少しの気だるさと眩しさに少女は顔を顰めるとその瞳を薄っすらと開けた。
見たことのある天井と消毒液の匂いにふみは此処が武装探偵社の医務室である事を理解すると体をゆっくりと起こした。ギシギシと軋む体にふみは自分はどのぐらい眠っていたのかなどと考えながら、少し外の空気が吸いたくなり、近くにあった出窓を開けた。
ふわりと風がふみの黒き髪を揺らし、ふみは肺いっぱいに外の空気を吸い込むと少し、外を見つめた後、静かに外へと飛び出した。
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その頃、白い死神と三十五人殺しである中島敦と泉鏡花、そしてふみの兄であり武装探偵社・新人、芥川龍之介は武装探偵社社員である国木田独歩の前に三人仲良く正座をさせられていた。
敦と龍之介は死闘を繰り広げたがお互いに引き分けと言う結果に終わり、また亡きポートマフィア首領・太宰治によりポートマフィアのクビを命じられた敦と鏡花は太宰の最後の遺言である“織田作之助を頼り、武装探偵社に入れ”と言う約束を守る為に太宰の言っていた織田作之助に頼み込み、織田の口合わせもあった事により敦と鏡花は一応、武装探偵社へと入社を認められた。
だが、敦と鏡花が入社したのは三週間も前であり、ふみが自らの首を掻き切ったあの事件の一週間後に二人はやって来た事からあの事件以来、ふみは約一ヶ月間の間、目を覚ましていなかった。 あの日、ふみにより荷台に閉じ込められた谷崎は荷台の中でふみの過去と秘めていた想いを聴きながら最悪の事態を想定し、武装探偵社専属医師である与謝野晶子へと連絡をしてすぐ様、現場へと駆けつけてもらえるように手配をした後、ふみの双子の兄である龍之介の持つ、社から支給されている携帯へと電話を掛けた。
電話は数回のコールの後、繋がり、龍之介の声が聞こえた谷崎は慌てて今の現状を伝えると龍之介が一瞬息を飲むのが電話越しでも分かった。
龍之介は素早く谷崎に居場所を聞くと「直ぐに行く」と伝え、携帯の通話を切った。
龍之介は戦いの途中で銀から“あの日”の話を聞いていた。
銀自身が自ら黒衣の男の元へと降った事も…あの日、「共に行こう」と言った自身にふみが戸惑いを見せた事が悲しかった事も、その悲しさに心が覆いつくされてしまい、優しい姉にその悲しみと苦しみをぶつけ、傷つけてしまった事を…
自分の元に帰れない理由も全て…
片割れであるふみは知っていた。全てを知っていた。
その事実に龍之介は当初、腑が煮え繰り返りそうな程の憎悪を感じた。だが、その事を冷えた頭で考えると全ては自身の所為であると理解した龍之介は自然と怒りが収まり、寧ろ、ふみに対して申し訳ない気持ちで溢れた。
四年前、痛む身体をフラつかせながら銀達が居た、林へと戻った。だが、其処には一人で泣いている片割れしか居らず、龍之介はふみに対して「何故だっ…」と一言だけ呟いた。
その言葉にふみは「ごめんなさい」と泣いていたのを覚えている。
全てはあの日、自身が原因であったのに自身は、その事に気付かずにふみを無言で責めた。それでも、ふみは側に居てくれた。
己を理解し、ずっと共に居てくれると…全てを許してくれると龍之介は勝手に決めつけていた。
——ふみの心がバラバラに砕けている事を気付かないまま…
龍之介は先程の谷崎から聞いたふみの状態を思い出し、失う前にふみの元へと駆けつけなければと足を動かした時、背後から先程まで戦っていたポートマフィアの白い死神が自身を呼ぶ声が聞こえた。
龍之介は敦に「何だ」と答えると敦は「ぼくもつれていけ…」と言った。
龍之介は断ろうとしたが敦は泣きそうな顔で「ふみさんの様子がおかしい事には気がついていたんだ…でも、僕は僕を優先してしまった…」と呟いた。
龍之介は何故、敦がふみの名を知っているのか不思議であり問い詰めようとしたのだが、敦は真剣な表情で龍之介に「ふみさんの手を…今度は…ちゃんと握りたい。…後悔したくないんだ…」と泣きそうな声でで告げた。
その言葉に龍之介は顔を顰めると敦の首根っこを掴み、持ち上げるとふみの元へと向かう為にビルを飛び降りた。
そして、谷崎から聞いていた場所へと辿り着いた時、敦と龍之介は、その広がる光景に目を見開いた。
二人が駆けつけた時には、ふみが自らの手で頸動脈を掻き切り、倒れ逝くところだったのである。
首から出た紅き血が舞い上がり、まるでひとつの芸術作品の様な光景に龍之介は まるで身体が石になったかの様に動けなくなった。
そんな龍之介の視界に“白い影”が凄い速さで通り過ぎるのが見えた。
その“白い影”敦は地面に倒れたふみに素早く駆け寄ると首から紅い血を流しながら何処か幸せそうに目を閉じるふみの身体を抱きしめた。
「嫌だっ…死なないでくださいっ」
“やっと…手を伸ばせたのに‼︎こんなっ…こんな終わり方は嫌だっ‼︎”
泣き叫ぶ様にふみを抱き締める敦に龍之介はハッと意識を取り戻し、慌ててふみに近づくと敦にふみを離す様に言ったが敦は頑なにふみを離さなかった。
少し離れた先には、ふみが自身の首を搔き切るのを目の前で見ていた鏡花が地面に座り込み、茫然と涙を流していた。
その数分後、谷崎の連絡により駆け付けた与謝野晶子の異能により、あと少しで出血死するところだったふみは一命を取り留めた。
だが、ふみは目覚める事が無かった。
医務室で眠り姫の様に青白い顔で眠るふみの元に毎日、毎時間…暇さえあれば龍之介と探偵社に入社した敦と鏡花が代わる代わる訪れた。そして、今日も三人は訪れ、ふみが眠る病室で敦と龍之介と鏡花が喧嘩をし始めた。
喧嘩の原因は目覚めたふみと何処にご飯を食べに行くかと言うくだらない話であった。
「お茶漬け」
「橘の湯豆腐」
「ふん…貴様等は、ふみの胃袋の底無しを知らぬな。ふみは僕と食べ放題に行く」と言うくだらない事で喧嘩をし始めた三人は与謝野晶子から「アンタら此処は怪我を治すところだ。喧嘩するなら出て行きな‼︎」と追い出された挙句、現在、国木田に捕まり説教を受けていたところであった。
「貴様等は少しは大人しくふみを待つ事が出来んのか‼︎」
怒る国木田に龍之介と鏡花は表情を変えず、敦だけは困った様に眉を八の字にしていた。
「此奴らが勝手にふみと出掛ける場所を決めていたが故に腹が立った」
龍之介が鏡花と敦を指差すと鏡花は「指を差さないで」と龍之介の手を叩き落とした。
龍之介は鏡花はギロリと睨むと鏡花はツーンとそっぽを向き、敦は更に怒りの表情を見せる国木田に小さく溜息を吐いた。敦が太宰の最後の言葉の通りに探偵社に入社してから三人は国木田に怒られるのが日常茶飯事となっていた。
ある時は、ふみが目覚めたらまず誰の名を呼んでくれるかから始まり、様々な事で喧嘩をした。
内容は全て“ふみが目覚めたら”と言う物ばかりであった。
それ程まで、この三人にとって“ふみ"と言う存在が大きかった。
龍之介にとってふみは大事な片割れであり家族だ。
鏡花にとってふみは、ひと時だけでも自身の欲しかった“普通”をくれた大切な人。
そして敦にとっては、ふみは、あの日、出会い…そして、自身の心を奪った人であり、彼女の全てが欲しくて堪らない愛おしい存在である。
そんな三人は、ふみの目覚めを誰よりも待ち望んでいた。
国木田や他の探偵社社員達もその事は理解していた。だが、少し仕事を与え、終えたかと思えば直ぐに眠るふみの元へと足を運び、片割れの龍之介に至っては書類作成の仕事を与えられたにも関わらず、直ぐに放り出してふみの元から離れない姿に規律と理想を何よりも大事にする国木田には、そろそろ我慢の限界が訪れていた。
目の前の三人にお灸を据えねばな、と息を吸い込み声を荒げ様とした時、バタバタと廊下を慌ただしく走る音が聞こえた。
その足音は真っ直ぐ事務室の前で止まると扉が勢い良く開かれた、開かれた先に居たのは与謝野晶子であった。
「どうかしましたか?与謝野女医」
国木田が慌てた様な表情を見せる与謝野に問い掛けると与謝野は部屋の中をぐるりと見渡しチッと舌打ちすると国木田に「居なくなったンだよ」と云った。
国木田が首を傾げながら「居なくなったとは?」と意味が分からないと云う様に再び問い掛けると敦はハッと何かに気がつき「まさか…」と呟いた。
「その“まさか”だ。…ふみが医務室の寝台から姿を消した」
その言葉に皆、驚いた様に目を見開いた。
「何故…っ何故、ふみが消えた」
龍之介が問いかけると与謝野は「どうやら妾が少し医務室から離れた間に目を覚ましたらしい。閉まっていた筈の出窓が空いていたから…そこから抜け出したかもしれないね」と視線を逸らしながら答えた。その言葉に鏡花は「でも、此処はビル。飛び降りるには危険過ぎる」と云うと龍之介は「ふみは糸を生み出し操る異能力者だ。こんな所から下りる等、ふみの手に掛かれば造作も無い事だ」とキュッと自身の手を力強く握り締めた。
「探さなきゃ…」
敦がぽつりと呟いた。
その言葉に鏡花は頷き、龍之介は「貴様に云われずとも分かっておる」と三人は素早く立ち上がると国木田の制止する声を無視して探偵社を飛び出して行った。
その様子を静かに駄菓子を食べながら見守っていた乱歩は「さぁ…誰がふみちゃんを見つけるかな」と呟き、隣で聞いていた賢治は不思議そうに首を傾げた。
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