ではそれらの方が無価値に等しい。
「おい、毛玉」
ツナ缶を食べ終え堂々と大の字でひっくり返っていたグリムを呼べば目を輝かせてこちらを見る。
「書けたのか⁉」
「まだだ。購買に行ってくるから大人しく留守番してろよ」
「おめぇ、そういうのはラギーに任せてるんじゃねぇのか?」
「バーカ、あいつへ贈る物を他の男に選ばせるわけねェだろ」
背を向ければ後ろから数秒遅れて意味を理解したのか「やったんだゾ、子分!」と小さな身体を跳ねさせ喜ぶ声がする。
他人事だろうにどうしてそこまで喜べるのかとお人好しさに息が漏れる。いつもなら煩いと一蹴するはずなのにそのままにさせている自分も相当のお人好しだが。
部屋に鍵をかけ、鏡舎へ向かう。芽唯にどんな便箋を選んでやろうか。
まさか自分が手紙を綴ること、ましてや便箋選びを嬉々として行うなど夢にも思っていなかった。
男子校の購買部に彼女に見合う便箋が置いてあるとは思えないが、あの食えない店主のことだ。尋ねれば平然とした顔でお決まりの言葉が出てくるに違いない。
ともすれば、問題なのは綴る内容だ。
日記に数度の手紙。彼女には幾重にも渡って熱烈なものを貰っている。例え己の誕生日を切っ掛けに始まるやりとりだとしても、ここで彼女を喜ばせないのは男が廃る。
購買部へと向かう足取りを速めるレオナの頭の中では芽唯へと綴る言葉たちが並び始めていた。
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