03


 いくつもの本を抱えたアウラリアリアが珍しく断りもなくアルハイゼンの眼前に座ったのは突然のことだった。
 もちろん、彼女が現れるのは毎回突然なのだが、複数冊を一度に持ってきたのはこれが初めてだ。

「これは?」
「本」
「それは知っている」

 一冊を指させば小首を傾げたアウラリアリアはただ本と告げる。相変わらずちょっとしたしぐさが目を引くが、この返事には多少なりイラついた。

「何故、複数、持ってきた」

 タンタン、と指先で強く机を叩く。ほぼドンドンと形容するのが相応しい音だったがアウラリアリアは特に気にしなかった。むしろその音で眉間にしわを寄せたのはプスパカフェの代理店主の方だ。

「しばらく、私、会えないから」
「は?」

 アルハイゼンを真似するように言葉を区切ったアウラリアリアは笑みを浮かべる。だがそれはなんの答えにもなっていない。会えないから複数本を持ってくるとはどういうことか。
 教令院の職員の中でも役職を与えられ、一目置かれるほど明晰な頭脳を持ったアルハイゼンにも解けない謎が存在しているとすれば多くは彼女の行動に他ならない。
 毎度のことながらアウラリアリアにはペースを崩されてしまう。

「ふふ、ごめんなさい。今度お父さまの研究の一環で稲妻に行くことになったの。ほら、最近行けるようになったって噂じゃない? ちょっとした長旅になりそうだから家族全員で行きましょうって」
「なるほど。だが、本を複数持ってきた理由にはなっていない」
「え? だってアルくん本を読めないと困るでしょう? そりゃ探せば他にも本はあるだろうけど、お父さまの蔵書は他に比べて面白いっていつも言ってくれるから私の都合で会えない間、新しいのを読めないのも嫌かなぁって」
「……そうか」

 それは確かにそうだ。
 そもそもスメールで書籍は貴重であり、中でもアルハイゼンの好奇心を満たしてくれるものなど早々見つかりはしない。

「……期間は」
「二週間……長くて三週間くらいって言っていたかしら。あちらでしか手に入らない書籍があるかもしれないからってお父さま張り切っていたのよ。お父さまが読み終えたら面白かったものを厳選してまた持ってくるわね」
「あぁ」

 それでね、と声を弾ませアウラリアリアが別の話題に移ったがアルハイゼンはその声に集中できそうになかった。
 右から左へ流れていく声がただ楽しそうなことだけ理解出来た。時折相槌を打つだけのアルハイゼンに彼女が疑問を持たなかったことだけが救いだろう。

◇◆◇

 相も変わらず彼女が持ってくる本は面白かった。
 恐らく父親に助言をもらっているのか、一冊目で一番興味を持った題材を二冊目の本がより深掘りする。
 人がなにかに夢中になるとき「手が止まらなくなる」と表現するがまさにそれだった。アウラリアリアが必死に運んだ本の山を恐らく彼女の想定よりも早くアルハイゼンは読み終えてしまった。過ぎた日付はまだ彼女が告げた最短の二週間にすら届いていない。
 彼女が新しい本を運んでこないならばただ別の本を読めばいいだけ。そう思って久しぶりに自宅にある書物に手を伸ばす。
 もう読み返すことがないと思った本は知恵の殿堂に寄贈しているが、先延ばしにしている本たちはアルハイゼンに読まれるのをまだかまだかと待ち望んでいる。
 カーヴェの手が入り配置が変わった本棚からお目当ての本を探し出したアルハイゼンはいつも通り椅子に腰かけ一ページ目をめくる。
 そうすれば本の世界、情報の渦の中にアルハイゼンは落ちていけるはず。……なのだが珍しく指先は固まり続けた。どれだけ目で追っても文字が頭の中に入ってこない。読み終えなければ次のページには進めない。
 同じページと数分向き合って、ため息とともにアルハイゼンは本を閉じた。
 アウラリアリアと出会ってからこんなことが起きるのはもう何度目だろうか。
 諦めて書斎から出れば、椅子に座っていたカーヴェが机越しにこちらを見て首を傾げる。

「珍しいな、まだ読書の時間じゃないのか?」
「すべて読み終えてしまった」
「すべてって……借りた本が終わったなら自分の本を読めばいいじゃないか。僕が整理したから取り出しやすいし、探しやすくなっただろ」

 まるで自分の功績だと言わんばかりに胸を張るカーヴェの正面に座ったアルハイゼンは彼が勝手に持ち帰っていたのであろう酒に手を伸ばす。

「あぁそうだな。礼はこの酒で十分だろう。俺は発注はしたが、まだ引き取りに行った覚えはないんだが?」
「ぇっ……あー、ほら。忙しい君に変わって家のことをやるのは同居人の務めだろう。はは、ハハハッ……!」

 露骨に裏返った声を誤魔化すように笑い続けるカーヴェは視線をあちこちへ彷徨わせてからバクラヴァに手を伸ばす。こちらもまた家にあった覚えのない品だ。また勝手にツケでプスパカフェから買ってきたに違いない。
 似たようなことを指摘するのもアホらしくなったアルハイゼンはカーヴェの目の前にあった皿をわざと自分の方に引き寄せる。あっ……と小さく声を漏らすも、少し睨みつければこの件で口喧嘩になれば敵わないことは流石に理解しているのかカーヴェは伸ばした手をすぐひっこめた。

「それで、だ。本の話だったろう。読み終えてしまって他を読む気がないなら、いつも通り彼女に借りればいいじゃないか」
「しばらく旅行から帰ってこない」
「いつまで?」
「来週か……長ければ再来週」
「なるほど、それで新しい本も読めなければ恋人にも会えなくて、そんなしょぼくれた顔をしていたのか」
「こい、……なんだって?」

 ふーん、と珍しいものでも見るようにアルハイゼンを上から下まで注視したカーヴェは納得がいったと数度頷くが、アルハイゼンは思わぬ言葉に瞬いた。

「恋人……って、まさか君たち付き合ってないとは言わないだろう?」
「誰と誰が」
「…………まいったな。僕はてっきりついにそういう関係になったのだとばかり」
「俺と彼女が? まさか、ありえない」

 親しい相手ではある。話しやすさや理解力が高いのも好感を持てる。けれどアルハイゼンはあまり彼女のことを知らない。幾度となく時間を重ねたが、彼女はいつも己のことを聞きたがり、広がる話も常に己のことばかりだったからだ。

「証明もせずに否定するなんてスメールの学者にあるまじき行為じゃないか? それに君と彼女ならありえなくなんてないだろう。十分立派な理由がある」

 そうだろう?と問いかけるカーヴェが示す理由がなんのことかアルハイゼンはわざとらしくわからないフリをした。
 肩を竦めて首を傾げる。ジェスチャーだけで否定して。言葉にはしない。
 そんなアルハイゼンの姿にカーヴェは盛大にため息を漏らす。

「どうやら良い酒の肴になりそうな話ができそうだ。先輩として君の在り方を改めて正すとしようじゃないか」
「……飲んだ分はちゃんと後で請求するからな」
「ぐっ……本当に可愛くないな……」

 カーヴェの言う通り本当に酒の肴になったかはわからないが、彼が勝手に持ち帰ってきた酒の量が多かったおかげで呑み明かすには困らなかった。

◇◆◇

 結局アルハイゼンの読書は進むことがなく、仕方がなく借りた本を複数回読み返す羽目になった。何故かはわからないが、彼女から借りた本だけは集中して読めたからだ。

「アルくん、お久しぶり!」
「帰っていたのか」

 それからきっちり三週間。
 何事もなかったかのように顔を出したアウラリアリアは珍しい装丁の本をいくつか持っている。恐らく稲妻の書籍なのだろう。
「はい、稲妻のお土産。って言ってもお父さまのだから返してもらうけど……本の内容は十分アルくんの知識の糧になると思うわ」
 笑顔で本の山を差し出してきたアウラリアリアの手から一冊だけを受け取ると、アルハイゼンは己が持っていた既に何度も読んだ一冊をそこに重ねる。
 アルハイゼンの持って行ったものと己の手の上に重なった本の山を見比べたアウラリアリアは首を傾げた。

「他のは良いの……?」
「それはまた今度借りる。借りていた他の本はそのときに返そう」
「……ならまとめて持っていけばよくない?」

 ずいっと目の前に差し出された本の山をアルハイゼンは優しくアウラリアリアの前に突き返す。不思議そうに戻された本を見つめたアウラリアリアはやはり首を傾げている。

「別にまとめて返してもらっても持ち帰るのには困らないわよ?」
「一冊ずつでも構わないだろう」
「……アルくんにしては珍しく効率が悪いことを言うのね? 別にそれでも私は構わないけど……」

 納得がいかないのだろう。不審そうな目で己を見つめるアウラリアリアにアルハイゼンは珍しく自分から話題を振った。

「それで、稲妻はどうだったんだ?」
「えっ……? あー、そ、そうね。桜。桜が凄い綺麗だった……!」

 美しい風景、見慣れぬ衣服。稲妻には珍しいものばかりだったと語るアウラリアリアの言葉にアルハイゼンは耳を傾け相槌を打ち続けた。
 時折話を深掘りするアルハイゼンに戸惑いながらもアウラリアリアは触れてきたばかりの未知をアルハイゼンと共有する。

「ねぇ、アルくんは何をしていたの?」
「俺の話はまた今度でいいだろう。今日は君の話を聞く番だ」
「そ、そう……」

 いつもは一方的に問う側だったアウラリアリアの戸惑いは当然だろう。けれど今はアウラリアリアが語る言葉に耳を傾けたい気分なのだから仕方がない。
 三週間。会わなかった時間の話がやけに興味深かった。

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