「このお馬鹿さんめ」

 ゴンッと頭に落ちた拳骨にぐまべには泣くのを耐えるかの様にきゅっと小さな唇を噛み締めると近くでオロオロとした表情で立っていたカナヲのお腹へと飛び込むかの様にして抱きつき、顔を埋めた。

     ♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎

 始まりは少し前のことだった。

 まだこの日、任務も入っていなかった炭治郎と紅は日頃から良い子で蝶屋敷でお留守番をしている子狸のぽんじろうと子あらいぐまのぐまべにと遊ぶ予定を立てていた。
 そのことを知ったぽんじろうは大好きな炭治郎と紅と遊べることが嬉しかったのか、ふわふわの尻尾をぱたぱたと揺らし、紅に似ていつも無表情なぐまべにも心なしか嬉しそうに耳をぴくぴくと動かしていた。

——…なにしよう、なにしよう?けまり?おにごっこ?かくれんぼ?はねつき?やりたいことは、たくさんあるのです。あそびたいことがいっぱい、ぐまはあるのです。

 むずむずわくわくそわそわとしながら、ぐまべにが炭治郎と紅の羽織の袖を小さな手で握りながら側に立っていると何処からともなく、バサバサと羽が羽ばたく音が三角のピンと立った耳に届いた。
 この音は、いつもぐまべにとぽんじろうと何だかんだと遊んでくれる炭治郎の鎹烏と紅の鎹烏である二羽の羽の音だと素早く判断したぐまべには、もしかしたらからすさんもいっしょにあそんでくれるのかもしれないと更に尻尾をぱたぱたとさせた。だが、皆の前に現れた鎹烏から告げられた言葉にこの時のぐまべには大きくショックを受けることになるなど思いもよらなかったのである。

 炭治郎と紅に任務。二羽の鎹烏から告げられたその言葉の意味をぐまは幼いながらにも知っている。
 任務は悪い鬼を狩ること。それは誰ができるのかと聞かれれば、鬼殺隊の隊士。そして、その任務を与えられた紅と炭治郎なのである。
わかっている。わかっているのだ。大事なお仕事。人や自分たちの様な生き物を鬼から助けると言う大事なお仕事。だけど、まだ幼いぐまべにの胸の奥にもやもやしたものがぐるぐると駆け巡る。
 そんなぐまべにの気持ちなどお構いなしに淡々と任務内容について二人に話す鎹烏に今日は一緒に遊んでくれると言ったはずの炭治郎と紅は静かに聞き入っている。そのことが更にぐまべにの胸の奥にある、言葉では言い表せないもやもやぐるぐるした感情が増しては広がってゆくのであった。

——あそんでくれるっていったのに…おしごとさんなんて…あんまりさんです……ぐまとぽんじろうくんをほおっていっちゃうんだ……いっしょに…あそんでくれるっていったのにっ…

 ぐまべにの中のもやもやした感情がぐぐぐぐぐっと大きくなってゆくと同時に柔らかなふくふくした頬がむむむむむっと膨らみ、心なしか炭治郎と紅の羽織を握る小さな手にも力が込められた様な気がした。その事に気がついた炭治郎が眉をハの字に困った表情をしながら、ぐまべにの名を呼んだ。
——ただ、それが引き金となってしまったのか、ぐまべにの心の中のもやもやがしゃぼん玉の様にパチンと弾けるような音を立てた瞬間、一目散に小さな獣は小さな足でその場から駆け出した。

 驚く炭治郎と紅とぽんじろうの声がぐまべにの耳にも届く。だが、駆け出した足を止めることなく、ぐまべには走った。
 そして、とある部屋へと辿り着くと自身よりも大きい【そこにあった大切な物】を抱き抱えるとぐまべには隠してしまったのである。

 そして、それに気がついた紅により、ぐまべには拳骨を食らったのであった。

    ♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎

——…ぐまが隠してしまった【大切な物】
鬼殺隊には無くてはならない鬼に対抗する為の武器【日輪刀】は炭治郎の優れた嗅覚ですぐに見つけられた。
 そして二人は紅に叱られて拗ねたまま、カナヲから離れないぐまべにとそれを心配するぽんじろうの姿に後ろ髪を引かれる思いを抱きながらも自分達に任務へと向かった。

「ぽんじろう、ぐまべに、行ってきます」
「カナヲ、申し訳ないですけど、其処の拗ね坊さんとぽんじろうくんを頼みました」

 いつもならぽんじろうもぐまべにも蝶屋敷の門まで一緒に行き、可愛いふわふわ尻尾を揺らしながら小さなおててを一生懸命振りながら御見送りをする。だが、今日は出来なかった。
 下手するともしかしたら炭治郎と紅と一生のお別れになる可能性だってある。だけど、まだ幼いぐまべににはイマイチそれが分からない。だけど、大事なお仕事だと言うことはわかっているのだ。でも、遊んでくれると言ってた二人が任務に行ってしまったのが、ぐまべには悲しくて寂しいのである。

——ぐま、わるいこさんしました。

 カナヲのお腹に顔を埋めながら尻尾と耳をぺたりと伏せたまま少し震えているぐまべにの小さな背中をぽんじろうが優しく撫で、ひと鳴きした。

——かえってきたら、いっしょにおかえりなさいさんしよう。
あと、いっしょにわるいこさんしてごめんねも

 その言葉にぐまべには小さく頷き、オロオロとしていたカナヲも優しく微笑んだ。