夢を見た。

 夢なのか現実なのか分からない不思議なものだった。
 斜めに前髪を切り揃えられた白髪の少年が黒髪の少女の手を握る夢だった。
 少年は少女に笑い掛けると少女は頬を赤く染めながらそっぽを向いた。その態度に少年は愛おしい者を見る様な瞳で少女を見つめると優しく少女を抱き締めた。
 その不思議な夢を私は暗闇の中から見つめていた。

 幸せそうに寄り添う少年と少女がひとりの私には眩しく見えてしまい、心臓が酷く痛んだ。

 私だって誰かに手を繋いで欲しかった。
 手を繋ぎ、手を引いてくれる人が欲しかった
 共に歩んでくれる人が欲しかった。
 私を見てくれる人が欲しかった。
 私は多くの物を欲しがり、追い求め、手を伸ばした結果、求めていたものに手は届かず、持っていたものも手をすり抜けた。

 私には何も無かった。友もいなかった。
 心を寄せれる人物も、“家族”も私には居なかった。

——私と言う存在は、無価値であった。

 私は、これ以上自分が惨めになりたく無くて、目の前の幸せそうな二人から目を逸らすと背を向け、この目の前の不思議な夢が終わるのを待った。
 待っていれば全てが終わる。
 ふたつをひとつに戻す、神聖なる儀式は終わった。
 紛い物は消え去り、全てが元に戻る。
龍之介は人の心を取り戻し、銀と再び幸せな日々を過ごすのだ。
 邪魔者は消え去り、“二人の兄妹”が幸せになる素敵な物語。

 それが私が考えに考え抜いた物語の結末なのだ。
 でも、如何して…喜ばしい筈なのに……何故、涙が溢れて止まらないのだろう。

「本当は…共に生きようと云う言葉が欲しかった」

 ひとりな私に“一緒に”生きてと言って差し出してくれる手が欲しかった。
 私の手を引いて共に歩んでくれる人が欲しかった。だけど、共に生きていく筈だった仲間は皆死んだ。
 私には家族しかいなかった。でも、家族は私の手を握ってはくれなかった。
 今更、何を言ったって遅いのは分かっている。でも、最後ぐらい良いではないか。

 私と言う存在は全て消えるのだから少しぐらい、ずっと心の奥底に隠していた想いを口に出したって…

——誰か私を離さないで——
——私をひとりにしないで——

 私は消え逝く時に想いを馳せながら静かに目を閉じた。

「——なら、糸の先を辿り給え」

 ひとりだけの空間だと思っていたのに突如として声が聞こえた。

 私は閉じていた目を開け、声がした方へと視線を向けると其処には一人の青年がにこやかに笑みを浮かべながら立っていた。

「ポートマフィア首領…太宰治…」

 私がその青年の名を呼ぶと「うん、正解」と言った。

「まさか、貴殿が私の死に逝く中で見る夢に出て来るとは…神は余程、私を嫌っている様だ」

 私は自身の最期の夢なのに私の手に入らなかったものや苦手な人物ばかり見せつけてくる神を恨む様に目の前の青年を見つめた。
 死に逝くのに何故、幸せなものを見せてくれないのか…私は神にすら存在を否定される程の罪人であったのだなっと再び認識すると“あぁ、此れからは此の様な事に悲しまなくて済むのかと考えると少しだけ安堵した。

「駄目だ。君が死に逝くには、まだ早過ぎる」

 私の安堵する心を否定する様に目の前の青年は私に云い、私は青年の言葉を否定する様に首を横に振った。
 全ては終わったのだ。龍之介に奪ったものは返した。
 返すには死ぬしか無かった、だって私が生きている限り、私の心臓が動く限り返せないから。だから、私は返した。
 大好きな人達に幸せになって欲しいから返したのだ。
 だってそれ以外、方法が分からなかった。其れは違うと言ってくれる人など居なかった。
 いつも背を追い掛けるばかりで隣を歩いてくれる人など居なかった。

「もう、終わった。全ては終わった」

 私の願いも思いも終わった。だから、死に逝くには早過ぎると言われても私には“死”と言う選択肢しか残ってないのだ。

「まだ、終わってなどいない。君は生きているよ」

 青年は私にそう告げた。
 私は儀式が失敗してしまったと言う事に唯々、絶望した。
 私は力が抜けた様に座り込み、再び溢れ出した涙を拭う事をせずに虚空を見つめていた。

 龍之介、銀、ごめんなさい。私がまた貴方達を引き裂いてしまった。

 その事だけに唯々、謝り続けた。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
「ふみちゃん」
「生きていてごめんなさい、奪ってしまってごめんなさい。返せなくてごめんなさい。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
「ふみちゃんっ」

 パシンと乾いた音が響いた。
 突如として訪れた片頬の痛みと熱さに私は頬を抑えた。
 死に逝く夢の中なのに痛む頬に違和感を覚えたが私は何も言わなかった。

「死にたがりも大概にしたまえ。
“ふたつをひとつに戻すだと”そんな事、出来る訳が無い。
確かに君と芥川くんは一つのものを分けて生まれたのかも知れない。
 でもね、君が“ふみ”と名付けられた瞬間から君は“君”と言う一人の人間になったんだ」

——だから、ひとつに戻すなど無理なんだ——

「君達は、ひとつにはなれない。
 これから先だって君達は別々に生きて別々に死んでゆく。其れは変えることの出来ない運命だ。でも、その時が訪れるまで共に寄り添うことはできるはずだ」

 真剣な表情で私にそう告げる青年に私は首を振った。

「私の手は誰にも届かぬ」

「届くさ。例え、芥川くんに届かなくても彼なら…敦くんなら握ってくれるさ」

“敦”

 その名に聞き覚えがあった。
 海を見つめていた時に出会った、美しいアメトリンの様な瞳を持った少年の名だった。
 私は青年の言葉に「無理だ」と答えた。

 あの日、不思議な出会いを果たした彼には、もう手を繋いでいる人がいるのだ。鏡花と言う、共に闇を歩いて来た少女がいる。

 彼は言った、“僕には鏡花ちゃんがいる”と…
だから、私など必要ない。要らない。
 彼は優しいのだろう、多分手を伸ばせば握ってくれるかもしれない。……でも、そんな同情など私には必要無いのだ。

「君は…強情で融通の利かない子だね。

まぁ、そんな子にしてしまった私にも責任があるかもしれないが…」

青年は静かに少し溜息混じりに呟いた。

「あの日…君を連れて行こうと思えば無理矢理にでも連れ去る事が出来た。…でも、私は其れをしなかった。

其れは、君を連れて行ってしまうと芥川くんが“本当の心無き獣”へと成り果て、敦くんは、ずっと闇の中に居続けてしまうと思ったからだ」

私は青年の言葉の意味が分からず、唯静かに見つめる事しか出来なかった。

数秒間の沈黙の後、何も言わない私に青年は静かに口を開いた。

——“蜘蛛の糸”って話を知っているかい?——

突然の青年の問い掛けに私は驚いた様に目を見開いた。

「君の異能と同じ名の物語だ。
簡単に説明すると御釈迦様が地獄に堕ちた罪人に救済の糸を垂らすお話さ」
「…でも、罪人は最後、己だけが助かろうと言う欲を見せた事により糸は切れ、罪人は再び地獄に堕ちる結末の物語ではないか…」

 青年の語った物語に聞き覚えがあった。

 昔、貧民街で古びた書籍が捨てられていたのを覚えている。ボロボロだったその本に酷く目を引かれた私は、食料を調達に出掛けた龍之介達の帰りを待つ間に少しずつ大切に本を読んだ。
 其れが私と同じ異能の名前である“蜘蛛の糸”と云う書籍であった。
 読み終えたその時、救済とは何なのか、人の欲は矢張り醜く、この貧民街も地獄と対して変わらないなっと言う思いがあった。
 あの時、作者の名前は汚れと破れで分からず終いのまま、私はその本を無くしてしまった。

「そう、そう言う話さ」
「其れが…私と何の関係が…?」
「関係あるさ…だって」

——君の糸は“縁を結ぶ事”と“罪人を救済出来る力が”なのだから——

「っ…貴殿の言葉の意味が理解出来ぬ」
「理解出来ないなら出来ないで良い。だだ知っておいて欲しい。君の異能力の本当の意味を…」
「“本当の意味”…?」

 私がポツリと呟くと青年はコクリと頷いた。

「君の異能力・蜘蛛の糸の本当の意味は…“様々な縁を繋ぐ“ことと“地に落ちたモノの救済”
 だが、その能力の意味は人によって様々だ。
救済と言っても生きての救済なのか、死をもっての救済なのか。繋ぐモノは果たして人なのか神なのか。其れは誰にも解らない。だけど、確実に力はある」

 青年は私にふっと笑みを見せた。

「君は、いつだって白にも黒にも成れない存在だ。
 白になるには少し汚れており、黒になるには優し過ぎる。
 でも、そんなどっち付かずの君だからこそ黒と白を保つ為に必要な“灰色”になれる。」

“優しさと厳しさを両方兼ね揃えた存在である君が…あの二人には必要なんだ”

——彼等に君と云う救済が必要なんだ——

“どんな形でも良い、救済がね…”

「其れに安心したまえ。君の手は敦くんが必ず握る」
「何故わかる…その様な事が…」

「分かるさ。
だって君達は、どんな世界でも出会い、恋をする運命なんだから」

青年は、そう言うと私の頭をポンと撫でた。そして、私に笑みを向け言った。

「君の欲しいものは君の手に結ばれた糸の先にある」

 私は不意に自身の左手に違和感を感じ、視線を移した。
 すると其処には左手の薬指に細い糸が結ばれており、キラキラと光る細い糸を解こうにも解く事が出来ず、唯、私の薬指から何処かへと繋がっていた。

「その糸は“救済の糸”だ。

今迄、ずっと自身の罪に押し潰されそうになっていた君を…君の異能が救済しようとしているんだ。

大丈夫、此の糸の先には“君が欲しかったもの”に繋がっている。
其れは、ふたつかもしれないしひとつだけかも知れない…」

——でも、必ず繋がっているから——

「今だけは私の言葉を信じてくれ給え」

そう言って寂しそうに笑った青年に私は何故か思わず、頷いてしまった。
 青年は私の頷きに嬉しそうに笑うと私の頭をポンっと撫でた。

——彼等を宜しくね。

 その言葉と共に、私の視界は白くなり、気づいた時には再び私一人だけの空間となっていた。

 私は自身の左手に視線を移した。

 キラキラと輝く薬指に結ばれた糸の付いた手を胸元で強く握ると青年の言葉をもう一度だけ思い出し、歩き出した。


——御縁とは人と人、動物、神仏など様々なモノをつなぐ目には見えない糸である——