04


 稲妻出向前にアウラリアリアに借りた本はわざと一冊ずつ返却した。
 その度に新たに一冊借りるので差し引きはゼロ。アルハイゼンの書斎机の片隅にはいつも変わらない高さの本の山が出来ている。
 それを見るたびにカーヴェが「君……」と何か言いたげに口を開くが、あの日以上のことを語るつもりはないとアルハイゼンは態度で示した。つまり普通に無視し続けた。
 アルハイゼンがそっけないのはいつものことなのでカーヴェはあまり気にしないだろうとは思っていたが珍しく根気強く接してくる。その根気強さをクライアント相手にも発揮すればいいのにとは思ったが口にはしなかった。
 彼とクライアントとの話がこじれるのは何もカーヴェが短気なせいばかりではないからだ。デザインに対する情熱が時にこの男の変なスイッチを入れてしまうのをアルハイゼンはよく知っている。
 そもそも学者というのは凝り性であり、自分の拘りたい分野に関しては絶対に折れない生き物だ。時としてそれは学者を狂気へ走らせるし、だからこそマハマトラという存在がスメールの秩序を守り続けている。

「……だから……よう……て……」
「えぇ、……告……とう……」

 ふわりとスメールローズの香りに釣られて顔を上げれば行く先で見知った人物たちがなにやら話し込んでいる。
 香りの主であるアウラリアリアは話が終わるとアルハイゼンに気付くことなく去っていったが振り向いた大マハマトラ・セノとは目が合った。
 己を認識したセノはアウラリアリアが去った方へと視線を戻すとアルハイゼンをもう一度見る。

「最近、彼女の周りに怪しい動きがあった。念のため本人にも確認したが彼女自身も多少だが認識しているようだった」
「……何故それを俺に?」
「愚問だな。無駄な問答をする暇はない。また以前のようなことが起きるかもしれないという話だ」

 それだけ告げるとセノはすぐに背を向けて人込みの中に消えていく。
 また、という言葉だけを噛みしめてアルハイゼンもすぐにその場所を後にした。

◇◆◇

 それからアルハイゼンはわざと人通りが多い場所を歩くようにした。
 けれど相変わらず街中でどれだけすれ違ってもアウラリアリアはまったく声をかけてこないので、人が少ない時間を見計ってランバド酒場に足を運べば彼女はようやく目の前に現れた。

「なんだか最近アルくん少し話しかけづらいわ」
「そんなことはない。俺はいつでも君と話すことができる。勝手に遠慮しているのは君の方だろう」
「それはそう……なんだけど……」

 思い当たる節しかないであろうアウラリアリアは唇を尖らせて目を逸らす。
 彼女が来ることを想定し、適当なものを注文していたアルハイゼンは既に二人分並べられている食事をアウラリアリアにも食べるように促すと遠慮しながら食器を手に取る。

「いただきます……」

 アルハイゼンから彼女に質問を投げかけるようになってからは時折食事を共にするようにもなった。
 彼女は必ず食前と食後に食材への感謝の証である言葉を述べる。例え苦手な食材が入っていても文句も言わず完食するが、度々食べ物を運ぶ手が止まる。好物も食べるのが遅くなるがこれは噛みしめて食べているからで、そのときは笑みを浮かべているのでわかりやすい。
 今日も彼女の趣向を知るために新しい料理を頼んだが、今回の料理は気に入りのようで不機嫌そうな顔をしていた彼女も今は口元を緩ませている。
 最近のアルハイゼンは本に視線を落としながらアウラリアリアの様子を盗み見ているのだが、一見いつも通り文字を追っているようにしか見えないのでアウラリアリアは気づくことなく食事を続けている。彼女のことを見るあまり、本の内容は頭に入ってこないのが少しだけ問題だ。
 話しかけられればその都度返事をし、自分は本も手も汚さずに済む食べ慣れた料理を口にする。そんな時間が刻々と過ぎればあっという間に料理が消えて、空になった皿が店員の手で下げられる。
 そろそろ良いかと形だけ読んでいた本をしまってアウラリアリアを見れば彼女は小さく首を傾げた。アルハイゼンという男は疑問を心の中に留めておくほど気が長い方ではない。

「君は俺との関係を知られると困ることでもあるのか?」

 単刀直入にはっきりと。まっすぐ告げられた言葉にアウラリアリアが瞳を瞬かせた。

「え……?」
「俺はここ数日わざと人通りが多い所を選んで歩いた。君の姿は度々見かけたが一向に声をかけてくる気配はない。それどころかその人込みを利用して逃げるように去っていく。もちろん今日持っているのと同じ本を所持していたのは確認済みだ」
「あぁ…………」

 机越しに膝の上で抱えた本を握る手に力が入るのが少しだけ見える。気まずそうに視線を逸らしたアウラリアリアからは言葉になっていない声が漏れる。

「んー……あー……困る、というか」

 うーん、と言葉を選ぶアウラリアリアの歯切れは悪い。アルハイゼンからそんな疑問をぶつけられるのは想定外だったのだろう。珍しく言葉を詰まらせて長考が続く。

「困るのはアルくんの方かなって」
「俺の?」
「アルくんにこれ以上迷惑かけたら嫌だから……」

 申し訳なさそうに眉をハの字にさせたアウラリアリアの逸れた視線は未だにアルハイゼンには向けられない。

「私がワガママ言ってアルくんの時間をもらっているのに、それで別の迷惑までかけたら居た堪れないというか……」
「俺が君と会っていることでなにが起こるというんだ」
「例えば、そうね……私とどんな関係なのか、とか。私とのことを根掘り葉掘り聞こうとする人が多少なり居ると思う。あ、お父さまに関しては大丈夫よ。お父さまにはアルくんとどんなお話したかお食事のときによく話題にしているの」
「…………」

 アウラリアリアの父親と会ったとき、なんとも言えない顔で己を見ていたことを思い出したアルハイゼンは「君のせいか」という言葉を吐きかけて飲み込んだ。今の主題はそこではない。

「つまり君は己に興味を持つ人物が俺に接触を計ることを危惧していると?」

 黙って頷いたアウラリアリアは気まずそうに相変わらず視線をあさっての方へ向けたままだ。

「私もアルくんに興味を持って接しているから人のことは言えないのだけれど、私の周り結構そういう人が多くて。教令院の方って基本的に勉強熱心じゃない? スメールシティってそういう人が集まりやすいからか興味を持った相手のことを知りたいって人も多いみたい」
「君の場合恐れているのは興味ではなく好意だろう」
「あー。……うん。まぁ、その……」

 図星だったのだろう。居心地が悪そうに視線を彷徨わせたアウラリアリアは胸元の神の目に触れる。
 キラリと反射するそれがどこか鈍い光をはなっているようにも見える。
 目を眇め、じっとそこに視線を送れば観念したアウラリアリアが唇を噛みしめた後にいつもの綺麗な笑みを浮かべる。──彼女は作り笑いが妙に得意だ。

「お父さまが口酸っぱく教令院の関係者に私のことを言い聞かせてくれるようになったのにも理由があって。昔ね、すごく私に好意を持ってくれた学者さんがいたの。すごくいい人だったんだけど、私その人のことがどこか怖くてあまり会わないようにしてた」

 優しい思い出を紐解くように彼女の口調は柔らかだが無意識なのだろうか、神の目に触れる指先は少し震えている。

「でも会わないようにしても同じ街に住んでいるからすれ違うことも多くて、だから避けるよりは大勢で会うことを選んだの。一人でも二人でも、誰かしらお友達と一緒に会えば大丈夫って。お話する機会を設ければその人も満足してくれるんじゃないかなって」
「ただ欲求を助長させただけにすぎないな」

 人は満たされれば満たされるほど次を求める。穴の開いた杯を満たすようにどれだけ注いだところで人の心は完全に満たされることはない。

「そうね……。その人にね、なんでそんなに好かれたのか正直今でもわからないの。けれど最近は私がアルくんのことが知りたいなって思うのと一緒だったんだろうなって思うわ」

 アウラリアリアの考えに一つの言葉が脳裏に浮かび上がったアルハイゼンだったが瞼を閉じて余計な思考を振り払う。今はそんなことを追求する必要はない。

「二人きりでは絶対会わないように、お父さまにきつく言われたわ。出かけるのも本当は禁止したいっておっしゃっていたから、何が起きるのかお父さまはわかっていたのかも」
「ただ娘に好意を持っただけならばそこまで気にする必要もない。元々その学者の研究や思想を危険視していたんだろう」

 彼女の父親はアルハイゼンに関して思うところはあるものの娘との接触を許している。日頃から娘のプライベートに口を出す人物ならば彼女と交友を深めている自分に対して苦言の一つや二つ飛んできているはずだ。

「同じ学者としての直感みたいなものもあったのかも。……あとはあまり話したくないのだけれど、とても危険な実験をしていたみたいで、マハマトラも動くような事件になったの」
「そのときに君は神の目を手に入れたんだろう」
「え?」
「無意識だろうが、それだけ触れていれば誰にでもわかる」

 お守りに縋るように神の目に触れる指先は当時の恐怖がぶり返しているのか未だに震えている。
 アウラリアリアの言う事件はアルハイゼンもよく覚えている。
 脳神経にアーカーシャを利用して介入し、相手を己の意のままに操作しようとする非人道的な実験が行われていた。この研究には多くの者が関与していたが、大半が『自分の意志ではなかった』と供述し、事件を解き明かした学生の指摘とマハマトラたちの調べにより主犯は一人の男であることが立証された。彼女と親しくする同性への身勝手な悪意がそこにあったことは事件を知る者ならば誰もが覚えているだろう。
 そんな経験から自分が特定の異性と深く親しくしていることを周囲に知られるのを恐れるようになったのだろうか。

「この間、大マハマトラのセノ様に声をかけられてね。おかしなことは起きていないか聞かれたのだけれど、最近あのときと同じような気配がするとはお伝えしたの。ただの勘だけれど真面目に聞いてくださって……。きっとなにかを察知して調査してらしたんだわ」

 先日のセノとのやりとり。アルハイゼンもその現場に居たことに気付いていないアウラリアリアは気まずそうに眉根を下げると苦笑する。

「……また同じことが起きるかもしれないし、特別親しいと勘違いされたら巻き込んでしまうかもしれない。そうじゃなくてもアルくんが私のことで他の人から迷惑かけられるのは嫌だなって。アルくんあまり人と関わるの好きじゃないでしょう?」
「好きか嫌いかは君が決めることではない。が、大半の事柄は時間を割くに値するとは思わないな」
「だから」
「だが、俺は君との会話を無駄だとは思っていないし、隠す必要があることとは思っていない」

 確かにアウラリアリアとの関係を周囲に知られれば興味を持たれて話題を持ちかけられる可能性は十分あるだろう。
 しかしアルハイゼンは大半の人物とのそういった無駄な議論を進んでする人物ではない。アルハイゼンの義務は書記官としての最低限の仕事であり、それ以外の事柄はアルハイゼンを縛りはしない。
 他人にツケを押し付けて酒を飲む居候も、大マハマトラも、アビティアの森のレンジャー長でさえもアルハイゼンが語る必要性を感じなければどんな話も引き出せない。

「仮に君に好意を持った人物に悪意を向けられようと俺には関係ない。俺の方が強い」
「文弱なのに?」
「あぁ」

 当然だと頷くアルハイゼンにアウラリアリアは否定も肯定もしなかった。
 アルハイゼンが巻き込まれることを恐れるという彼女はきっと己の気持ちを周囲に知られることも恐れているのだろう。
 先ほど追及はしなかったが自分に強い感情を向けた男の気持ちが今ならわかると零した彼女は己に好意を向けている。
 そう確信していたアルハイゼンの頭の中では自分たちが特別親しい間柄だと周囲に知られたときのあらゆる可能性が巡っていた。
 面白可笑しく騒ぎ立てる知人たちはもちろん、名も知らぬ学生たちや街人からも好奇の目を向けられるのは間違いない。
 過去の事件にも臆せず彼女はスメールシティで幅広い交友を続けていたし、そうでなくとも彼女は人目を引く。そんなアウラリアリアが特定の人物に深い興味を持ったとなれば注目の的になるのは言うまでもないだろう。
 そうなれば確かにアルハイゼンの望む平凡で平穏な日常からは遠ざかるのは明白だ。

「……つまり他人に俺たちの関係を知られなければいいんだな?」
「そうだけど……」
「なら話は簡単だ。他人の目が介入しない場所で会えばいい」
「今やってるでしょ?」

人が少ない時間帯、店の片隅での交流は店主以外に知る者は確かにいない。だがアルハイゼンは首を横に振る。

「情報と言うのは自然と集まるものだ。例え俺たちが場所を転々と変えても少なからずその姿を目撃するものがいるだろう」
「通行人のおじさまとかお店のお客さんとか……? ならスメールシティの外で会うってこと?」
「茂みや物陰に潜んでいるエルマイト旅団がいるかもしれない。旅人が通りかかるかもしれない。外で会っている限り不特定多数の視線は常に向けられていると考えるべきだ。そしてその目撃情報が積み重なれば自ずと俺たちの関係性は暴かれる」

 人の口に戸は立てられないとも言うが、隠したいことほど広まるのは早い。

「ならどこで……」
「俺の家で会えばいい」
「アルくんのお家……? でもそれってもっと注目を浴びるんじゃ……」

「本と同じで君の偉大な父親を理由にすればいい。仕事に関する資料を彼の代わりに届けに来た、至急目を通して欲しい書類がある。教令院を同じ理由で出入りしている君ならば何通りも浮かぶだろう」
 アウラリアリアは時折父親の秘書のような仕事をしている。少し気難しい父親と違い、アウラリアリアは人間関係を円滑に進ませる才がある。人に好かれやすいのが主たる理由だろう。
 研究費の見積もり書や多少無理を通したい計画書など、本来ならば申請を却下されてもおかしくないギリギリの内容も彼女が届け出れば通りやすくなる。
 彼女の父親が教令院に関わるなと言いながらも娘の出入りを許してしまうのはそうした利点があるからだ。

「書記官宛ての書類を届けたこともあるけれど……、アルくんそういうのって直接受け取らないわよね……? 私あなたが執務室に居ないから何度か机の上に置いて帰ったことがあるわ」
「実際に書類を届ける必要はない。俺はプライベートに仕事を持ち込まないし、定時までに仕事は全て片付ける主義だ」

 アルハイゼンの執務室はいつ訪ねても彼を捕まえることができないと有名だった。
 教令院に勤めるものが知っているのは執務中は出勤していると言うことだけで、彼がいつどうやって机に詰まれた数多の書類を整理しているかなど知りはしない。
 本来ならばプライベートにどこにいるかも把握されていないはずなのだが、アウラリアリアだけはアルハイゼンを必ず見つけ出すのが不思議でならない。この理由もいつか彼女に聞くつもりだ。

「君はそうした理由と共に堂々と俺の家を訪ねればいい。俺が客人にどんな応対をするかなど誰も知りはしない。君はただ仕事こなすついでにもてなされ、少々の会話を楽しんで帰る。ただそれだけのことだよ」

 アルハイゼンの行動は大半の人々には謎という名のベールに包まれている。アウラリアリアが密会を望むというのならば、そのベールに彼女も包んでしまえばいいだけだった。
 なにより、今はあの居候も自分の家を出入りしている。近隣でそのことについて噂立てる者が居ないと言うことはアウラリアリアがそこに加わったところで周囲の反応はたかが知れている。

「なら今度からそれでいいかしら……? 変に隠すよりもかえって堂々としている方が怪しまれないとも言うのだし」
「君が構わないなら」
「じゃあ決まりね!」

 安堵して胸を撫でおろしたアウラリアリアの笑みは晴々としていた。

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