あれから三日が過ぎた頃、前回の任務で負った傷が癒えた炭治郎は鎹鴉より単独任務を命じられた事により善逸・伊之助より早く任務へと復帰していた。
 昼間は任務近くの藤の家紋の屋敷で過ごし、夜は任務内容で綴られていた鬼を狩り終えると炭治郎は鬼である禰豆子の定期検診の為に蟲柱・胡蝶しのぶが管理する蝶屋敷へとその足で向かったのであった。

 いつも禰豆子の定期検診と自身の治療や寝床が無い時には、お世話になっている蝶屋敷に手土産でも持って行こうと思った炭治郎は任務地から近い土地にある街へと足を向け、賑わう街の中をうろうろと彷徨っていた。

「なほちゃん達にはお菓子…アオイさんやしのぶさん…カナヲにもお菓子で良いか」

ぶつぶつと呟きながら歩く炭治郎の言葉に返事をするかの様に背中に背負った木箱の中から禰豆子が箱を引っ掻く様にカリカリと返事をした。
 その音に炭治郎は静かに微笑みながら「ありがとう、禰豆子。そうするよ」と頷くと箱を優しく撫でた。
 そうと決まれば和菓子屋にでも寄ろうと思い、店を探す様に炭治郎は自慢の鼻をくんっと鳴らすと甘い匂いのする方へと歩き始めた。

     ♢♢♢♢♢

 数分も立たない内に和菓子屋へと辿り着いた炭治郎は蝶屋敷の住人達と伊之助と善逸の分の甘味を買い終え、和菓子屋の暖簾を潜り外へと出た時であった。
 視界の端できらきらと輝く紅い何かが見え、炭治郎は不意に其方の方へと視線を向けた。
 和菓子屋の右斜め前の小物屋と思われる軒先に置かれた台の上にキラキラと輝く複数のガラス玉が並べられており、炭治郎はその複数ある硝子玉の中の一つに目を奪われた。
 まるで引き寄せられるかの様に無意識の内に足が動き、ふらふらとその硝子玉が置かれている台の前まで移動したかと思うとピタリと足を止め、炭治郎は息をするのを忘れてしまったかの様に一つの紅い硝子玉から目を逸らすことが出来なかった。
 丸く小さなその硝子玉は中央に複数のひび割れの筋が刻み込まれており、太陽の光で照らされた紅い色の硝子玉がキラキラと光り輝く光景に炭治郎は不意に数日前に起こった不思議な出来事を思い出した。

 ふわりと静かな夜に現れた黒髪の少女。
 月明かりに照らされた紅玉の様に紅い瞳が椿の花が落ちたかの様に転がる鬼の頸を見つめる姿を思い出し、炭治郎は自身の心臓がどくんっと激しく脈を打ったような気がして静かにギュッと己の右手で心臓の辺りの隊服を握りしめた。


 ――瞳が綺麗だったんだ。あの子の瞳が…


 ポツリと己の心の中でそう呟き、炭治郎は静かにあの日に見た黒髪の少女の紅い瞳に似た小さな紅い硝子玉をひとつ手に取った。
 それだけなのに…また、とくんっと心臓が音を立て、少し息が苦しくなった。


「おや?お客さん、其れをお気に召したのかい?」

突然、右隣から聞こえてきた声に炭治郎はハッと我に帰り、声の聞こえた前へと視線を向けると店主と思わしき御老人が人の良さそうな笑みを浮かべながら店の中から顔を覗かせていた。
 炭治郎は慌てて手に持っていた紅い硝子玉を元の位置に戻すと「す、すみません‼勝手に触ってしまって‼」と謝り、頭を下げたのだが、店主と思わしき御老人は炭治郎の行動を咎めるわけでも無く唯、笑うと「良いんだよ。手に持ってゆっくり見てってくれ。此れは珍しい品物なんだよ」と言い、炭治郎の見ていた硝子玉へと視線を向けた。

「珍しい物…ですか?」

 炭治郎が不思議そうに首を傾げながら問い掛けると店主はニカッと笑い、言った。

「此れはクラックビー玉っつってな。丸い硝子玉を熱してから氷水で急激に冷やすと内側だけがひび割れて輝きが増すって云うハイカラな代物なんだよ」
「だから、こんなにキラキラしてるんですね」

 店主の言葉に炭治郎は素直に驚いた反応を見せると炭治郎の反応に気を良くしたのか、店主の機嫌の良さそうな感情の匂いが炭治郎の鼻に届いた。

「そうなんだよ。硝子玉自体があんまり手に入るもんじゃねぇからなァ。其れを更に加工して輝きを増させた手の込んだ代物なんだがな。最近は、このクラックビー玉を使って飾りを作ったりするのが流行ってるらしく結構、売れてんだよ」

あぁ、それと…店主は思い出したかの様に更に言葉を続けた。

「片思いの相手の瞳の色や恋仲同士でお互いの瞳の色のクラックビー玉を持って御守り代わりにする人も多いんだ」

――浪漫的だよなぁ。

 ニカっと笑う店主から紡がれた言葉を聞いた炭治郎は無意識にポツリと「片思いの相手の…瞳の色…」と店主の言った言葉を呟き、数秒間沈黙した後、ハッと我に帰ったかの様に頭をぶんぶんと音が鳴りそうなほど左右に振った。


 何を考えているんだ‼片思いってなんだ⁉何で俺は今、無意識の内に呟いたんだ⁉⁉
 しかも、片思いと言われた瞬間に何故あの黒髪の彼女の姿が思い浮かんだんだ⁉
 彼女は数日前に姿を見ただけで名前も歳も声でさえも知らないんだぞ⁉
 況してや生きているのか幽霊なのかさえも分からないのに……そんな何処の人かも判らない見知らぬ…いや、鬼殺隊の隊士なら何処の人では無いのか…いやでも知らない人に対して俺は何を考えているんだ‼‼恥を知れ‼炭治郎‼と炭治郎は心の中で一人、訳の分からない感情に腹を立てながら戸惑い、混乱していた。

 片思いの相手と店主が言った瞬間に何故か炭治郎の脳裏には再び紅い瞳の少女が過ったのだ。
 名前も声も知らない少女なのに何故かその少女は炭治郎の脳裏に焼き付いて消えてくれない。

 もしかしたらあの時のあの子は別の鬼が潜んでいて、その鬼が見せた血鬼術で生み出された幻覚なのかも知れない。自身の欲望を合わせた、幻覚…だから、己の脳裏に焼き付いて離れないのかも知れない。そんな事まで炭治郎は考えた。
 伊之助は生きてようが死んでようが鬼殺隊の隊士なら良いじゃないか、そう言った。確かに炭治郎もそう思い、納得もした。

 【なのに何故、こんなにもあの瞳に焦がれる自身がいるのだろうか】

 幾ら考えても炭治郎の中で答えが出る事は無く、胸にもやもやと分からない感情が吐き出される事なく溜まる一方であった。

 そんな炭治郎の内情など知る訳がない店の店主は黙ったままの炭治郎を不思議そうに見つめ、首を傾げると「お客様さん、大丈夫かい?」と声を掛けた。
 店主に声を掛けられた炭治郎は再び我に返ると心配してくれた店主に「だ、大丈夫です‼すみません‼」と頭を下げた。店主は、そんな炭治郎に再び微笑むと口を開いた。

「如何だい、お客さんもひとつ…」

――もし、お客さんに片思いの相手が居るなら御守りがわりにでもしたら良いと思うよ。

 店主から掛けられた言葉に炭治郎の瞳は迷いを魅せた。
 チラリとクラックビー玉が置かれた商品台に視線を向け、複数置かれたその商品を赫灼の瞳で見つめる。
 蒼や水色や緑など複数の色が置かれているが紅い色は一つしか無く、このひとつを逃せば彼女にも手が届かないのではないかと何故かこの時の炭治郎は思ってしまい、再び言い様のない感情が炭治郎の胸を支配する。

 また、少し息が苦しくなり、炭治郎はその苦しさに誘われるかのように静かに震える手を伸ばし、紅い瞳に似たクラックビー玉を優しく触れた。

「この…紅い色のを頂けますか?」

 先程の元気良さとは打って変わった様に炭治郎は小さな声でポツリと呟いた。

 この場に居ない何かへと想いを馳せるかの様に揺れる赫灼の瞳に店主は何かを感じ取り、静かに自身の目元を緩ませ、炭治郎が大事そうに触れる、クラックビー玉を受け取ると商品の値段を告げた。
 炭治郎は懐から財布を取り出し、代金を店主へと手渡すと店主は紅いクラックビー玉の色に合わせてくれたのか小さな紅い色の巾着にクラックビー玉を入れ、紐を締めると炭治郎へと手渡した。

「どうも、ありがとう」

――お客さんの大切な人と御縁がありますように――

 ニカッと笑い、そう告げた店主の言葉に炭治郎は大事そうにクラックビー玉を懐に仕舞い込むと微笑み、頭を下げた。


 黒髪の少女の紅い瞳に似た、クラックビー玉を入れた懐が何だか凄く暖かく、炭治郎の何とも言えない感情が少しは治った気がした。


     ♢♢♢♢♢


 静かな竹林の道の中を一人の黒髪の少女が歩いていた。
 気配も感じさせず、足音も呼吸音でさえ聞こえない少女の姿は生きているのか将又、死んでいるのかさえも判別するのが難しいものであった。

 言葉を一言も話す事なく、少女は竹林の道を進んでいると目の前から竹籠を背負う老人が歩いて来たが老人は、まるで黒髪の少女に気づいていないかの様に真っ直ぐに少女に向かって歩いて行く。
 少女は小さく溜息を吐くとスッと老人に道を譲るかの様にして避け、老人は道を譲ってもらったにも関わらず礼を言うでも無く、唯、前を進んで行くばかりである。
 少女は静かに老人の背中を見送ると背を向け、再び歩き始めた。

 その瞬間、ふわりと風が吹き、少女のハーフアップに結われた黒い髪と紅い、血の様な羽織りが揺れる。
 少女は何かを思い出したかのように静かに艶やかな唇をゆっくりと開いた。

「あ、師範の御使いを忘れてました。…仕方ない、蝶屋敷へ寄りますか」

黒髪の少女は竹林を見上げ『上之園さん(うえのそのさん)』と誰かの名を呼んだ。
 すると竹林をかき分ける様にして黒い烏が黒髪の少女目掛けて飛んでくると大人しく少女の肩へと止まり、少女の頬にすりすりと数回擦り寄ると「何カ御用カナ?寄リ道セズニ、家ニ帰ロウネ‼」と話し始めた。
 黒髪の少女は喋る烏に怯える事なく、ゆっくりと口を開いた。

「師範の御使いがあるので蝶屋敷に寄ってから帰りますので先に任務の報告をお願いしても良いですか?」

黒髪の少女の言葉に喋る烏は頷く様に頭を上下に振ると再び少女の頬に擦り寄り、黒い翼を広げ、飛び去って行った。

 黒髪の少女は飛び去る烏を見つめると竹林の隙間から見える日輪の日差しに眩しそうに目を細めた。

「そう言えば、この間、見た隊士のひとりですが面白い耳飾りをしてましたね」

何故か突然、その事を思い出したのかは判らないが、温かな日輪の日差しを見て少女は不意に記憶に残っていた先日の夜の光景を振り返ると「確か、師範の言ってたW鬼を連れた隊士“も変な耳飾りをつけてるんでしたっけ」と呟き、然程、今の自身の行動に対して気に留める事も無く、再び静かに竹林の道を歩き始めたのであった。