壱師紅
 鬼殺隊の隊士であり、階級は甲
 歳は十五で好きな食べ物は羊羹と茄子の煮浸し
 特技は花札で趣味は本を読みながらのうたた寝
 十三歳で最終選抜に挑み、見事合格を果たした少女である。
 表情は常に無表情で柱の人間でもその気配を感じ取るのが難しい程の影の薄さで生きているのか、将又死んでいるのか…存在自体を感じさせないことから他の隊士達からは影で【幽霊】と呼ばれているらしい。
 その影の薄さと使用する独自の呼吸により、その存在を悟られること無く鬼の首を椿の花が落ちるかのように墜とす出際の良さと何をしていても変わることのない無表情に恐れと不気味さを感じ、接触を避けようとする隊士が多い。
 壱師紅本人も基本、人との接触を得意としない為、他の隊士達が自身を遠巻きに見ていることに特にこれと言った感情はない。

「だから私は紅と一緒に居て心地が良いの」

―言葉を必要としない、二人の時間が好き―


 炭治郎の心を捉えて離さない、あの紅い紅玉の瞳の持ち主で鬼殺隊の隊士である少女と偶然にも蝶屋敷で再会….そして面と向かってでの初対面を果たした後、去って行った少女の事について炭治郎はその場で共に居た栗花落カナヲに壱師紅の事について恐る恐る尋ねた。
 壱師紅について尋ねられたカナヲが炭治郎へと語り、そして最後に続けられるように言った言葉を紡ぐカナヲのその横顔は、いつもの貼り付けたような笑みでは無く何処となく今、炭治郎が尋ねた少女へと想いを馳せている様に見えた。
 炭治郎はカナヲの横顔を見て自身の胸にもやもやとしたものが広がると同時に身体から何かを燻したような匂いがほんのりの香ったことに気がついた。

 自身の知らない少女のことを知っていて仲の良いカナヲが羨ましいと思い、また、少し悔しく思ったのである。
 にこにこと笑みを絶やさないカナヲと淡々と無表情な壱師紅

 お互いがお互い、感情を表に出すのが苦手な二人は会話を求めない空間が心地良いのだろう。
 言葉にしなくても成立する空間…お互いを知り、お互いを思いやっている証拠でもある。
 そう感じた炭治郎は気がつかないうちにカナヲに嫉妬に似た感情を向けていたのである。

 自身を捕らえて離さない、あの瞳を持つ少女と仲良くなりたい。

 願うなら少しでも今より近づきたい。炭治郎は、そう強く思った。

 炭治郎自身、何故、自分がこんなにも少女に惹かれているのか、理由もまだ理解していないのに…。

     ♦♦♦♦

「北北東〜北北東へ向カエ‼北北東ノ町外レノ神社ニテ隊士ト合流シロォ‼」

壱師紅と蝶屋敷で出会いを果たしてから数日が経った頃、炭治郎は再び単独で任務へと向かっていた。

 炭治郎の鎹烏である天王寺松衛門が告げるには北北東にある町で夜な夜な不思議な笛の音色と共に人が消えると云う。
 しかも消えるのは十にも満たない子供ばかりで日に日に町から一人、また一人と消えて行く光景に町の人々は恐れ、神々の呪いではないかとすら囁かれている。
 その話を聞いた鬼殺隊は鬼の仕業ではないかと判断し隊士を派遣することにしたのであった。
 北北東にある町は大きな町で何処に鬼が現れるのか予測が出来ない。
 それに鬼殺隊は生死と隣り合わせの仕事故に何時も人手不足で大人数の隊士を派遣することは難しいため、北北東の町の近くに他の任務で居た隊士と共に二人で北北東の町に住み着いているであろう鬼を狩れとのことだった。

 炭治郎は、鎹烏烏から告げられた任務内容に頷くと共に任務をする隊士と落ち合うべく、足を早めた。

 微かに風に乗って人々の生活する匂いが炭治郎の鼻に届き、今回はどんな隊士と任務を共にするのだろうかと思うとそっと胸元にしまっていた以前に購入した紅いクラックビー玉を隊服の上からそっと撫でると共に任務をする相手があの彼岸花を纏う少女で有れば良いのになと想いを馳せた。
 そしてハッと我に返り、飽きれた様に困った笑みを一人浮かべた。

「なぁ、松衛門 今回の任務を一緒にする隊士は、どんな人なんだ?」

 炭治郎が松衛門に尋ねると松衛門は少し黙った後に「……知ラン‼」と高らかに告げた。

「知らないのか⁉」
「知ラン‼デモ、鎹烏ノ名前ハ上野園 又三郎(うえのその またさぶろう)ダ‼俺ノ戦友ダ‼」
「いや、鎹烏の名前を告げられても…友が居ることは良いことだが…」
「ツベコベ言ワズニ駆ケ足デ急ゲ‼‼」
「わぁぁぁぁ⁉⁉突かないでくれ‼わかったから‼‼」

 松衛門の嘴で突かれた炭治郎は痛みから逃げる様に駆け足で約束の町外れの神社へと向かった。

 赤い朱色の大きな鳥居が見え、その鳥居の上には一羽の黒い鴉が羽を休めているのが見えた。
 その光景を見た松衛門はバサバサと羽を広げると「又三郎ー‼」と先程、炭治郎へと告げた鎹烏の名前を呼びながら鳥居の上に居る鴉へと飛び去って行く。
 炭治郎も其れを追いかけるように神社へと足を踏み入れた。

 町外れでありながらも錆びた様子は無く、手入れが行き届いているのか所々に紫や青などに彩られた紫陽花の花が咲き誇っており、その鮮やかさに炭治郎は目を奪われた。

「綺麗だ…」

 ポツリと呟かれた炭治郎の言葉は静かな神社の空気に溶けて消えた。

「紫陽花って何でこんなにも色鮮やかなんだろう」
「一説によると死体が埋まっていると紫陽花の花は青く美しい色をするらしいですよー」
「え、そうなのか⁉」
「ちなみに紫陽花は別名・幽霊花と呼ばれてたりもするんですよー」
「へぇー!君は物知りさんなんだなぁ!って………ん?」

【俺は、さっきから誰と話しているんだ?】

突然、背後から聞こえて来た声に反応していた炭治郎はふっと我に返り今のやり取りがおかしいことに気がつき、背筋にヒヤリと冷たいものが伝う。
 匂いも音もなく、背後から聞こえて来た声に炭治郎はバクバクと善逸が居たら耳を押さえて恐怖で泣き叫びそうな程の心音を鳴らしながら恐る恐る壊れたブリキの玩具の様に声のした背後へと顔を向けた。

 そして静かに赫灼の瞳を見開いた。

 先程の静かな淡々とした声は炭治郎の背後から聞こえて来ていた。それなのに炭治郎が恐る恐る視線を向けた先は紫陽花が咲き誇る光景が続くばかりで先程会話した声の持ち主の姿はおろか、人の姿など何処にも無かったのである。
 静かに吹き抜ける風と突然の不可思議な状況に炭治郎の血の気が引いていき、喉がひゅっと鳴ったと同時にドッと冷や汗が背中を流れる。

 無意識に左手が背中に背負っている禰豆子の入った木箱の肩紐を握り、右手は日輪刀へと手が伸びる。

そして、ふわりとまた風が吹いた瞬間…。

「わっ」

と炭治郎の耳元で声が聞こえ、それと同時に肩をつんっと突かれた。

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‼‼⁉⁉⁉⁉」

 突然の耳元で聞こえた声と突かれたことに驚いた炭治郎の大声が静かな神社の境内に響き渡った。

    ♦♦♦♦♦

「いやー、あれだけ驚いていただけるとやったかいがありました。楽しかったです」

 長い黒髪につけられた紅い彼岸花を模した髪飾りと白い彼岸花が描かれた血のように紅い羽織が風に揺れる。
 目立つ紅い色なのに目を離すと一瞬にして消えてしまいそうな存在感である黒髪の少女は善逸では無いが心臓がまろび出る所だった炭治郎の隣を無表情だが楽しそうに歩いている。

 先程、町外れの神社の境内で起こった不可思議な声の正体は炭治郎と同じく鬼殺隊の隊士であり、ここ最近の炭治郎の脳内を埋め尽くして止まない少女・壱師紅のものであった。
 
 今回の炭治郎と共に任務を任された隊士でもある紅は先に神社に到着した為、境内で待ってようと思い、近くにあった石垣に座っていたのだと言う。
 其処に炭治郎の姿が見え、声を掛けようとしたのだが、影の薄すぎる紅の存在に気づくこと無く紫陽花を静かに見つめていた為に『あ、気づいていないな』と思ったと同時に悪戯好きである紅の心に炭治郎を驚かせたいと云う悪戯心がむくむくにょきにょきと芽生えてしまったからとのことであった
 そして、まんまと紅の悪戯に引っ掛かり、良い反応を見せた炭治郎に紅は無表情で分かりにくいが大層満足していた。

「それにしても炭治郎くんが元気そうでなによりです。鬼殺隊は生死と隣り合わせのお仕事ですから前回会った人に次回は会えないと言うこともありますので」

 紅の血の様に紅い瞳がチラリと炭治郎へと向けられ炭治郎の赫灼の瞳と視線が重なる。
 それだけなのに無意識に熱を持つ自身の頬を炭治郎は誤魔化す様に「紅も元気そうで良かった」と言葉を発した。
 また会えたとこと任務の相手が紅だった嬉しさと名前を呼んでくれた喜びで炭治郎の胸がきゅっと締め付けらたかと思うとどくどくと心音の速さが増す。其れを落ち着けるかの様に炭治郎は胸を押さえながらゆっくりと深呼吸するが頬の熱は下がらず、小さく溜息を吐いた。

「今回の任務は紅と合同でってことだよな?」
「えぇ、鎹烏から神社で待ち合わせするようにと言われたので其れが正しければ炭治郎くんの任務の相手は私です」

「あ、他の人が良かったですか?すみません。我慢してくださいね」と言う紅に炭治郎は慌てて首を横に振り「紅に会いたかったから嬉しい‼‼‼」と大きな声で告げた為、予想外の反応に紅は紅い目を驚いた様にまん丸とさせるとポツリと「へんなひと」と呟いたが炭治郎の耳には届かず、炭治郎は話題を変える様に任務内容について紅へ話し始めた。

「夜な夜な不思議な音色が聞こえ、子供が消えると聞いたんだが…」
「そうみたいですね。情報によると…」

紅が懐にしまっていた一枚の紙を取り出し、書かれていた情報を炭治郎へと手渡す。
 書かれていた情報は夜な夜な丑三つ時に不思議な笛の音色が聞こえ、それと同時に町の子供が消えて行くのだと言う。
 調査によると消える子供は皆、十に満たない子供ばかりでしかも比較的、五歳ぐらいの年齢の子供が多いと言う。
 また、消える子供達は皆、何処か意識がない様な足取りでふらふらと歩き、町の者がその歩みを止めようとすると子供とは思えない力で突き飛ばされ誰も止めれないのだと言うではないか。
 中には親が無理矢理止めようとして大怪我にまで追いやられた者もいるとのことだった。

「そんな…これは酷い…」
「少なからず、夜中に聞こえる不思議な笛の音色は鬼の血鬼術の類でしょうね。…聴く者を操る能力でしょうか」

 情報が書かれた紙を見て顔を顰める炭治郎に紅は淡々と無表情のまま話を続けた。

「子供を狙うのは、柔らかくて食べ易いからでしょうね」

 ポツリと冷たくそう言い放った紅の言葉に炭治郎の手に無意識に力が入った。
 力が加わった手は簡単に紙をくしゃぐしゃにし、それを紅は横目で見つめた後、直ぐにスッと視線を前へと戻し「炭治郎くん」と炭治郎の名を呼んだ。

「どうしたんだ?」

 炭治郎がハッとした様に紅へと返事をする。紅は静かに前を向いたまま、右手の人差し指を空へと向けた。

「鬼は日が暮れるまでは活動しないですし、一旦近くの藤の家紋の屋敷まで行きませんか?」

「それから一度、今回の任務について話し合いましょう」と言葉を続ける紅に炭治郎は目を数回瞬きさせ、手に持っていた紙を緑と黒の市松模様の羽織の中へと仕舞うと紅の言葉に「そうだな、そうしよう」と頷いた。

「あ、でも、藤の家紋の屋敷に行く前に甘味処寄ってください。糖分を摂取したいです」

 突然の紅の申し出に炭治郎は意味が分からず、キョトンとした表情を見せ、紅の言葉を不思議そうに呟いた。

「糖分…?」

 炭治郎の言葉に紅は大きく頷いた。その横顔は無表情ながらにも真剣な表情をしており、炭治郎も何か大切なことなのかと思い、ゴクリと息を飲み紅の真剣な横顔を同じ様に真剣に見つめた。

「はい。体と頭を動かすには甘いものは必須ですよ。羊羹なら尚のこと良きです。羊羹は素晴らしい食べ物です。人間の体を動かす為に必要な活動力が大量に含まれていますし特に煉羊羹なんかは水分量が少なく、菌が発生し難いとされています。長期保存可能品ですからお勧めです」

 相変わらずの無表情なのに口はスラスラと羊羹について語る紅の姿に炭治郎は真剣な表情からゆっくりと優しい表情へと変わっていった。そして紅の横顔を赫灼の瞳で優しく見つめながら炭治郎は「紅は本当に羊羹が好きなんだな」と呟いた。
 
その言葉に紅は炭治郎の方へと視線を向けるとゆっくりと艶やかな口を開いた。

「えぇ、大好きです」
「ぐっ‼‼」

 自分の事を言われた訳ではないのに紅の大好き発言が何故か炭治郎の心をギュッと掴み、一瞬だが心臓発作が起こった様な感覚に炭治郎は陥った。
 突然、胸を押さえながら唇をぐっと噛み締めた表情をする炭治郎に紅は不思議そうに首を傾げながら『うわぁー、なんか凄く変なひとと合同任務になってしまった』と思ってしまったのを無意識に幸せを噛み締めている炭治郎は知らないのであった。